蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

一緒に暮らすということ

2年も一緒に暮らしていると妻が次に何を言うかわかってくる。

妻はおよそ30種類くらいの相槌(彼女はこれを"鳴き声"と称してる)を駆使して会話を成立させるので、そのパターンと組み合わせにさえ慣れてしまえば次の一手が読めるし、逆にこちらの会話の振り方で妻にどんな相槌を打たせるかコントロールするのも可能だろう。わざわざそんなことはしないけど、やろうと思えばできないこともない。要領は簡易的なメンタリズムだ。

2年も一緒に暮らしていれば同居人の思考を読み取るなんて魚を3枚におろすより造作もないことだ。

キーだの、キャホだの、うーっだの、相槌は赤子の口にする喃語に近いのだけど、その調子によって妻の気分や会話への興味度合いや体調までも推し量れる。一緒に生活をするとはすごいことだと思う。

妻は、自宅では喃語を使ってそんな様子なのだが、外ではしっかり者として通っており、一歩外に出ればなんかデキる女感を漂わせるというか、気の利く人っぽくなり私を置いてけぼりにする。逆に私は外ではダメ男感が出てしまい、シャカリキした妻の横に並ぶとどうしてもヒモ男の体たらくとなる。本当にヒモになれるならそれでいいのだけどと、2年にわたり妻を説得しているが実現する日は永遠に来なそうだ。

 

なんにせよ家ではリラックスしてくれているようだ。

私はつい甘やかしてしまうので、私が彼女をこうしてしまった反省もあるのだが、それでもついつい甘やかしてしまう。私は子育てに向いてないだろう。

それにしても彼女のこんな姿を見られるのは宇宙に私一人だけ。結婚してよかった。