蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

誰かを傷つける可能性の排除

んとうは今日のためにブログを書いてあって、朝に公開しようとしてたんだけど、テーマがテーマだったせいで特定の人を著しく傷つける可能性があることに思い至り、予約投稿の1分前に非公開とした。

読者を私は選べないので、少しでもモヤモヤしたら公開はしないようにしている。

記事の随所に主語が大きくならないように個人の見解であることを書いたし、一般論ではないということを再三繰り返したが、それでも一部の人は傷つくだろうし、そんな注意書きを幾度も書いてる時点でなんか違うだろう。

私が傷つけられた人だったら、言い訳まがいのものにしか読めない。

そもそもそんなモン書くな、という話ではあるのだが、書かずにはいられない状況だってある。私は書くことによって内省的になって自分と対話し、物事を整理して噛み砕けるので、なにかあると書かずにはいられなくなるのだ。

なかなか面白く書けたからぜひとも公開したかったのだが、誰かを傷つけるために書いた文章ではなく、誰かを傷つける可能性があるのなら公開するのは本意ではない。

しばらくは自分で読み返して、ひとりでニヤニヤしよう。なんならいつか小説にしてやろう。

 

コンプラのせいで、表現したいことができなくなった創作の世界は、悲しい。なんでもかんでも配慮した末に、誰にも愛されない作品であふれる世の中になるかもしれない。

でも、自分の生み出した作品が誰かを傷つけるのは本意じゃない。自分の子どもがいじめっ子になったら嫌なように。

二つともほんとうの気持ちだから難しい。

いっそ「今からあなたを傷つける」と宣言してみるのはどうだろう。

特定の人にとって危ないとわかっていれば、たとえばナイフの刃に触れないように、近づかなかなるんじゃないか。

それでいいのかもしれない。

それでいいのだろうか?

コンプラって「誰も傷つけない」目的がありながら、その本質は「社会全体の倫理観の更新」であって、つまるところは社会の変質が到達地点なので、上記のように、特定の人の目に触れなければ、なんて生優しいものではないんじゃないか。

できれば社会全体から「ふさわしくないこと」を排除しようというのがコンプラの本質であるように私は思う。

 

なめらかになった世界の地平線の先にはなにが見えるのだろう?

なにか別のおもろいもんがあればいいけど、たぶんそこに到達する前に人類は滅んでいるのだろうな。