デパ地下のケーキ屋に並ぶ。その日は妻の誕生日だったので仕事帰りにケーキを一房拵えようという魂胆であった。
目的の店舗ではケーキを誂えるにあたって例によって金銭の受け渡しが発生するのだが、客の並ぶ場所がすこしわかりにくくなっている。
ショーケースの前に並ぶのではなく、レジより少し離れた区画に並ぶスペースが設けられていて、前の客の会計が済むと店員に次の方どうぞと呼ばれて大股でショーケース前へ進むことができるシステムなのだ。
このシステム、並ぶ場所があいまいなところがあり、客はどこに並べばいいのかわからず、店員は逐一あちらへお並びくださいと案内せなばならなかった。
私は、結構、周りを見れるタイプなので、瞬時にハハンあすこに並んで待てばいいのだなと状況を把握、客らが混乱するのを尻目にいち早く列へ並び腕を組んで、フン、とか言って鼻を鳴らして得意にしていた。頭がおかしい人みたいだ。
まぁそんなことはしてないのだけど、私は正当に並んで店員に呼ばれるのを待っていた。
ケーキを売るというのは竹竿を売るのとは違っていちいち工程が多くて大変そうだ。
店員は、自宅用なのかプレゼント用なのか訊かねばならないし、プレゼント用ならそれが何を目的としているのか訊き、誕生日ならろうそくは何本必要か、プレートは必要か、リボンは何色にするか、訊く。
訊くのだけが趣味のケーキ屋なんておらず、そこから注文に沿った包装をせねばならない。さらに持ち運び時間に合った保冷材の選定に加え、商売なので勘定もする。箱の組み立て、ケーキの収納も。いちいちやることが多すぎる。
そしてなによりもケーキは繊細だ。私の涙腺のように。
振り回したり、ぶつけたり、リフティングなどすると簡単に壊れてしまうので扱いには注意して、店員は人形浄瑠璃よろしくゆっくりした動作で一歩を踏みしめて運ぶ。
当然、客の待ち時間は長くなるのだが仕方あるまい。
店員を観察しながら待っていると、ショーケースの前をうろうろしていた女性が列を無視して注文をはじめた。
中年の所帯じみた人で、ケーキを前にしてなぜか殺気立っていた。
当然の如く店員に「あちらの列にお並びください」と案内される。これはひと悶着ありそうだとワクワクしていたが、女性は意外にも素直に私の後ろへ回った。なんだと肩を落としたところで私が注文する番になった。
目当てのケーキを注文し、先にも書いたとおりの細かなやりとりをして、ローソクは何本必要なのか手の指と足の指を使って計算していたところ、件の殺気立つ女性がショーケース前に躍り出てきて大声で喚きはじめた。
「ずっと!並んでるの!誰も店員!声かけない!」
カタコトだったのでどうやら渡来人かとも思ったけど、怒りで我を忘れてカタコトになっている可能性もある。
私の注文は一旦中断され、女性の対応に追われる店員。
「あちらでお待ちください」と列を指す。それが災いした。
「ずっと!待ってるッッッッ!!!!」
「ですから、あちらでお待ちいただいて……」
「だからっ!!!!」
「ッッッッ!!」
「……!」
「🥺」
話は堂々巡りのドグラマグラ。言葉は通じるが話が通じない。
別の店員が助け舟を出してなんとか女性の怒りを収め、特例的に注文を開始していた。
女性は憤慨の態でショートケーキをいくつか注文した。憤慨して買うケーキというものがあっていいわけがないと思った。
この事件を通して思うところがあった。
みんな並んでるんだから我慢してそれくらい並びなさいよ、という気持ちがまず先立ったが、ああやって思いの丈をぶちまけて、結句ケーキを買えたのはすごいというか、この世はいくらでもやりようがあるのだな、と発見というか、気付きだ。
ケーキ屋の並びシステムはたしかにわかりにくいし、女性はそこに並ぶ以上の時間をショーケースの前で過ごしていたのだから、精神的には「めちゃくちゃ並んでるし待たされてる」状態になっている。
本当に外国人で日本慣れしていなかったとしたら、自分がコケにされて店側に不当な扱いを受けていると勘違いしたのかもしれない。
不当な扱いに対して声をあげる。
この女性の場合は、それが良い行動とは思えないけれど、本来、自分の一点視点でなにか不当な扱いを受けたと思ったときには我慢して言葉を呑むのではなく、あのように声を上げてもいいのではないか。
それならもっと生き方というものが楽になるんじゃないか。
なんだかなぁ、これっておれが我慢してるよなぁ、という事柄はいくらでもある。生活の中にも、政治の中にも、社会の中にも。
当然の権利として抗議していいのかもしれない。不当な扱いをされたと思ったら抵抗していいのかもしれない。暴力ではなく、言葉で。
私はこれまでの人生とこれからの人生で、どれだけのどれだけに対して言葉を呑むのか。
おれも爆発的に生きねばならない。
声をあげよう。
あの女性を擁護するわけではないけど、不覚にも自身の生き方について考えさせられたケーキ屋での一景であった。
いや、にしてもやっぱりあの客は面倒な輩だったよ。なんかほっこりした感じで終わっちゃったけど。ダメなもんはダメだ。