会社へ行く日は毎日同じものを昼食に食べる。
蒙古タンメン中本の「辛旨飯」と調整豆乳とサラダチキンバー、それからゴミをまとめるビニール袋3円でぴったり500円に収まる。
どれも好きというよりかは半ば義務的、いや、選択的不自由と言った方がいいかもしれない、とにかく、積極的に選んではいない。否応なしに選んでいる。そのほうがニュアンスは近い。
もちろん美味しいから毎日食べられるんだけど、美味しさと好きかどうかは必ずしも関係しないもので、いくら美味しいものでも毎日食べていれば気が狂いそうにもなる。私は気を狂わせそうになりながら、毎日毎日同じものを食べ続けている。
週の3~4日は出社しているので、一週間の半分強の昼食は同じもので固定されていることになる。
「ほかにも美味しいものはあるのに」と人は言うけど、こちとら昼ごはんに何を食べようかなんて迷っていられるほど余裕のある精神状態ではないのだ。なんとか息を止めて午前中を凌ぎ、これから長い午後の深い潜水に備えて昼休みの45分間は現実逃避に費やす必要がある。何を食べるかに脳のシナプスを消費している場合ではない。
どうせ何を食べたって仕事の合間じゃ美味しかったためしがないのだから、迷わずに同じものを選んだ方が効率的だ。
不自由をあえて選択する。
私の昼食は保守的かつ封建的な食のミニマリストなのだ。
このように私は食に対して極めてルーズで、一人で食べる場合にはまったくこだわりが無いので、悩む時間を減らすために同じものを食べ続ける習性がある。
丸亀製麺のぶっかけを食べ続けた一年があり、セブンイレブンの欧風カレーを食べ続けた半年があり、ガパオを胃に放り込み続けた冬があり、チョココロネを吸い続けた昼があった。
しかし、私がハマったものは私の前から姿を消す傾向にあって、丸亀製麺は潰れ、欧風カレーは一時期棚から姿を消し、ガパオは期間が終わって終了し、チョココロネは私好みのものではなくなった、そんな悲しい過去がある。
すべてはいずれ失われ、私はまた身を寄せられるものを探して彷徨った。
「辛旨飯」「豆乳」「サラダチキン」はそうして彷徨った末に辿り着いた答えだった。
最低最高最低最高最低。
毎日同じものを食べる。平穏。私の平穏はこのようにして保障されてきた。
しかし月曜日、いつものように3点セットを購入し、食べていたのだが、違和感を覚え、なんか味がよくわからなくなってしまって、結局半分くらい捨ててしまった。
さすがに5か月くらい同じものを食べ続けていたので飽きたのだろう。「辛旨飯」が単なる刺激物に成り果て、熱くて痛い沼を頬張っているみたいで苦痛だった。
そろそろ他のものに鞍替えした方がよさそうだ。
と、毎日思う。
毎日そう思いながら3点セットをレジに運び、クイックペイで購入する。流れるような動作で熱湯を注ぎ、共有スペースの座席を確保する。
「今日も同じ味だな。つまらないな」と思いながら食べる。
次の日も、その次の日も。
満腹感も味もすべて体に叩きこまれているので、近頃は購入する前から食べた気になっているほどだ。こうなったらもう食べなくてもいいのだけど、いちおう食べておかないと、と義務的に口に運ぶ。
私は一体なにをしてるんだろ、と悲しくなって涙が落ちればその塩気だけを覚える。そんな漫画みたいなことにもならず、淡々とお役所仕事的に口に運び、胃に放り込み、消化している。
奇妙な毎日だ。