蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

今更だけど東京オリンピックの感想でも言うか

京オリンピック、やったの去年かよ。

今年やっていたような気もするし、一度もやっていなかった気もする。

もろもろの炎上もあったし、それを受けての開会式は日本という国が空っぽでもう限界ですよってことを明示しているようで見ていてつらく、なんかもう日本人であることがたまらなく恥ずかしくなったので記憶から消却していたのだった。

あんなもんでも頑張って開催にこぎつけた人や、犠牲になった人々がいて、忸怩たる思いになる。

その人たちの努力を、悲しみを、あるいは喜びを無碍にするつもりはないけど、それで「あの程度」だったのだから、まるで理不尽で胸糞の悪い映画を見ているみたいだった。

誰かの利権のための茶番劇。

それがオリンピックでした。

ちゃんちゃん。

で終わるかと思ったら、最近になって悪いことした人がちゃんと逮捕されてて、笑った。

ちゃんとするんだそのへんのとこは。ちょっと見直した。

 

競技はふつうに面白かったし、選手たちは頑張ったし、感動して泣いたかもしれないけど、ああ、これが東京オリンピックじゃなければな、とずっと心の片隅で思ってた。

オリンピックが本当に盛り上がって最高の祭典になっていたら、終わってもしばらくの間は熱も冷めやらなかったろうけど、実際には嵐が去って胸を撫で下ろし粛々と家の周りを片付けるみたいな雰囲気で、私はこの出来事の判断を歴史に任せたかも思ったし、歴史から消し去りたいとも思いながら、とにかくしばらくは忘れようと心に決めたのだった。

このことこそが、あの災厄を語るうえでの、すべてだったのだ。

炎上騒ぎの一つくらいならネットで笑われてコラにされてネットミームにでもなるけど、それにすらならない。ネタにならない。

40年後くらいに未来の子どもたちに東京オリンピックはどうだったか訊かれたら、私はなにも言葉にできないだろう。

戦争体験をした方々の中にはなにも語らない人がいるというが、その方達の気持ちがわかる。思い出したくもないのだ。

でも教訓もあった。

バッハの演説がやたら長かったこと。演説は短く要諦を掴んでいるほどに賢く優秀であること。演説の長い人をトップに据えてはならないこと。

そんな先の未来で子どもたちが存在するかもわからないが。

東京オリンピックは未来への絶望と、現在を作り出したすべての過去の取り返しのつかない闇雲な反省と、無惨の露呈を見させてくれた。

どうしようもないし、愛想も尽きた。

 

だからオリンピックに関する話題は金輪際、これきりにする。

不快な思いをさせてしまったのなら、本当に申し訳なく思う。いい思い出になった人にとってはこんな文章、不愉快でしかないだろう。

でも、どこかに、やっぱりちゃんと、偽りなく自分の思っていたことを書いておきたかった。

「いろいろあったけど、まぁ、よかったよね」なんてとても思えない。

たとえ口では、建前では言えたとしても。