蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

羊は数えるまでもなくただ一頭

  私の通っていた小学校では中庭でうさぎやニワトリを飼育していたのだが、なかでも存在感の大きかったのが羊のメェちゃんだった。

 いったい誰が名付けたのか知らないが、じつにお役所仕事的な名前である。羊だからメェちゃんというのは、小鳥ならピィちゃんと名付けることや犬にポチと名付けることくらい面白みがない。私だったら嫌いな教師の名前を付けて、毎年毛を刈ってやるのに。

 

 いつからメェちゃんは学校にいるのか?オスなのかメスなのか?なんという種類の羊なのか?なぜ羊が一頭きり中庭で自由に暮らしているのか?

 

 あの四足獣に関する詳細はまったく謎に包まれていたが、あの頃は誰もそんなこと気にしていなかったように思う。

 メェちゃんは学校に体育館があるのと同じように、あるいは理科室や図工室があるのと同じように、「学校にそもそもいるもの」として認知されていた。誰も「羊がいるのはおかしい」なんて言わなかったし、「殺処分しろ」などと唱える親もいなかった。

 

 メェちゃんは中庭でぴょんぴょん跳んだり、クローバーを食んだり、日向で遠くの空を見つめたり、あるいは校舎の日陰で蟻の行列を見つめていた。

 瞳は奇妙な形をしていて、顔つきはちょっと不気味だった。人ならざるものの顔つきをしていた。いや、羊だからそりゃそうなのだが、表情は一切の「無」であるにもかかわらず、その"無さ加減"が実は腹の底では黒いことを考えていそうな、あくまで「無」を装った感じがして不気味だった。仮面のような、裏のある「無」なのである。

 

 そんなメェちゃんははたして学校の人気者だったかというと、そこまでそうでもなかった。

 石があったらとりあえず投げてみるとか(小学生男子は石を拾ったら投げるか蹴るか川底で洗うかしか選択肢がないのだ)、そこらの草を食わせてみるとか、後ろから飛びかかるとか、ばしばし叩くとか、そういう愛され方をしていた。

 私たちが体育館には体育館への愛し方をするように、おんがく室にはおんがく室なりの愛着を抱くように、メェちゃんにはメェちゃんへ向ける愛情のあり方があったのだと思う。

 私がメェちゃんだったら教室で糞(くそ)でもまき散らしてやりたくなるだろう。

 

 

 メェちゃんは本当にそう思っていたのかもしれない。

 

 小学2年生のある日の給食時間、一階の中庭に面した私たちの教室に、メェちゃんは闖入(ちんにゅう)してきた。

 走るでもなく、吼えるでもなく、徐(おもむろ)にさも当然のことであるかのように、しかしどこかおどけた様子でもありながら屹(きつ)として怒りを煮えたぐらせた様子でもあり、つまりは唐突に一頭の羊は教室に入ってきた。

 誰も騒がなかったし、なんなら全身が教室に入って後ろ黒板の中ほどに居つくまで誰も気付かなかったくらいだ。そのくらい突然に、しかし当然のことのようにメェちゃんは給食時間の朗らかな教室に入ってきた。動物の気配の消し方は「絶(ぜつ)」に匹敵する。

 先生がアッと立ち上がったとき、メェちゃんはまたしても卒爾(そつじ)であった、大量の糞と小便を噴射した。

 

 床に広がる大惨事と「ばばばばばばば」と噴射されるその音、理解が追い付かないなか、一同阿鼻叫喚。しかしその光景に笑う者もいた。小学低学年の教室で突然うんちとおしっこが登場したら笑うに決まってる。

 先生はあたふたとして、冷静にちりとりとほうきを装備していたけどもはやその冷静さも滑稽で、騒ぎを聞きつけた他のクラスの先生や生徒が集まりもはやパニックは猖獗(しょうけつ)を極め、給食なんて食べるどころじゃなかった。羊が糞をする中で食事をする生徒がいたらはやくスクール・カウンセラーに診せるべきだろうから、私たちは健全でもあった。

 先生たちは片やメェちゃんを引っ張って中庭へ連れ戻し、片やちりとりで糞尿を掃除し、片や換気をし、片やパニックを収めようとした。すごく冷静にあたふたしていた。

 先生とは大変な職業である。

 

 あの時の光景を私はよく覚えているけど、そのあり得なさにもしかして私の妄想なんじゃないかと今でも思っている。

 そのくらい非日常的状況だった。

 

 

 その後メェちゃんは、たぶん私が卒業するまで中庭で草を食んでいたような気もするし、5年生の頃に死んでしまったような気もするし、4年生の秋にどこか牧場へ引き取られたような気もする。

 メェちゃんが詳細にどうなったかはわからないけど(覚えていないけど)、たぶんもうジンギスカンになっているだろう。

 ただ私の記憶の中で、曖昧な現実と非現実の狭間で、羊についてなにかを語ろうとするとき私にとってはあの一頭しかいないし、今もまだ教室はざわめいている。