長い小説は苦手だ。
その理由は二つあって、私は読むのが遅いから読み終わるまでに長大な時間がかかり疲れるということと、読書のなにが好きかって「読み終わる瞬間」が好きなので、その最高の瞬間までにやはり時間を要して焦らされる気分になるということ。
読むスピードは読書をよくする人の中ではたぶん遅いほうで、月に10冊読めればいいほう。その10冊というのも400ページを超える長いやつは入れないで。
読書において好きなポイントはいくつもあるけど、正直に申し上げて読み終える瞬間が一番好き。もちろん物語が終わってしまう寂しさはあるけど、なにかひとつの世界を制覇したかのような達成感があるし、物語の余韻に浸る時間の、あの春の渚に足を浸しているような静かで美しい気持ち良さがたまらない。すーっと世界から目を覚ましていくときの軽い瞑想感。どんな物語でもその読後感がリラックス効果と魂の回復を促してくれる。
それだから短い本が好きだ。
短編集とか中編作品ばかり好んで買って読んでしまう。
長編は読むのに時間がかかるから読んでるうちから記憶が薄れていくばかりか、この長い時間を使って短い本を3冊は読めたななんて思うとやるせない。
ただしそれは、つまらない長編を読んだときの話。
夢中になって時間を忘れて没頭する長編作品に勝る良質な読書体験は存在しない。
ホリー・ジャクソン 著、服部京子 訳『自由研究には向かない殺人』を読んだ。
この長編もそんな「夢中になれる作品」だった。特に後半からは怒涛の展開の連続で、最高のサスペンスミステリーとして楽しめた。
自由研究課題で5年前の誘拐事件と殺人事件の真相を探ることにした女子高校生のピッパ。過去の報道関係をさらい、SNSを駆使し、時には危険に身を晒して真相へ迫っていく。
SNSを使う場面がかなり多くて、過去の写真やネット上の発言が真相解明への糸口になる。SNSを利用した推理はあまり見たことがない(私が寡読なのもある)し、ここまで中心的にSNSを捜査の足とするのは現代的で若者的で、それが象徴的でもあった。警察の捜査じゃないので、高校生が自分のできる範囲でできる限りのことをしている感じがする。
ネット上の発言は気をつけなければ。いつ探偵が現れるかわからない。
主人公のピッパは知識の鬼で、どんなことでも雑学的に知っている。それで周囲をキョトンとさせるのが得意だ。
ただどんなに知っていても、たとえGoogleでいくらでもなんでも調べられても、事件の真相には誠実で論理的に思考し行動しないと辿り着けない。知識もGoogleもSNSもそのための道具でしかないのだ。
便利な時代だからってなんでもできると思ったら大間違いだ。道具を使うには、道具を使いこなすための知識とか経験とか教育が必要で、指先ひとつでなんでもできるからって何もしなくて自分が賢くなれるわけじゃない。
だから勉強をして、体系的な知識を身につけたり、基礎知識の学習を踏まえて思考力を鍛えねばならない。
作品のうちにこういった示唆がいくつかある。
人種差別、性差別、性暴力、客観的観測と尊重、本当の悪とはなにか、仲間を想うということ、家族を愛するということ。
読んだ人の経験によって物語の受け取り方は変わってくるから、人の数だけ物語は存在できる。この作品を読んでみて、あなたはどんな示唆を受け取るだろう?
って、そんな問題提起の自由研究は野暮かもしれない。
ところでタイトルの訳文が素晴らしい。
原題は『A Good Girl's Guide to Murder』