蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

洗顔のストレス

を洗うのが下手過ぎてイライラする。

袖をまくっていてもなぜか肘のあたりまでびちゃびちゃになるし、足元とか洗面台の周りとかもびしょ濡れになってて、洗顔後の惨状はなんていうか悲劇的で、それを思うと顔を洗うのが面倒くさくてならないのもしょうがない。

でも洗う。社会人だし、年末調整とかやってるし。義務教育だって終えてるから。

洗うけど、こんだけ周囲をびしゃびしゃにしても、まだ前髪の生え際に泡が残っていたり、髭の剃残しがあるので、イライラする。

たとえるならこれは、食材を無駄にするとか、森林を伐採してとりあえず空き地を作るとか、税金を使って署内にマッサージチェアを30台設置するとか、隣国に侵攻して自国の若者を戦地で喪うとか、そういった愚にも及ばぬ おこの沙汰にも等しいのである。犠牲をはらって意味の無いことをしている。

水をはね上げる勢いが強くて周囲を汚してしまうから、ゆっくり、丁寧に、慌てずに、洗顔をすすめる。

前髪の生え際にもそっと水をやり、泡を着実に落とす。周囲に水がはねないように、そっと、優しく。花が水を吸うように静かに、さわやかに。髭もじっくり剃る。毛先ひとつとして見逃さない。愛撫するかのように水に接する。

そうして時間をかけて洗顔をしたとする。

やれやれ、時間はかかるけども今日の洗顔は完璧に終わったぞ。そう満足して袖をおろすと、なぜか袖が著しく濡れていることに気付く。

小手にあたる冷たさによって急速に体温が奪われていくではないか。

寒い。

怠い。

切ない。

哀しい。

わしの努力はなんなん。あのときの笑顔はなんだったん。

時間かけて顔洗って完璧に終わったかと思ったのによ。

ぜんぶ無駄だってのかよ。

こうなると、なんか人生ってこういうもんだよな、と振り切ってしまって、ジョーカーのようにゲラゲラ笑ったりもする。せっかく顔を洗ったのに涙で頬が濡れてしまう。ああ、また顔を洗わなきゃならない。また袖を濡らさねばならない。

落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる、るるる……

 

みんなも、こんな感じなのだろうか?

みんなも、顔を洗うのに苦心しているのだろうか?

袖のみならず、ズボンの裾まで濡れてしまうとか、お腹にも水がかかるとか、もっと問題を抱えているんじゃないか?

あとさ、冬はさ、水がお湯に変わるまでちょっと蛇口から出しっぱなしにするじゃないですか、あのときの水、水道代、国が補償してくれないですかね?あの水、なんとか活用できないですか?

あと、洗面台が低くて、腰が痛くならないですか?

あとめちゃくちゃムカつくのが、肌のきれいな芸能人なんかに「洗顔ではなにに気を遣っていますか?」ってレポーターが聞くと「いや、とくになにもしてないっすね。むしろ水かけてるくらいでテキトーなかんじで。洗顔料使うと肌荒れもするんで」みたいに言ってて、結局肌の質は生まれ持った才能によるところが最も大きく、私たちの努力や苦心を踏みにじるアレ。は?

洗顔のストレス、まじでなんとかならないですか?

 

イライラする。朝から。

今度実家に帰ったときには、猫たちに顔の洗い方を教えてもらおう。