近所の図書館に行ってきた。
前々から図書館があるという噂は聞いていたのだが、まさか本当にあるとは思わなかった。
それは欅の大木に隠れてひっそりと、せせらぎを流すかのように涼しげに、川のそばにたたずんでいた。
決して古い建物ではないが新しくもなく、あとから付けたような長いスロープが道路に面していて、薄茶色の、いかにもどの人にとっても害のない見た目をしていた。定規で線を引いたかのように四角く、建築物としての面白味みたいなものは、学のない私からすればどこにも見つけられそうになかった。
なにか調べ物があったわけではなくて、ただなんとなく、噂を確認しにきただけだ。噂どおり図書館の存在を確認でき、一安心だった。
私の街にも、図書館はあるのだ。
その機能や規模はどうであれ、子どもの頃から、街に図書館があるというのはひとつ誇らしいことに思っている。冷蔵庫にメロンがあるのと同じくらい。
所蔵数は10万冊とも20万冊とも聞くが定かではない。少なくとも一生では読みきれない量の本がこの四角い体積の中にあることだけは確かだった。
自動ドアをくぐると高い天井がまず目に入る。
でもシャンデリアがあるわけではなく、要するに吹き抜けになっているだけなのだが、空間に広がりがあってのびのびとできそうな予感を生む。私は高い天井が好きだ。体を大きく広げたくなる。
平日だというのに以外にも混雑しており、文芸コーナーは座るところすらなく、逃れるように私は児童書コーナーへ向かった。平日の児童書コーナーは空いている。みんな学校へ行っているのだ。ゾロリが読み放題である。
気になったタイトルの児童書を手に取り、空いてるベンチに腰掛けた。子ども用の椅子は小さすぎる。
イラストが挟まれてはいるものの、簡単な漢字にはフリガナもなく、比較的文字も小さめだ。たぶん小学5~6年生くらいが読むものだろう。
読みはじめると児童書とはいえ存外解釈が難しくて、伏線回収も多く挟まれていたため何度も読み返し、結局読了までに一時間半も要した。いまだに釈然としない点も多く、はたしてあのラストはそれでよかったのかと悶々する。
奥の方の棚には地元に由来のある偉人図書コーナーも設けられていた。
その偉人に私は詳しくないのだけど、街がその方を推している様子は前からうかがい知っていた。名手というか、なんかすごい人だ。たぶん小中学校でその偉人の研究学習みたいなこともやるんだろうな。
一冊手に取り開いて見ると文字が小さくてびっくりした。いや、まぁ、普通サイズなんだけど、児童書のあとだと小さく見える。イラストもほとんどないし、こんな本のなにが面白いのだろう。
蔵書の充実度は期待していたよりか多くないけど、絶対に自分では買わないような辞書や図鑑、アートブックが多数あったので暇なときに遊びにこようと思った。
図書館ではそういった絶対に自分では買わない本を読めるので重宝する。いきなり古今和歌集全文の翻訳を読みたくなっても15分歩けば無料で読めるのだ。電子工具の部品名を体系的に知りたくなったら辞書コーナーを探せばきっと見つかるだろう。インド美術の図鑑もある。
街に図書館があるって、すごく素敵なことだ。冷蔵庫に種無しブドウがあるくらい。