蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

岡田悠 著『1歳の君とバナナへ』を読んだ

今週のお題「最近おもしろかった本」

 

年の6月に結婚して、結婚式は来年の5月にあって、それが済んだらとりあえず夫婦としての所定の儀式はひととおり完了するのだろう、と思っていて、病めるときも苦しいときもあるだろうけど二人はこれからも健やかに平和に暮らしていくのでした、ちゃんちゃん、で終わり。

とはならないだろうな、となんとなく思ってもいる。

子どもを作る、子どもを産む(産ませる)、子どもを育てるフェーズに移行していくかもしれない。

 

自分は子どもを欲しいだろうか?

子どもはいなくても充分に幸せな生活を送れるだろう。私と妻ならきっとうまくやっていける自信がある。

でも、子どもがいてもうまくやっていけると思う。私は家族を守るために奔走し、怒り、笑い、泣き、生きるだろう。

結局のところ授かりものだから、どっちになってもいいとは思っている。だいたい、生命を作るかどうしようかなんて烏滸がましさすら抱く。

それにしても平成7年生まれの自分がここまで生きてきた肌感だけど、生きててよかったことって人生のおよそ2%あるかないかくらいで、残りの50%がつらいこと、48%がどうだっていいことにまみれている。

実家の家庭環境はかなり悪いほうでそれなりに苦労もしたけど、それでも「つらいこと」が50パーくらいなんだからまだ幸福なんだろう。能天気な性格で良かった。

もっともっと苦しんでいる人はいるだろうし、99%酷い人生だと言う人もいる。

生まれることって、幸せなことなのだろうか?

個人的な感想だけど、どちらかと言えば不幸なのだと思う。

もしも子どもができたとき、そういうふうに考えている私なんかが親になれるのだろうか?

「生まれたっていいことないよ。お母さんは生きてきたことをずっと後悔してる」とむかし母は言った。

どちゃクソ不幸な人生を歩んできた母らしい言葉だった。だいたい私も同じ感想を持っているので親子だなぁと思う。

でも、それじゃあ、なんで母は、私と妹を生んだのだろう。

 

自分に子どもができたとして、私は父親になれるのかどうか不安だ。

父親が父親になるためには法的に「認知」しなければならない。

だから極論、生まれてきた赤子を抱いても自分の子どもではないと言い張れば父親にはならないのだ。

お母さんは10か月も赤ちゃんを自分のお腹の中に入れてるわけだから認知もなにもなく、動物的に、生物的に、生命的に、本能的に、母親になれる。

ずるいよなぁ。

お母さんと子どもの絆ってリアルにへその緒で繋がっているわけで、そこに父親は介入できない。

お母さんになる方法が動物的なものだとするなら、お父さんは社会的なつながりでしかありえない寂しさがあるのだ。

もちろんお母さんがお母さんになるには精神的な成長や大変な子育てをしていく過程も必要だけど、お父さんはそのスタートラインにすらなかなか立てないのだ。だって妊娠しないから。

そんな不安が岡田悠さんの著作『1歳の君とバナナへ』にも書かれている。

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まだ小さい小さい赤ちゃんのエコー映像を見て、岡田さん夫婦は「お~」とか「不思議だったね」なんて感想を口にする。まだ親になる自覚がない、と岡田さんは感想を抱く。

だが、奥さん(作中ではアミさんと呼ばれているのでここでもそう書く)はつわりがはじまったことで身をもって赤ん坊の存在を己の体の中に知ることになる。それはもう、知るというよりも「体験」だ。その頃に撮ったエコーでは赤ん坊は2センチほどになっており、岡田さんは『このちっぽけなそら豆に、動く心臓があるのが信じられなかった』と思うのだが、アミさんは『可愛いね』と言うのだった。

ここに「父親になること」と「母親になること」の決定的なスタートラインの差がある。

岡田さんはいろいろ試行(思考)錯誤しながらも「親になる覚悟ができたのかどうかわからない」状態でアミさんの臨月を迎える。

お母さんとは違って、お父さんはどうしても傍観者にならざるを得ない。そう書くと語弊があるようだろうけど、お腹を痛めて重さを感じ内側から蹴られる生命力を実感しない父親は、赤ちゃんについて知識を蓄えても、一緒に出産準備をしても、お腹に毎日手を当てても、母親より一歩引いた立場になってしまうのかもしれない。当事者でありながら当事者になりきれないのだろう。

それでも岡田さんは、おなかの赤ちゃんに「君」と語りかけ、こう書いている。

『親になる覚悟ができたのかどうか、わからない。けれども僕は、日に日に君に会いたくなっている。会いたいという理由だけで、これから君に大変な旅をさせることになる。』

この一文になんだか胸を救われた気がした。

 

コロナ禍での結婚、そして妊娠、出産、子育て、それが面白おかしくも切実に、率直な文体で「お父さんの視点」から書かれている。

岡田さんは一年近い育児休暇を取得しており、それもかなり興味深かった。

日に日に成長する赤ん坊のそばにいられないなんて、たしかにこれほど残念なこともない。私も子どもができたらその成長を間近に感じていたいと思い、ひとつ知啓だった。

父親になるとはどういうことなのか。親とはどうあるべきか。その答えがこの本に書いてあるわけじゃない。

父親になるなんて、正解もなくて、ずっとあたふたしながら手探りで、岡田さんは日々発見をしながら赤ちゃんの成長を楽しみ、ときに苦労し、さらに苦労し、がむしゃらに子育てに奮闘している。

素直にそんなさまが書かれているからこそ、父親になるって、親になるって素敵なことだと、私は思えた。

 

そういえば、母がこんなことを言っていたのを思い出した。

「生きるのはつらくて、生まれてきたことに後悔しかないし、はやく死にたいとすら思ってるよ。でも、あなたたちを生んだことに後悔はなくて、むしろこんなお母さんの、人生の、唯一の誇りなんだから」

子どもを産む理由は「会いたい」とか「誇り」とかそういうことでいいのかもしれない。

その感情に、そして生まれてくる子に、無責任なんかじゃない。