妻が夜に留守なので、夕飯は私一人でテキトーに済ませる。そんな日がたまにある。
ま、寂しいけどさ、自分の好きなものを自分の金で楽しめる、と思うと、こういう日も悪くないというか、月に一回はあると嬉しいもんだ。素直に。
あーなに食べよ。
ラーメンに死ぬほどニンニク入れてやろうかな。激辛カレー食べに行こうかな。パック寿司にしようかな。ウーバー頼んでもいいし、どっか食べに行ってもいいな。
などと思いながらもとりあえずスーパーを物色していると、肉コーナーにて和牛サーロインが4割引だった。
だいたい850円(税込)。
なるほどね。
そういえば牛肉のステーキを焼いたことがないな。
肉を焼くくらい簡単に思えるが、プロの界隈では肉の熟成度合いの調整から調理が始まるような、見た目に反して高尚な世界なのである。肉の部位ごとの特性を熟知し、スパイスの配合、岩塩の鮮度などにも気を配り、肉を焼くのは最後の工程に過ぎないのだ、なんてことが書かれた本を読んだ覚えがある。
そして焼きには、レア、ミディアム、ウェルダンの種類がある。厳密にはもっと種類があって「ブルー」というのは聞き慣れないだろうが、ほぼ生肉の状態で血が滴るほどのものだという。
火加減にこそプロ熟練の技術が必要だ。
850円……850円か……
ウーバーイーツでちょっと頼んでも1000円くらいはする。それと比べてステーキが850円ならこっちの方がいいんじゃないか?
料理をすると精神衛生にひじょうに良い効果をもたらす。ストレス発散になる。デカい肉を焼けばストレスもより発散されるだろう。
決めた。
私はステーキ肉200gをカゴに入れた。
肉だね。
圧倒的に肉。
これにフォークなどで穴を開けてやわらかくするのだが、イマイチ効果を期待できそうにない。
家で焼くステーキ肉って、実家で食べた時もそうだったけどやたらカタイんだよな。いくらフォークで刺しても。その原因はそもそも安っすい肉を使ってるのが問題なのだけど、それにしてもだ。
とにかく祈りを込めて肉をめった刺しに処す。
牛脂をフライパンに溶かして肉塊を焼く。
煙、におい、脂。
こうなるともう戻れない。緊張する。
一枚きりの肉、失敗すれば850円を無駄にしたうえに不味いものを処理せねばならず、私はもちろん空腹のままで、それを慰めてくれる妻も今夜はいない。
ものすごい音と共に肉はみるみる焼けていく。目指せミディアムレア。
ひっくり返す。焼き加減なんてわからない。レシピサイトには「指で押してほんの少し返してくるような弾力が出てきたらミディアムレアくらい」と書かれているけど、熱した肉を指で押せるか?正気か?
わからないので菜箸でぎゅっと押してみて、なんとなくでもういいかと皿に上げた。
付け合わせのナスと共に。
ソースは玉ねぎソースを作った。ソースだけ買うの勿体無いんでね。家にあったもので作った。
運良く焼き加減もうまくいった。
食べてみるとやっぱりカタくて、でもこの安っぽい肉加減がなんだか嬉しくて美味しかった。玉ねぎソースをうまく作れたようで肉の旨味がよりジューシーになった。
ステーキには野生的な血を沸かせる感じがある。肉塊を目の前にしているからだろう。肉を食べているッ!と叫んでドラミングしたくなる。物を壊したくなる。土を掘り返したくなる。花を愛したくなる。空の広さなんて知らないままでいいと思える。とにかくサバンナのように野生的な気分になる。
こういうときは男一匹がいい。
たまにはこんな夜があってもいい。
追記
妻と食べる方が美味い。