蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

天気を晴れにする方法「とにかく祈れ!!」

9月のシルバーウィークあたりで新婚旅行に行こうと決めたのが8月初旬で、それから計画を練って、行き先決めて、宿取って、そんで、9月18日~23日で北海道へ行ってきた。

旅行において私たち夫婦には「雨に見舞われる」きらいがあり、どちらかが雨に好かれているかもしくは二人揃うと雨に歓迎される傾向にあるため、それはそれはずいぶん前から北海道の天気には気を配っていた。

思い返せば沖縄に行ったときも雨。草津は大雪。京都も雪。箱根も雨。長崎はやはり雨。ついぞ全日程にわたって晴れ渡った記憶が無く、記念写真はすべて傘の中か曇天の下ばかりで笑顔も晴れやかではない。

北海道旅行は新婚旅行だ。なんとしても晴れてほしい。晴れなければいけない。

晴れなければいけないのに。

これは旅行1週間前の、移動予定の現地天気予報である。

この時点で「ああ、今回も雨か」と少なからずショックを受けた。

少なからずというか、けっこうショックだった。

まぁ、いつもこんなもんだしな。ははは。人生そんなもんで今までやってきたし、期待通りだったことなんて一度もなかったじゃないか。別になんだこんなことくらい。そうだなぁ、もうあれだな。死ぬか。

などと腐った気持ちになり、ちょっとだけ、泣いた。

私は今までそれなりに頑張ってきたつもりだ。

盗みをしたり人を陥れたり放火なんてしたことない。転職活動だって頑張ったし、自分の人生がこんなんでもより良くなるように努めている。妻を大切にしているし、駅で困った人がいたら率先して助けてあげている。老人と子どもと犬と猫には優しくしている。自然を愛し、環境問題にも真剣に取り組んでいる。紙ストローに文句を言ったことない。それなりに徳は積んでいるはずだ。

それなのになんだ、この仕打ちは。

神はいないのか?

ひとときのご褒美すら祝福してもらえないのか?

糞が。

私は天に向かって唾を吐いた。唾は放物線を描きベランダから下の階に落ちた。ざまぁみろ、とほくそ笑んで、虚しくなって、また少し、泣いた。

唾は吐いてないけど、そんな気持ちだったわけだ。

妻もふとしたときに目頭を押さえていた。

 

***

 

でも、雨が降ったとしても雨が降ったなりの楽しいことはあるだろうし、不幸よりも幸せを考えて、憂鬱な事柄よりか楽しみな事を膨らませた方が心に健康だ。一日経って私はそのように考え方を切り替えた。

雨、降っても大丈夫よ。妻と二人ならきっと楽しめるしね。晴れたらラッキー程度に思っとこうよ。私はさも楽観主義者のように旅行までの一週間を過ごすことにした。

しかしこれは虚勢だ。

いったい何のための虚勢かというと、私の中の天邪鬼な神様へのアピールなのである。

天邪鬼な神様は人が「こうしてほしい」と願った逆を叶えてしまうおとぼけさん(はっきり言ってクソだよコイツ)なので、やたら無防備にしてお願いをすると目をつけられて、例えば「晴れますように」なんて手を合わせているとヨユーで雨を降らせてくる。

無防備に願うとコイツに付け入る隙を生じさせてしまうのだ。そこで、「雨降っても余裕ですよ」アピールをあえて見せることで「この男の願いの逆を叶えてやってもつまらないだけだな」と思わせるよう仕向ける。その隙に本当の神様に晴れるようにお祈りするのである。

また、虚勢を張っておくことで自分の心にも保険をかけておく効果がある。

言葉ははじめ「嘘」であったとしても唱え続けることでなにか実体のような「重さ」を持ち始めて、最初は虚勢であった言葉の魂がそのうち洗脳の如く本当に「真実」に思えるようになるのである。

天邪鬼な神様と自分へ向けての虚勢。

まずは心にもない姿勢を示し、ときには会社の人に「いやぁ、雨なんすよね。わはははは」と笑ってみせたりもした。

 

そして順当な神様への祈りも欠かさない。天邪鬼への隙を伺い祈祷を決行する。

一日三回、朝・昼・晩、きちんと手を合わせてやる。朝は柏手も打つ。

それも、屋内では意味がない。外、もしくは窓を開けてやる。

また、心の中で祈りを唱えても意味がない。ちゃんと思いは口に出す。言葉にする。早口でも小声でもいい。きちんと音にして届ける。

そして何よりも大事なのが、誠意を持つこと。馬鹿馬鹿しいと思わず、本気でやること。家でお祈りをするときは敬虔なクリスチャンにように跪(ひざまず)く。

「神様、どうかお願いします。北海道旅行、どうか晴れを与えてください。なにもすべて晴天である必要はないんです。必要なときに雨を降らせないでください。私はこれまで頑張って生きてきました。これからも誠意をもって生きることを誓います。神様、どうかお願いいたします」

会社でももちろん祈る。ビルの裏手の人があまりいないところで空を仰いだ。

 

私の祈りは功を奏した。

天邪鬼の神に。

旅行の2日前に台風14号が発生した。

気象庁|過去の天気図(1日表示)

最悪だ。

初日の函館、翌日の札幌、三日目の小樽は壊滅的だった。4日目以降の富良野・美瑛も芳しくない。

「神よ……!!」

もう天邪鬼の神様の相手なんてしている場合じゃない。なりふりかまわず四方八方、思いつく限りの神様に祈りを、とにかく祈りを捧げた。

「もう、旅行が終わったら、多少健康を害しても構いません!!!(コロナにはなりたくないけど)どうか!どうか!!」

私は健康を生贄に三跪九叩頭して日がな一日祈りまくった。

人は天気を操れない。神に頼るしかないのだ。

あまりにも無力で、なんと拙い生きものだろう。

 

***

 

旅行当日。

出発の朝、東京上空には雨雲が広がっていたが、フライトの時間になって降り始めたので移動中は幸いなことに濡れずに羽田まで辿り着けた。

函館は到着時、曇り。五稜郭タワーに登った昼過ぎからぽつぽつと雨が降りはじめる。

でも降ったり止んだりで大雨じゃないので、移動のストレスはあるものの観光にそこまで支障はなかった。

夜景もギリギリ見れた。

本当にギリギリのラインだけど……。

函館山から下山するときに大雨になって、麓に着いた頃には頂上が見えなくなっていたのでタイミングが運良かった。

 

翌日、札幌は終日の雨だったが、函館空港から新千歳空港まで無事にフライトできたし、行った場所も屋内施設の「白い恋人パーク」だけだったので問題なかった。

arimeiro.hatenablog.com

なによりも、夕飯はサッポロビール園でジンギスカンを食べたのだが、その移動中には雨が降らなかったのは僥倖だった。あれだけ雨が降っていたのに移動のときには降られない。

このとき私は、祈りが効いている、と確信した。

夜パフェも無事に食べれた。

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三日目、小樽。

小樽は徒歩移動がメインになるので絶対に晴れてほしかった。雨の中一日中観光するのは正直しんどい。

めちゃくちゃ晴れた。

すごくないですか?

台風がなんか消滅して天候が形勢逆転したのだ。

 

祈り、効いた。

マジだった。

神様。

サンタマリア。アッラー。エロイムエッサイム。

風が冷たくて悪寒が止まらなかったし、口の中に違和感があって特大の口内炎ができ始めたけど、それはおそらく生贄に捧げた健康の代償だったのだろう。でも晴れには代えがたいじゃないか。

 

翌日の富良野も美瑛もよく晴れてくれて、景色を堪能できた。

ホテルからは雄大な十勝連峰が望めた。

テルマン曰く、ここまでくっきり山々を見渡せるほどの晴天は珍しいらしい。

「かなりツイてますよ」ホテルマンは得意げに山々を説明してくれた。

「ケンとメリーの木」と呼ばれている30メートル級のポプラの木。

昔のCMで出てきた名所らしい。

めちゃくちゃ晴れてて風が乾いてて気持ちがいい。

美瑛の景色は本当にすごい。ドライブも気持ちいい。

みんなも行ってください。心が洗われるような美しい景観なんです。

神に感謝。

 

最終日は旭川空港から帰る予定で動物園でも行くかと話をしていたのだが、この日だけ堰を切ったような雨が降った。

とても動物園で動物を眺める余裕のない雨だったので、予定を変更してチーズ工房へ行ったり、ガラス細工を作ったり、ジャムを買いに行ったり、屋内施設を転々と移動した。

でもなんら問題はない。よくぞ天気よ、ここまでもってくれたものだ。

私たちは与えられたものに対して最大限の感謝をしなければならない。

 

***

 

代償として口内炎を得たけれど、北海道旅行は半分を100点満点の晴天で過ごせ、もう半分も大雨に見舞われて濡れネズミになるなんてこともなく過ごせたので充分、祈りの効果はあったと言っていいだろう。

帰宅してすぐ、神様に感謝の言挙げをした。

跪き、手を合わせ、深く頭を下げた。

このブログも神様への感謝として捧げる。

 

もしも楽しみな予定が雨で潰されそうになったら、とにかく真面目に祈ってみてください。できれば一週間は祈りを捧げた方が好ましいです。

信じろ、神を。おれらのそばに、ついている。