蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

本能に忠実なれ

気のアナウンサーが「一般男性」と結婚したニュースの中に、お相手は資産15億円のベンチャー企業社長という情報があって、私は、やるじゃん、と感心した。

私は、女が、金持ちの相手と結婚するのが、たまらなく好きなのだ。

そのネットニュースのコメント欄を見ると「結局お金ですか……がっかりしました」「所詮女は、男の金のことしか見てないんだ」といった、自分が金さえ持っていれば出てこないであろうコメントがちらほら散見された。

なにをそうがっかりするものか、もっと見方を変えるべきだと説きたい。

 

私たちの社会は経済を中心に回っており、そのガソリンとなるのが資本、つまり金である。

社会的な強さというのは、太古であれば体の強さを示すことで得られるものだったかもしれないが、現在は経済力がかなり強大な力を持っている。

女は本能的に強い男を求める。(そうじゃない人ももちろんいる)

強い男とはなにかというと、いまの時代「社会的な強さ」≒「お金持ち」と言っていい。

人間(オス)にとっては「社会的な強さ」が人間(メス)へのアピールポイントとなるわけで、強ければ強いほどより優位に繁殖活動をすすめられる。一概にそれだけではないけれど、「魅力」のうちかなり大きな部分を占めるのが経済力の強さなのだ。強い男性と一緒になった方が生き残る確率は高くなるし、繁殖も安定する。だから女は強い男を求める。

こう書くと、某アナウンサーがなにかそういった部分しか見ていない、邪知の塊かのように見えてしまうかもしれないけど、当然本人に言わせればそんなことはないだろうし、人間的に惹かれる部分や彼といて心安らぐなどの理由もあるだろう。でも、彼がお金持ちだから、という魅力も感じていたはずだ。

 

女が社会的に強い男についていってしまうのは、男が若い女やヤれそうな女にホイホイついていってしまうのと同じようなことだと思う。

本能なのだ。

こんな話は綺麗事ではないかもしれない。

でも、本能は動物的で自然なことだから仕方がないと思う。

むしろすごく健全な感性じゃないか。社会的に強くて、しかも自分とは気が合って、あわよくば容姿も良かったらもう言うことなし。

この本能が失われて相手に求めるものが「優しさ」とか「誠実さ」だけになってしまうほうが不気味な世界だ。

本能の嗅覚を鋭く研ぎ、自分のもつ魅力を磨いて、できるだけ強い男を手に入れようとするのは健全な動物的な状態である。

 

だから、うまいこと金持ちと結婚した人を見るのは好きだ。

おっ、本能働いてんね、と柏手でも打ちたくなるものだ。本能に忠実にうごく人の健全さはなにかめでたいものを見たような気分にもなってくる。

こんな美人で聡明で友だちにいてほしいような素敵な人でも結局本能には抗えないんだな、の、「結局」の部分になにか、興奮してしまう。好きな人の普段は見えない部分が見えたときのような興奮だ。私は変態です。

でも逆に、4,50代の男が20歳くらいの女と結婚するのはなんだか気持ちが悪いと思ってしまうのは同族嫌悪なのだろうか。

それに、「結局金持ちかよ……」とコメントした人の心情もとてもよくわかる。なぜなら私が金持ちではなく、社会的強さの面で圧倒的に負けているから。

 

結婚の理由は本能だけじゃなくてもっと多面的で、断定するもんじゃないし、内容的に仕方なく女が、男が、と主語が大きくなってしまったことをご了承願いたい。ここで言いたいのは「でも本能もあるよね」という、あくまで一面を指摘したいだけである。

それに幸せになれるかどうかはお金や地位がすべてじゃない。