休みの日に、妻と近所のとんかつ屋へ行った。
ここで食事をするたびに、このとんかつ屋が近所にあって本当に良かったと思わせてくれる、そんな店だ。
商店街の一角に店を構え、余計なものはひとつも飾らない。暖簾が出ていればやっているし、出ていなかったらやっていない、並ぶスペースすらない。満席だったら、並ぶスペースがないのでその日は諦めるか、商店街を一周してまた様子を見にくる他ない。このやり方にはなにか一徹した思想を感じられる。
暖簾をくぐると「いらっしゃい」と小気味の良い声がすぐに飛んでくる。大きすぎず、小さすぎず、長すぎず、短すぎない、完璧なリズムとタイミングだ。あ、歓迎されてる、とここの暖簾をくぐればあなたもきっと思うだろう。
店内は狭くて、それがいい。
フードコートのように広いとんかつ屋ほど無粋なものもないだろう。とんかつ屋はなるべく狭いか、テーブルごとに仕切られているほうが良い。とんかつを食べるという行為は内省的な営みであるからだ。
狭いけれども綺麗なのがまた好ましい。
よく、下町にある店なんかで、小汚い定食屋は美味しい、みたいな観念がなくもないけど、汚くてまずい店はいくらでもあるものだから、それならば綺麗な方がよっぽど好ましいに決まっている。ここで言う綺麗とは年季が入っているうんぬんではなく、調度品や壁紙や床に掃除が行き届いていて丁寧に使われているかということで、そういう風に清められているとお客である私たちも大切にされている感じがして気持ちがいいものだ。
この店では私たち客がとても大切にされている。
私はいつもひれかつ定食を注文する。
脂身の甘みを楽しめるロースも好きだけど、ひれかつのほうがもっと好きだ。
ひれかつはひどい店だとパサパサしていてあまり旨味がないものだが、ここの店では違う。従来のひれかつの常識を覆すほど美味しい。
肉厚でジューシーで、香ばしい衣のざくりとした食感のあとすぐに、肉本来の旨味がはじけるのだ。それはもう、肉に何らかの細工をしてズルをはたらいているとしか思えない。
ソースで食べるのも美味しいが、オススメは岩塩だ。塩は肉の味をシメてくれる。なんていうか、美味しさの的を絞って肉の輪郭をはっきりさせてくれるそんな感じがする。衣の香りと食感と、肉の旨味の詰まったこのひれかつ一切れを存分に味わうには岩塩がおもしろいと私は思う。(とは言い条、甘辛いソースでガシガシ食べるのも好きなので、前半はソースで食べている)
私がこの店の偉いと思うのは、カツじたいの美味しさもさることながら、つけ合わせの味噌汁ときゃべつのクオリティが高いところだ。
きゃべつは、まぁ、きゃべつなのだけれども、いつだって新鮮でみずみずしく、長く細く切られた食感が、しゃくしゃく、と軽快な音を立て、それでいてふわりとした舌ざわりでひじょうに優しく、もはやきゃべつがあれば米などいらないと思わせる。
味噌汁は豚汁なのだが、これまた豚肉の旨味が出ているだけでなく魚介のアラのような味も感じられて奥行きのある味わい。油で疲れた口の中がこの豚汁でほっと一息つく。
何よりも素晴らしいのが、このきゃべつも味噌汁も、とんかつを引き立てるに充分な仕事をしながら決して邪魔をせず、全体の調和を成し、取りまとめてひとつの定食として完成形へ導いているところだ。
進歩と調和のひれかつ定食なのだ。
食べ終わったあと、小春日和の商店街を歩きながら、なんだか清々しい気持ちになった。お正月の朝風呂みたいに晴れやかな気分だった。
そういった類のめでたい気持ちになれるとんかつが、この世の中にはたしかにある。とんかつと向き合う時間の中に存在する真実というものがある。
この街の誇りだと思う。