蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

中華屋の店員

社近くには中華料理屋がかなり多い。

知らないけど、多分100軒くらいある。

なのでお昼ご飯どこにしようかなと迷うことはあまりなく、なんとなくのテンションと値段で決めて、テキトーに入ればなんとかなる。

でもまぁ、どこも似たり寄ったりだ。

めちゃくちゃ美味しい店は今のところなくて、かと言って食べれないほど不味くもなく、こんなもんかという感じだ。

店員はほとんどが中国人で構成されていて、大抵はキッチンで鍋を振る料理人とホールのおばさんが中国語でやかましく喋っていて、若い店員の女の子はスマホをいじっていることが多い。

中国語でぎゃんぎゃん喋っているのを聞くと、私が言葉を理解できないのをいいことに、私の悪口を言ってるんだろうなと不安になってきて疲弊する。こういう被害妄想ってなんか障害のはじまりなのだろうか?そんなことを考えて、チャーハンができるまでにさらに疲弊していく。

中国人の店員は箸の置き方とか乱暴だし、私の机の据え置きのメニューを無断で持ち出して他の客に渡すし、そういった細かいところが大胆で、有無を言わせない。

高圧的、と言ってもいい。

 

私語めちゃくちゃ多いし、スマホいじってたりするけど、でもちゃんとやるときはやってくれて、接客はしてくれるのだから、すごいツンデレでもある。

それなりに優しいし、ゴユックリ〜とか言ってくれる。オ水飲ム?とお冷を注いでくれもする。

優しくされると心も軟化してきて、先ほどのぶっきらぼうな態度も許せてくると言うか(もともと怒ってはいないが)、なんでもかんでも堂々としていればいいんだな、と啓示を得たりもするのだった。

自分のルールでやってます、と確信を持って行動すればいいのだな。

だいたい、日本は繊細すぎて堅苦しさもあるな。このくらい世界の中心を自分に持ってきた方が生きやすいかもしれない。

などと、だいぶ軟化してくる。

そうこうするうちに炒飯がやってくる。

 

店内には大抵の場合、現地の曲の有線放送が流れている。

それが懐メロなのか今風の曲なのかもよくわからなくて、擬似海外旅行しているみたいで楽しい。

中華料理屋に限らず、外国人がやってる店はすべて現地の音楽を流してほしい。

それもホーミーとかシタールとか二胡じゃなくて、ふつうにポップスがいい。

などと考えながら炒飯を食べる。

特別美味しいわけじゃないが、こんなもんかと納得できる妥協点を感じられる。

 

そんな感じでお昼はいつも過ごしている。店員からしたら不気味な客の1人だろう。