蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

読書離れ期

本的に本を読むのは好きで、多いと月に10冊は読むのだけど(読書家としては多くない数だ)、少ないと月に3〜4冊になる。

明確に、本を読めなくなる時期がある。

文字を追う集中力がなくなり、読んでるとむしろイライラしてくる。なんで文字を追わないと先へ進めないんだ、と読書行為の根本的原理に対して否定が入り、居てもたっても居られなくなる。

居てもたっても居られなくなって、本を読むくらいなら、とやおら立ち上がり、豚肉を炊いたり、排水溝を掃除したり、グミをやけ食いしたりする。

YouTubeでクジラの死体が爆発する動画や、魚の神経締め動画をえんえん見たりする。強欲な料理動画を垂れ流して何も考えないでいたりする。こうするしかなくなってしまうのだ。

私は本当は本を読みたい。

本を読みたいけど、なにかそういう精神状態の時には本を読めない。

 

仕事の休憩時間は本を読むことが多い。

読書にはストレスを緩和するはたらきがあるらしい。実際、本を読むことで頭の中がすっきりする感覚を覚えることもある。気がする。

休憩時間くらいフィクションの世界に入って現実から離れ、心をリラックスさせる。サスペンスでも殺人事件でも、中世日本社会の村構造について述べた論説でも異常論文でも、仕事とは関係のない文字であればリラックスできる。

これは読書をしない先輩から言わせると「どうかしてる」らしい。

「仕事でもメールを読みまくって、海外の参考文献ページをGoogle翻訳したやつ読んで、手順書作ったり読んだりして……ずっと文字に触れてるのに、小説なんて読む気になれないよ」

本を読まない人がそう思うのも無理はない。理解はできる。

ただ、仕事で読む文書と小説はまったく異なるものだ。CMを見るのと映画を見るのがまったく違うことであるように。

閑話休題(この言葉使ってみたかったんだよネ)

今は読書離れ期なので、休憩時間中も読書に集中できない。

無音でクジラが爆発する動画と魚の神経締めを見ている。

リラックスできているかはわからないが、少なくとも飽きないコンテンツだとは思う。打ち上げられたクジラははやめに解体処理をしないと体内のガスが膨らんで胸ビレが地面に対して直角に持ち上がり、そのうち皮膚が裂けて はらわたが有毒な菌やバクテリアと共にまき散らされる。

 

2月は仕事のストレスが大きくて精神的にもつらく、夜はネットラジオを流しながら眠った。雑音がないとうまく眠れないのだ。雑音にまみれてないと余計なことを考えて頭が痛くなる。

こういう精神状態のとき、読書はできない。

読書は心の健康バロメーターだ。

いつかほんとうに心を病んだときに読書ができなくなってしまったら、それはなによりもつらい。