【面接の結末】
転職活動で企業から今週はじめに内定をもらっていたけど、もうひとつ別の企業の選考が進んでいたので一旦入社可否を保留にしていた。
その別企業の面接を受けて、内定をもらった企業よりも感触がよければ、内定は辞退するつもりだった。
とは言え、内定企業はかなりマインドが良かったし先方も私を気に入ってくれていたので、別選考企業がそこを超えて期待を持たせてくれるのは難しいと思われた。
でもせっかく選考が進んだのに面接を受けないと後悔する気もした。「あのとき受けておけばよかったなぁ」なんてくだらないことは絶対にあってはならない。
というわけで今週末、面接を受けてきた。
結果から申し上げると、先に内定をもらっていた企業へ入社したい旨と返答を先延ばしにしたことをお詫びするつもりだ。
面接を受けた企業はマインドが合わなそうだったし、この人たちと一緒に働きたくないなぁとひと目で思ってしまった。話もつまらなかった。
私はその日、健康診断でいくらか血を抜かれたことでフラフラしており、また食事を一切摂っていなかったので頭が回らず、受け答えも機転に乏しかったと思う。なにもかもがよくなかった。だいたい、部屋に入った瞬間から気に入らなかったのが駄目だった。
でも会社は綺麗でよかったし、天井が高くて換気は行き届いていそうだった。気に入ったのはそのくらいなので、面接結果が来たら場合によっては辞退することになる。
転職活動は続いて退職のフェーズに入る。思っていたよりもテンポ良く進んでいる。
【昔の悪口】
『スタンド・バイ・ミー』をアマプラで観た。妻は初めて、私は7年ぶり2回目の観賞だ。
名画だけどそこまでドラマチックじゃないし、エンターテイメントとしては実は難しい作品なんじゃないかと思った。淡々としている印象だ。おもしろいけど。
それにしても昔の映画、昔を舞台にした映画は台詞の悪口が興味深い。
「女か」「オンナオトコ」「母親とヤれ」など現代では考えられない罵詈雑言の数々。特に性別を利用した差別的悪口にはつい「炎上するぞ……」と不安になる。
「女々しい」という言葉も性別を利用したネガティブな言葉で、多分だけどゴールデンボンバーの「女々しくて」を最後に絶滅へ向かいつつあるんじゃないだろうか。
この曲が流行ったのが10年くらい前〜2015年ごろだと記憶している。それ以降日本でもジェンダー差別が意識に表層化されていったので、今後は「女々しくて」みたいな明確に言葉にされたものは出て来にくいだろう。
今や「男だったら」みたいな言葉にも注意がいる。
言葉を踏み潰し消しさることで特定の思考ができなくなるというのはオーウェルが『1984年』で書いていた。
暴力的な手段で言葉を消し、意識を変えるのではなく、歴史的な文脈とその理解を持って「その言葉を使わない」選択を一人ひとりが意識的にしていくのが大事なんじゃないかと思う。
嫌なことを忘れ去るのもまた歴史への冒涜で、人はすぐに失敗を繰り返すから、繰り返さないように忘れないのが必要なのだ。
綺麗事かもしれないけど、短絡的で暴力的な解決だけはしてほしくない。人であれ、言葉であれ。
【銃撃のダメージ】
安倍元首相が銃撃を受け、亡くなった。
いろいろ言いたいことはあるけど、なによりもひとりの男性が銃によって殺害されたというシンプルな事実が恐ろしく、悲しい。
テレビは安倍さんが襲撃を受ける直前の映像を流すのをやめてほしい。
これから死ぬ一人の人間の映像を流すことになんの躊躇もないのか。
一人の人間が死ぬ直前までの、生き生きとした映像を見て気分が悪くならない奴がいるのか。血にモザイクかかっていればいいのか。死の瞬間が出ていなければいいのか。
ちがうだろ。
見えない部分を補おうとする想像力は猛烈だ。
演説の動画、銃声、混乱、見えないからこその生々しさを感じ、最悪な気分になった。
私はすぐにテレビの線を抜いてしまうべきだったのだ。馬鹿だった。
せめて「これから一人の男性が銃撃を受ける映像が流れるので、不安な方はテレビを消してください」くらい言ってほしい。津波の映像が流れるときはそうしてるのだから。あるいはすでにそのような措置が取られているのかもしれないけど、これでもうしばらくは報道番組を見ないことに決めたので、知らん。
テレビ離れが叫ばれているけど、こんなテレビなら離れて正解だ。
うんざりした。
「情報から自己防衛を」じゃないよ。傷つくことが前提ならやめろよ。