蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「英雄ポロネーズ」を弾くために僕がすべきこと

事中にいきなりショパンの「英雄ポロネーズ」が頭の中に流れだして、それは天命のように僕の頭を支配して、結局その日は一日中可憐で勇ましいメロディが頭から離れず、仕事が終わってすぐにイヤホンをして辻井さんの演奏を聴いた。

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そのあと、反田さんの「英雄ポロネーズ」も聴いた。

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僕もこの曲を弾きたいと思った。

ああ、この曲を弾くことができたなら。

 

音楽を自分のものにする唯一の方法は「演奏」だけだ。楽譜を自分のなかに取り込み、解釈をし、眠っていても弾けるほど、細胞膜がその曲の正確なテンポを刻めるほど練習するのみだ。

そうして演奏をした時にはじめて自分の音楽が鳴る。自分のものになった音楽が僕によって演奏される。

ああ、この曲を弾けたら。

 

ピアノはまったく弾けないし「ヘ音記号」がなんなのかいまだによくわかっていないのだけど(なぜト音記号で統一しない?)、この曲を弾くときのコツはわかる。

「自分に酔わない」ことだ。

強弱をつけやすいしロマンチックな展開だからついつい力が入って「自分が気持ちよく弾けること」だけに曲へ向かう気持ちが傾いてしまいがちだけど、格好良いのは弾いてるあなたではなくこの曲そのものだという前提を忘れてはならない。格好良い服を着ても格好良いのは服なのだ。前提を忘れたときあなたは道化になる。

素人ほど自分に酔いがちだ。自分に酔って演奏するのは、解釈を含んだ演奏とはイコールにならない。

自己発露させるな、と言いたいわけではない。

曲に自分を乗っ取られないよう制御しなければならないのだ。

 

それからもうひとつコツとして、体力作りが求められる。

中盤のオクターブで「デケデケデケデケ」弾くところ(こういうセクションなんて言うんだろう。ピアノ弾けないし知識も無いからわからない。無知って嫌だね)は指を開きっぱなしで「腕で弾く」部分だから集中力も必要だし、ここが終わっても終盤に向けて盛りあがりがあるから息つく暇もない。

だから「英雄ポロネーズ」は男性の方が弾くのに向いているのだ(これは僕の感想だよ)。男女で肉体的な向き不向きはどうしてもあるし、もちろん女性の弾く「英雄ポロネーズ」でも素晴らしい演奏はある。それ以外の他意は無い。

 

ピアノはまったく弾けないけれど、曲を弾くイメージだけは掴んでいるつもりだ。

 

僕がこれから「英雄ポロネーズ」を弾けるようになるには、なにをして生きていけばいいのだろう?

とにかくイメージを持つのは大事だと思うから毎日聴いてるけど、音楽は聴いてるだけでは演奏できるようにならない。当然、ピアノに触れねばならない。

だからまずはピアノを買う。

ピアノを買うために働く。毎日毎日、あきたりない労働をする。時には頭を下げることもあるだろう。泣きたくなる日もあるだろう。そうしてセコく、だけど誇り高く働かねばならない。

毎月買う本の量を抑えた方が良いだろう。ピアノ貯金が必要だ。

ピアノを置くために大きな家に住んだ方がいいだろうし、音漏れしてしまうから防音室を新居に設置せねばならない。電子ピアノでも練習はできるだろうか。

ピアノを買ったとてすぐに弾けるわけではない。練習しなければならない。独力では無理だろうか?たぶん無理なので、ピアノ教室へ通うはめになるだろう。

「バイエル」とかやんのかな。基礎からやるのだ。まず座り方。椅子の高さ。指の置き方。ピアノの各部の名称。ピアノの歴史。心構え。メモの取り方。歯の磨き方。

そういった過程の中で僕は「ヘ音記号」の存在理由を知るのだろう。そして僕は恥じるだろう。「なぜト音記号で統一しない?」と書いたことを。

僕はピアノを練習するだろう。何年も何年も。

 

そして僕はきっと気付くのだ。

気付きたくもないことに。

 

才能の限界に気付く前にピアノをやめた方が幸せかもしれない。

ヘ音記号がなんなのか一生わからないまま。