蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

雑煮戦線勃発

日朝、起きてきた妻が「朝ごはんはカップスープでいい?」と訊いてきたので驚いた。いいわけないだろ。

「いいわけないだろ」憤然と私は言った。

「じゃあなに食べんの。パンないし」妻は漫然と応えた。

「なにって、決まってるだろ。今日は何月何日だ。いちがつついたち。正月だよ正月。正月の朝といえば雑煮でしょうが」

「雑煮なんてお昼でいいでしょ」

「いいわけないだろ。何回言わすんだ。いいわけないだろ。一年のケイは元旦にありっつんだよ。このケイという漢字をどう書くのかは知らないけども、ともかく、一年の運命を決するのは元日の朝。つまりわかる?今だよ、今にかかってるっつんだよ、昔の人は。温故知新だよ。昔の人の言うことには一理あるっつんだよ。普段はヘロヘロな朝を過ごしていても、元日の朝は仰るとおり、一年のケイだから、今日くらいはしっかりした方がいいっつんだよ。え?それなのになんだ?カップスープだ?てやんでい、バーロめ。異邦人か貴様。お雑煮を食べないと一年のケイが引き締まらないでしょうがっ。あなたはカップスープ(クノール)で引き締まるというのか?」

「引き締まる」

「じゃあ、じゃあ……まぁ、そうか……。その返答は意外すぎて、どうも言い返しようがないけども」

「ぴーぴーうるせぇな。雑煮作るのめんどくさいんだよ、朝から。ぶっちゃけ。昼ならまだしも。それになにが一年の計だよ、漢字もわかんないくせに。もう11時近いじゃん。なにが朝だよ。せいぜいブランチだよ。二度寝しといてなにが計だ。あんたの一年は厄に満ちた怠惰なもんになるに決まってんでしょこの調子で。朝からなんなのあんたは」

「おいおい、ちょっと待て。たしかに怠惰であることは認めるとして、聞き捨てならないのがひとつあった。雑煮を作るのが面倒くさいだと?じつに聞き捨てならないな」

「うざ」

「ははは、差別主義者め。いったい誰が、あなたに雑煮を作らせると言った?」

「え?」

「おれが食べたいと言ったんだから、おれが作るに決まってんだろ」

「まじ?」

「それでもなお、あなたはカップスープ(クノール)でいいと言うのか?」

「雑煮がいい」

「じゃあ、テレビでも見て待ってな。すぐ作るから」

「神じゃん」

私は自分が食べたいものを人に作らせるような人格者じゃない。

 

そうして私は、ともかく冷蔵庫にある食材で雑煮らしきものをこしらえたのだった。

雑煮なんて、小松菜と鶏肉と餅が入ってさえいればどうとでもなるし、実際、どうとでもなった。

たしかに、朝から作るのは面倒だった。

しかし、やはりケイであるからして、この面倒臭さを飲み込んで雑煮を誂えることに意味があると思うのだ。

「美味しい」「あ〜いい」「美味しいじゃん」「餅、よい」と食べながらしきりに話す妻を見て、やはり作ってよかったと餅を噛み締めた。