「金曜日に有給休暇を取って、銀山温泉に行った。
(銀山温泉のイメージ図)
銀山温泉は山形県の山奥にある、正直言って都心からのアクセスの悪い温泉郷であるけれども、あえてここを選んだのには理由があって、というのもこのアクセスの悪さだと1泊2日では到底のんびりできなく、2泊以上の時間がなければくつろぎを得ることはできないためで、今回はそのためにも有休を取って2泊の時間を得たわけだし、2泊の時間を得たということは銀山温泉に行くしかなかったというわけだ。運命的であるし、覚悟がある。
2月、最も寒いシーズンに雪景色を拝みに行こう。
温泉で2泊、と言っても銀山温泉にはアクティビティや有名な観光スポットがあるわけではなく、ここはほんとうにただくつろぐためだけに存在している温泉のための温泉郷なので、旅館に着いたところでとくにやることはない。
15時半をすぎたところ、旅館に到着してとりあえず茶を淹れ、旅館の和室のあのスペースの椅子に腰掛けて、一息入れる。
雪に染まった通りと向かいの屋根の向こうに見える雪化粧の山、重く空を覆う雪雲に熱い緑茶は味わい深い。
(旅館のあのスペースのイメージ図)
温泉旅館とは本来くつろぐために存在しているものだ。
「もったいないから」なんてもったいない理由で外に出てつまらないことをしたりする必要はなく、何もしない贅沢を満喫するべきだ。
忙しい都会の喧騒から離れて、時間の流れるままに風景と現在の刹那を楽しめばいい。大人の楽しみ方とはこういうことなのだ。私は今回、何もしないためにここに来た。
と、ずっと旅館のあのスペースに座っていても仕方がないことは仕方がないので、夕食前にひとっ風呂浴びるとしようか。
この旅館には露天風呂のある大浴場と、使用者制で貸し切りをする屋上の露天風呂とがあり、ここはまず基本の大浴場へ参ずる。そんなに大きい旅館じゃないから期待してなかったけど、大浴場には必要な快適さがすべて揃っていて、なによりも人が少ないのがよかった。マイナスの気温のなか浸かる露天風呂の気持ちよさには格別のものがある。温泉の良さはその湯質にもあるけれど、なによりも空気の美味さが大切であると私は思うものだ。都内の天然温泉と謳う温泉施設では味わえない空気がここにはある。
部屋で夕食を食べ、用意された布団に横になるとすぐさま眠気に襲われてしまい、結局そのまま寝てしまった。やや酒を飲みすぎたかもしれない。女中さんが美人だったせいかもしれない。本当は屋上の貸し切り露天風呂に行きたかったのだが。
その想いを捨てきれなかったのか、深夜2時ごろに目が覚めた。
案内では、屋上の貸切露天は24時間やっていると聞いていたので、使用者がいなければ入れる。とりあえず行ってみることに。
しかし残念なことに、使用者がいて使えなかった。私と同じような者が他にもいたのだ。そう思うと腹だたしいというよりむしろ愛しく思える。
すこし大きめのスリッパをかぱかぱ鳴らしつつ廊下を歩くと「足湯→」と案内板。矢印の方に進むと、3階の小スペースに露天の足湯があるではないか。
外は大変に寒そうだが果たして……貸し切り露天への想いを捨てきれなかった私はカラカラカラ、ガラス戸を開けてテラスへ出た。とても寒いが、──」
といった、温泉に行ったらなにをするかという妄想話を恋人にとくとく話し続けた。
「おじさんみたい」「ずっと笑顔だね」「一人で行けば?」という感想をいただき、その通りなものだと思った。
でも、二人で行きたいじゃん。
「おじさんくさくてやだ。『何もしない贅沢』なんて」
しょうがないだろ。おじさんなんだから。