以前、日常的に土鍋で米を炊くようになった話をした。なぜそうなったのか詳しいいきさつは下記の記事を読んでいただきたい。
要するに炊飯器がクソみたいな性能で米を異物のごとく炊きあげるので、それなら美味しく炊ける土鍋にシフトチェンジしよう、というわけだった。
炊飯器は用途のない植木鉢以下の存在と成り果てて部屋の隅でぐったりしていたのだが、先日土鍋でサツマイモの炊き込みご飯をやって失敗して以来、炊飯器はその権威を復権した。
まず土鍋での失敗を書くと、芋にはまばらに火が通っているのに米は生米のままで水もちゃぷちゃぷ残っており、底面の米は焦げ付いて炭化し、そのにおいが芋にまで移ってとても食べられない状態になってしまって、焦げ付きはどれだけ擦っても取れることのない宿命的な土鍋タトゥーとなって負の刻印を残した。お役御免となって今はベランダで雨にさらされている。今週の不燃ごみで捨てるつもりだ。
炊き込みご飯は泣きながらすべて捨て、新しい米と本当はレモン煮にする予定だったもう一本のサツマイモを使って、炊飯器で炊き込みご飯を作った。
炊飯器をファシストよりも信頼していなかったけど、存外うまく炊けてくれた。
しばらく放置プレイをしていたことで彼の中で意識が変わったのかもしれない。
とは言え、一度損なった信頼を回復するのは難しい。
炊き込みご飯がうまくいったのは運が良かっただけだ。惑星の位置とか気圧配置とか龍脈が炊飯器へ好パフォーマンスを促しただけかもしれない。運頼みの炊飯をさせていてはたまらないのだ。
そこで新たな土鍋をAmazonで購入した。
これまでの土鍋は二人で使うぶんにはちょうど食べきれるくらいのサイズ感だったのだが、いかんせん具材を敷き詰めるため吹きこぼれやすく、調理の際に不便をしていたので思い切ってもうすこし大きめのサイズを見繕った。
これが、まぁ、失敗だった。
届いた土鍋は以前のものと同じサイズで、しかも底が浅いぶん容量も減ったのだった。
大き目だと思って買ったのに。いったい何が起こったのかよくわからなかった。騙されたのか、単位が「インチ」だったのか、商品情報と注文情報を照らし合わせたが、たしかに届いたものは私が注文したものだった。
「だから、土鍋は現物を見て買おうって言ったじゃん」
恋人はいつも正しいことを言う。
米の1合は炊けるだろうが、2合以上となるとやや怪しいかもしれない。とにかく二人分の鍋料理は不可能だ。
ご利用前の準備、と称して文言が書いてあった。
『土鍋の8分目まで水を入れ、沸騰したら小麦粉を溶いた水を注いで弱火で5分ほど煮てください。火を止め自然に冷めるまで待ち、洗ってよく乾かしてください』
これをすることで吸水性がどうのこうので、とにかく長持ちしたりしなかったりするらしいのだ。やったほうが良いことは、やったほうがいい。
だが、これもまぁ、失敗した。
たぶん水を入れすぎたのだろうね、沸騰した小麦粉水が水爆みたいにふくれあがって溢れ、コンロを水浸しにしたのである。
すぐに火を止めたもののそこはさすがの土鍋の保温性、すぐに溢れは止まらずに、私はただ侵食されていくコンロの前で佇むしかなかった。
こころみに「ぎゃーーーーーー」と言ってみたりもしたが、なにもおもしろくなかった。むしろ泣きたくなった。
ベトベトになったコンロを拭いてキッチンペーパーとティッシュペーパーを無駄にしたばかりか、布巾もヌメヌメになってしまった。小麦粉に含まれるデンプンは急速に熱を加えるとヌメヌメになる性質があるみたいだ。夏休みの自由研究にしようと思う。
新たな土鍋は猖獗な「気」を孕んでいる気がしてならない。
買ったタイミングの惑星の位置や気圧配置や龍脈がよくなかったのかもしれない。