蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

くさいくさいくさいくさい

曜の昼さがり、窓を開けていたら「ぷ~ん」とニオイが漂ってきた。

肉か魚が腐るようなニオイだ。

おれがハエだったら好みだな、などと楽観して窓を閉めどうせ隣の世帯がベランダに生ごみでも放置しているのだろう迷惑だなカラスに荒らされてしまえなどと空(くう)を睨みつけた。

しかし、この部屋に入ったニオイがなかなか抜けない。

リセッシュ。そして換気扇(強)。

私はそのとき、昼下がりではあったけれども、正味、ビールを飲んでいてたいへん気分を良くしていたところに腐敗臭がしたことにとても寛大な気持ちにはなれず、生ごみを放置する隣の世帯に対してかなりの敵愾心を抱いた。

おれが気狂いだったら。

おれの頭のネジがトんでたら。

私がまともな人間であることに隣の世帯は安堵すべきだ。

事実そういう度し難い人間はそこらじゅうにいるわけだから集合住宅というものは恐ろしく、このような安アパートに暮らしているとどんな怪物的人間に遭遇するかわからないから、ベランダに生ごみを放置したり日がな一日アエギ声を出したり深夜にわたってエアロビをしたりせず、周囲の環境を慮ってみんなが平和に気持ちよく暮らせるようにある程度の妥協も含めて大人の生活をしなければならないものだ。

それなのに隣の人間はベランダに生ごみを放置して私の日曜日のほろ酔いを台無しにする。

人権侵害だ。ちくしょう。ちきしょう。田を返せっ!

それにしてもくさい。

かれこれ5分は強モードで換気扇を回しているのにニオイがとれない。リセッシュと混ざってかえってニオイは脅威を増し、部屋の中は「臓物のハーブ詰め~日中放置熟成~」みたいになっていた。そこでハッと気づく。

これ、外のニオイじゃないな。

うちの中から出てるニオイだ。

隣のベランダに生ごみなど放置されていない。常識外れの狂った住人など住んでいない。ここにあるのは部屋の中の謎の腐敗臭と、被害妄想に憑りつかれた憐れな酔っ払いだけだったのだ。

なんてことだ。

私は這いつくばってニオイがどこからきているのか探った。

クンクンクンクンクンクン。

ゴミ箱。

ちがう。

さっき捨てたミントガムのにおい。やたらと甘いにおいがする。ゴミ箱は違う。

クンクンクンクンクンクン。

バスタオル。

ちがう。

くさいにはくさいのだが、これとはまた違うニオイだ。私のバスタオルは雑巾のようなニオイがするので体を拭いていると悲しくなってくる。洗ってるのに。。。

クンクンクンクンクンクン。

外。

夏の匂いがしてきたね。

好きだよ。

クンクンクンクンクンクン。

探索すること数分、私はニオイの発生源に思い至り、証拠を確認するまでもなく天井を仰いで「ジーザス……」と神に捨てられた子のごとく絶望していた。

原因は、魚焼きグリルだ。

先週の木曜日にイワシの粕漬けをグリルで焼き、すっかり掃除し忘れていたのだ。

イワシの脂が水を張ったグリルの底に溜まり、粕と相まって発酵を促し、度し難いニオイを発生させていた。最近暑いでしょ。当然ねばねばしてる。液体。

最悪すぎる。イワシはめちゃくちゃ美味しかったのに。こんなことになるなんて。

でもこのままにしておくわけにもいかないし、こんなことで引っ越すわけにもいかないので、泣きながらグリルを外し、丹念に洗った。

このグリルを外すとき、張ってた水がいくらかこぼれて最悪だった。

ジーザス……」

吐き気を堪えながら汚物にまみれたキッチンを洗剤で磨く。胃袋をひっくり返されるようなニオイ。なんか、兵器、という言葉が頭をよぎる。

不幸中の幸いはビールを飲んでいたことくらいか。

こんなの酔わなきゃやってられないよ。