蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

大声の快楽

画『セッション』を見た。

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この映画を見て「大声でブチギレている大人はおもしろい」ことを再確認した。

ドラマ『半沢直樹』が面白かったのは、大の大人たちが言葉を尽くして相手を罵り策略を巡らした舌戦を大声で繰り広げ、血管が切れそうになるほど血圧をあげて怒りを全身で表現していた点にある。その部分が見る快楽と化し『セッション』にもそれと似たような状況が生まれていた。

「大声」の快楽である。

 

『セッション』はドラマーと指揮者の狂気がぶつかり合い演奏をとおして殴り合う、みたいな映画で、才能とはなにか、どこまでの狂気が一流を一流たらしめるのか、などいろいろ考えさせられ、最後の演奏シーンは監督がここを撮りたかったのだと思わせる迫真の演出で鳥肌が立ったが、それにしても画面右にいる指揮者が思いつく限りの悪口でドラマーの主人公を罵って精神をズタボロになるまで削っていくところが面白い。

主人公は被害者で可哀相だし「そんなこと言わなくてもいいじゃない……」と同情せざるを得ないんだけど、しかしながら指揮者の先生は偉大な演奏家であり、ときどきすごく優しくして主人公を懐柔させ、いきすぎた演奏指導も愛の鞭のひとつで先生が言うことは絶対的に正しいと思わせる、そんな思考停止へ陥らせるので主人公は抗えず自分をどんどん追い込んでいく。

思いつく限りの罵倒。語彙力豊かな罵声。見てて笑っちゃう。

「そんなに言う?」ってくらい言う。ここには書けないくらい叫ぶ。

主人公は可哀相だけど、正直、もっと罵られてほしかった。

 

フルメタルジャケット』のハートマン軍曹も罵りという点では最高だった。

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この映画は「罵り」によって軍人の精神を去勢させて、戦地で正気を保てるように正気を失わせるのが目的(?)なので、大声の罵声は全力投球だ。使命感を持っている。

映画の前半はハートマン軍曹の大声を楽しむためにあると言っても過言ではない。

 

洋画における悪口は、日本人とは異なる尺度の価値観が反映されているから勉強になる。「そのワードが地雷なんだ」と脳内にメモを取り、攻撃的な姿勢でなにげに異文化に触れているのだ。

一方で日本語でキレまくる『アウトレイジ』シリーズとか任侠ものも面白くて、セリフまわしに一定の様式美があるように思う。

美しい怒号、ドスの効いた声、切れ味、大声ひとつにも役者の技がある。

 

なぜ大人の大声が面白いのか、その理由のちゃんとしたところはわからない。

普段は大声を出さないこの抑制を、怒りを、鬱屈を代弁しているから、と説明するのは乱暴な気がする。

もっとシンプルなことで、大声を出す人間を見ることが一種のストレス発散になっている、そんなような気がしている。「大声」のフィクション性がストレス発散の快楽を生んでいるのではないだろうか。

日常生活で大声で怒られるのは絶対に勘弁願いたいけど。