蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

虚空を語る男

社の人とお昼に行った。

私より1ヶ月先に入社したほとんど同期の女の子と、私の面倒を見てくれている女性の先輩とだ。

女性が多い職場でありしかも私は既婚者なので、軽率に昼食に誘えないらしいが、なにも気にすることはないと伝えておいた。気遣いさせているようで申し訳なくすらある。

昼は一人になれる貴重な時間だから、いつもなら60分のうち15分は食事にあて、あとの時間は気ままに歩いたり古本屋を覗いたりしてリフレッシュしている。でもたまには、月に一回くらいは一緒に食べるのもいいかもしれないと思えた。

自分に社会性があるみたいで、すこし自信がつくから。

 

それにしても人と食事に行くと、相手にばかり話させてしまって申し訳ないなと思う。

自分のことを話したい気持ちもあるけど、全然心を開けなくて、事実をやや誇張してオチをつけ、コンテンツ化したことしか話せない自分が嫌になって、そのうち聞くに徹してしまうのだ。

昔はこんなことなかったのに一体どうしたのだろう。

「ここから先は嘘になるけどこうしたほうが笑いを取れるな」と話しながら思ってしまって、大袈裟なリアクションをつけながら話し、計画通りに笑いを取れると安心する、というのを繰り返している。

これも一種のコミュニケーション障害なのかもしれない。

気を許した友だちなら話にオチがなくても、自分の意見が多くても、なんも気にせず話せるしリラックスできるのに、会社の人となるとそうはいかない。

いつも話の展開を先回りして聞いたり、話しているので、すごく疲れて、だからこういう機会は月に一回くらいがちょうどよく思えるのだ。

無理して話さなくていいので、会社とか取引先との会話は聞くほうが好きだ。「ひと笑いとってやろう」とか「なにかいいこと言ってやろう」と必死に考えなくて済む。

相手が話好きだと尚いい。頷き、微笑み、「それでそれで?」と興味深そうにしていればいいから。

 

コミュ障にも多種類ある。

まったく喋れないひと、初対面とは喋れないひと、逆に初対面の人とだけ喋れるひと、人の話を聞かないひと、一方的に自分の話しかできないひと。

私のこの性質も、そのひとつに加えていただきたい。

慣れてきて心が開いてくれば治るものなのだけど、一年以上かかる。

もっと建前を磨いて、本当の自分を切り離して、仕事として会話できたらいいのに、と思うし、心がけよう。