チャーハンに苦手意識を持っていて、というのはチャーハンに襲い掛かられて怖いとか酷い言葉を投げかけてくるとか人権を侵害してくるとかじゃなくて、作るのが苦手で食べるのは大好きという意味。
チャーハン食べるの好き。
実家のほうに「古久屋」っていう街中華屋があって、そこでビールと餃子をやりながら食べるチャーハンが美味しくてね。
チャーハンの話なのにチャーハンの画像がなくて申し訳ないんだけど、このビールの画像だけでもなんとなく店の雰囲気わかると思うし、ここで出てくるチャーハンが美味しいだろうことは容易に想像がつくでしょう。
この店の叉焼が入っててね、ちょっと濃いめの味付けが食欲を掻きむしる。熱くてお米もパラパラで、食べる喜びって感じがするんだよな。祝福的なんだ。
かなり古いお店で店内の雰囲気も昭和、ガチ昭和、ちょっとした文化遺産。素敵な店だといつも思う。古びた店内だけど掃除が行き届いていて、物は大切に使われている。
チャーハン作るのは苦手。
苦手というか、絶品にできた試しがない。
特別なものなんて入ってなくて材料はコンビニで取り揃えられる「ザ・庶民の食べ物」代表格だろうけど、はたして上手に作るのは難しい。
作るたびに「なんか違うな〜」を痛感する。
それは、外で食べるチャーハンの完成度の高さが標準点として頭の中にあるからだ。
チャーハンって庶民食ゆえにナメられてて、どこかみんなのなかに「たかがチャーハン程度」みたいな風潮がある気がしてならない。チャーハンという存在が膾炙しているからこその哀れであると思う。
本当は、安中華屋の外チャーハンレベルであったとしても、家庭で美味しく作るのは難しいものなのだ。シンプルゆえの難しさがある。
外チャーハンのレベルを標準点として置いておくから自分で作った家チャーハンの出来にがっかりするけど、これはレストランのハンバーグを家で作ろうと思っても作らないのと同じことで、外チャーハンと同じものを作れないのは仕方がないしそこでがっかりする必要もない。
どうせ外には敵わないのだから、チャーハンを作るなら「楽しさ」を追求すべきだ。
チャーハンを作るのは楽しい。
なんといっても圧倒的火力。
コンロは「最強」に設定し、フライパンに油を注いで、なんかわからないけど「煙」が出るのを待つ、それも結構モウモウ出るまでだ。だから換気扇も当然「最強」に設定。
煙、熱、風。
狂気と混乱の中でチャーハン作りははじまる。
熱した油に溶き卵を入れる。ものすごいスピードで火が通る。ふわふわになっていく。ジビャァァアみたいな酷烈な音。すごい音。音楽のはじまり。
スピード勝負。米やら具材やらを入れてフライパンを振る。振りまくる。踊るように。嵐の夜の馬のように。火花が散る。
たまに静観して米をフライパンに押し付けてみるとよくて、こうするとパラパラになりやすい気がする。あとは時間勝負。
調味料。テキトーですいつも。
塩、コショウ、鶏ガラスープの素を砕いて入れる。鶏ガラスープの素は溶き卵に入れて溶かしておくといい感じになります。
また炒める。ひたすら。
米、全然パラパラにならない。
でもさ、パラパラが正義のチャーハンなんて誰が決めたんだろう。いいじゃない、多少水分があっても。正義ってなんだよ。たぶんこの世にないよ。
そう決めるとどうでも良くなってきて、そうだおれはチャーハンを作りたいから作っているのだと開き直ってこの状況、ライブ感が楽しくてなってくる。
チャーハンを食べるのが目的ではなくて、作るのが目的だったのだ。
熱、煙、風、音。
チャーハンが作ってていちばん楽しい。
そうして出来上がったチャーハンはいつも完成度がバラついているのだが、作るたびに上手くなっていく実感はある。確実に前回よりも美味しくなっている。確かに実力がついている。
そう思えるくらいでチャーハンの出来としては充分で、美味しいものを食べたければ王将でも行けばいいのだ。
チャーハンの目的は、作ることだから。