蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

コンビニの喧嘩

会社の近所のコンビニの店員さんは9割が外国人労働者で、残りの1割、すなわち店長だけは日本人らしき人で構成されている。

外国人とひとくくりに言ってしまって申し訳ないが、おそらく母国もバラバラの人たちで、「気さくな仲間たち」といった雰囲気はハタからは見受けられず、いつもピリピリ、イライラしている。みんな知らん国の知らん都市の片隅の小さなコンビニエンスストアで言葉や経済の壁と孤独に戦っている。ほんとうにすごいことだと思う。私なら根を上げてノイローゼになっているところだ。言葉の通じる今の職場ですら発狂しそうなのに。

そのコンビニは、基本的には半分怒っているような人が多いのだけど、中には丁寧で優しい人もいて、好感が持てる。ノイローゼ気質の私からしたら誠に殊勝な人たちだと脱帽ものだ。

 

夜遅く、お腹が減ったので菓子パンを買いにそのコンビニを訪れたところ、レジから喧騒が聞こえてきた。店内の客は私含めて3人くらいで、みんなレジのほうを見た。

喧騒といっても、なにか大声を発するタイプの言い合いのようなもので、要するに店員同士の喧嘩だ。女性二人がホットスナックの前で激しく言い争っている。一人は泣きそうな顔で、もう一人はヘソを曲げた子どもような顔で。

何を言っているのかまったく聞き取れなかった。何語かもよくわからないが、否定や反駁が繰り広げられているであろうことは明白であった。やがて泣きそうだったほうが目頭を押さえながらバックヤードへ走り去った。

レジの上に設置されたモニターから陽気なコマーシャルが流れている。

店員同士が喧嘩しているところを初めて見たので、軽く面を食らった気分だ。

たまーに古い料理屋でシェフがアシスタントを叱りつけているところを目にするけど、そんなのもたまーにのことだし、あれは一方的な説教だ。

今回は違う。

同じ立場同士での諍いだ。

このコンビニではいつも同じ顔ぶれが働いているけど大丈夫なのだろうか。賃金、労働環境、人間関係、なんかいろいろと心配である。それでも過酷な化学工場とか生産ラインに比べたらコンビニはマシなのかもしれない。

私もこういった労働状況は他人事ではないのかもしれないと、ふと思う。今の仕事で発狂しかけている場合ではない。

とりあえず菓子パンを手に取り、セルフレジで会計を済ませてそのコンビニを出た。

怒っている人にレジを頼みたくないのは事実だ。

仕事に戻らねば。

ベストプライスの悪魔

今日は明確に悪口回で、しかもイオンのベストプライスというプライベートブランドに関する悪口なので、これのファンの人は今すぐ引き返すことをオススメする。嫌なものをわざわざ見る必要はないんだ。もっとも、これのファンなんていないだろうが。

私はインターネット上では容赦を知らない。

 

イオンのスーパーでは「ベストプライス」というプライベートブランド商品が売っていて、これがとても安くてありがたいのだが、すこぶる味の評判が悪く、消費者はそのことを情報として知ってか、経験として知ってか、どの棚も大概売れ残っている。

一時期、ベストプライスのそうめんが不味すぎる、というツイートが話題になったことがあったし、ベストプライスのウイスキーのレビューが低評価で秀逸な表現をしていると出回ったりもした。

私も何回かベストプライスものを買ったことがあるが、あまりいい思いをしたことがない。前にチーズを買ったことがあるが、焼けたプラスチックみたいだった。

「このチーズは磯の潮溜りで採れたものです」そんな感じの味だった。

普通のメーカーのブランド品を食べたいのにイオンはどういうつもりかやたらとベストプライスを推していて、それだけど余りまくっていて、なんかもうこのスーパー意味がわかんないなと思う。自社生産するくらいならメーカーのものを大量に安く仕入れて売ってほしい。

 

先日、誤ってベストプライスの発泡酒を買ってしまった。デザインが「本麒麟」とよく似ていて間違えたのだ。

買ってしまったものは仕方ない、コップに注いでみたところ、立ち上るニオイからしてもうおかしい。

端的に言って、猫の小便を薄めたようなニオイがする。

一口飲んでみる。

まずい。

飲尿健康法でもやってる気分だ。この酒を飲んで寿命が延びると言われなければ納得できない味わいだ。

もう一口飲んでみる。

やはりまずい。

発泡酒ってこんなに違いがあるのかと発見になるくらい美味しくない。

なんかこれを飲んでいたらただちに尿酸値に異常をきたしそうである。

さっきから尿のことばかり喩えに出るのは、やはりこれが尿みたいだからだろう。

これを作っている人には申し訳ないが、これを作って売っていることに多少は罪の意識を持ったほうがいいと思う。

これが豚の膀胱で発酵させたビールで、大変珍しく生産も難しいと言われたら、地域のそういう無形遺産的なものとして受け入れられるかもしれないが、工場でガンガン生産していると言われたら、何のために?と工場長に聞いてしまうだろう。

そもそも、コップに注いだ私も悪い。

こういう類の酒はコップなどに注がず、缶から直飲みしたり、誰かに一気飲みさせたり、強い酒のチェイサーにしたり、頭から被ったりするのに使うものなのだ。

用途を間違えた私も悪い。

 

今回、誤って買ってしまったので、今後は気をつけようと思う。

ほとんど罠である。

ひつまぶしへの反省

この間名古屋に行ってきて、名古屋といえば名古屋メシということで街を徘徊していたところ、良さげな料理屋があったのでとくに深くは考えずに入った。だから店の名前は覚えていないのだが、なかなか良い店であった。

そのお店は、うなぎ屋だ。

名古屋メシといえば手羽先、味噌かつ、味噌おでん、味噌煮込みうどん、そしてひつまぶしである。

名古屋メシは数あれど、私はひつまぶしに対していちばん、興味がなかった。

すみません、ここから強い言葉が出てくるので、苦手な人は薄目で読んでくださいね。

「ひつまぶしって何がしたいんだろう」

重箱にうなぎを入れられなかった凡夫。鰻重で満たされているものを下手にアレンジした二番煎じ。うなぎの良さがわからない偽コンサルタントが考えた鰻重の二次創作。そのくせ値段だけは一人前。ひつまぶしって語源もよくわからない。お櫃にまぶすってこと?はぁ?

笑わせるよね。

ひつまぶしに対して私はネガティブな気持ちを持っていた。

はっきり言って侮っていた。

それであるにもかかわらずここでうなぎ屋に入ったのは、単にちょうど通りがかりにあったからに過ぎなくて、せっかくだしまぁ入ってみるかという消極的な気持ちが多分にあったのである。

フン、まぁ食べてみるのも悪くないか、って高慢チキな態度でもって入店したのである。

 

店の雰囲気は上々で悪くない。酒もこだわって取り揃えているようで、ひつまぶしのほかにも白焼や柳川鍋などバラエティ豊かなうなぎ料理を取り揃えており、天ぷらや酢の物といった和食もそれなりに用意しているみたいだった。なかなか良い店のように思われるだろうが、値段を見て、本当にそれなりに良い店で、正味、自分が背開きにされるかと思った。

あまり気分が乗らないひつまぶしに対してこれからこの値段を支払うのか…………。

「うなぎなんてこんくらいの値段はするんじゃない?」一緒に行った妻は先に覚悟を決めたようだ。

我々はひつまぶし(上)と逸品料理を注文した。

 

ひつまぶし。どんなもんだろう。

私はこれまで、ひつまぶしってどこか軽薄でインチキな紛いものだという認識を持っていた。

これを食べるまでは。

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うなぎが一尾丸々入っている。

この丸いお櫃を開けたときには「わぁあ…」とちいかわみたいな息が漏れた。

まるで、うなぎの蒲焼きの生簀じゃないか。

おしゃもじですくうと、ふわあっと香りがたちのぼる。なんて香ばしく、それでいてエネルギッシュな香りだろう。香りの中をうなぎがもはや泳いでいる感じがする。それをこれから捕まえようとでも言うのか。言わないか。

炭火で高温で焼かれた表面の皮身はパリッと、それでいて中身はふわっとしていて、まず食感だけで美味しい。

タレとうなぎの脂がとけこんだ米がこれでもかと美味い。

ドカンと突き抜けるような旨味がもはや快楽的だ。

うわ、美味いな。

総合的にめちゃくちゃ美味しい。なんだこの食べ物は。

美味しすぎて「美味い」以外考えられない。

うわっ。

2杯目は薬味をかけていただいたのだが、これがまたなんとも……。

まだ美味しくなるのかよ笑

小ネギ、わさび、刻み海苔があった中で、私は海苔が一番だと思った。

薬味をかけると一味も二味も変わる。

味が変わるというのは勿論なんだけど、なんていうのかな、うなぎの可能性が広がるといったほうがいいかもしれないな。

私はアイドルが好きなのだが、推しアイドルのどこが好きってやはり「伸びしろ」「可能性」なんですよね。完璧なアイドルもいいけど私は成長していく彼女の物語を見守りたいのですよ。

うなぎ、伸びしろあり。

これはすごい。

そして3杯目は出汁をかけて、お茶漬けにしていただく。わさびをちょいと添えてざざっと一緒くたにかっこむ。

滋味。

「慈しみ」

染み渡る染み渡る、疲れてしまった人生そのものに、明るさのない夜に、骨の隙間を吹く風に冷えた体に。

なんだよ、最後は優しさかよ……。

もう何も言うまい。

 

私はひつまぶしを侮っていた。

ひつまぶしのことをよく知らないで「凡夫」だの「二次創作」だのネガキャンをしていた。

ひつまぶしは凡夫でも二次創作でもない。むしろ鰻重では見せられなかったうなぎの「可能性」と「展開」を提示するもうひとつのオリジナルなのだ。そう思うと一旦突破しようとする鰻重はなんて贅沢なのだろう。どちらも違ってどちらも良いのだ。

ひつまぶしを侮ってはいけない。

今は本当に申し訳ないことを考えていたものだと心から反省をしている。

申し訳なくて切腹したいくらいだ(背開きにするのは関東だけらしい)。

オアゾのポストの哀れ

東京・丸の内のオアゾというビルの地下には郵便ポストがある。

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だが、ビルを訪れる多くの人はこの存在に気づいていないのではないだろうか。

なぜならこのポストは、このように存在をぼかされているからだ。

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私がポストとしてこの世に生まれたら、商店街の一角とか、住宅街の隅とかに配属されるんだろうなと、漠然と思うことだろう。珍しいと、どこかの国立大学の敷地内とか、観光地で黄色とか変な色に塗られたりするのだろうなとか、それも花形の一つだしそういうところに配属されたら嬉しいなと、期待に胸を膨らませることだろう。

それなのに、配属されたら、この仕打ち。

入社しててっきり本社勤務かと思ったら地方の雑居ビルの小さいオフィスに配属されてそこで地道な営業をやらされることになり、同期に「配属ガチャくそだったわ。転職しようかな」なんて屁みたいなことを吐(ぬ)かしている社会人1年生たちよ、このポストの配属ガチャに比べたら、あなたたちは恵まれているにも程があるとは思わんかね。

やる気に満ち満ちていざ配属されたら、丸の内勤務とはいえ、その存在にモザイクをかけられて外界と遮絶され、半ば邪魔者扱いである。地下なので日が当たらず、場所も排泄所の真ん前だ。

新入社員諸君は、どんな配属先であっても腐らずにやっていればそのうち名をあげてその場所で花開くかもしれないし、本社勤務の可能性だって十分にある。一生そこに留まり続けるわけではないのである。

しかし、このポストはどうだろう。

生まれてから死ぬまでずっとここなのだ。

丸の内の地下に根を下ろし、外の明るさを知らずにずっとここで……。

 

それにしてもどうして半透明の衝立がされているのだろう。

普通に考えて衝立がないほうが目立つし、投函もしやすいと思うのだが。

不倫相手にこっそり手紙を出す人のプライバシーを守るためだろうか。だとしたら尚更このポストが不憫だ。そんな手紙を届けるためにおれは生まれたのか。一生ここで……。

衝立があることで存在感が薄くなっているし、磨りガラスでモザイクがかかることでかえって「見ちゃいけない」ような雰囲気すらある。

もしかして不倫相手と逢瀬をするためにこのスペースがあるのだろうか。たしかにそんなものはモザイクをかけないといけない。

興味もない他人の、挿入を伴わない性的接触をこんな狭いところでまざまざ見せつけられるなんて、このポストが不憫でならない。

皆さんにお願いがあります。

これからオアゾに行くときは、このポストを気にかけてやってくれませんか。

地下にある立ち食い寿司屋のそばに設置されています。トイレの目の前です。

話しかけてやってください。労わってやってください。故郷の海の写真を見せてやってください。

きっといつでもよろこびます。そういう奴なんです。いい奴なんです。

お願いします。

駅にいるアイツのせいで

家の最寄駅にはいつも同じストリートミュージシャンが佇んでいる。

「演奏している」「歌っている」ではなく「佇んでいる」という言葉を選んだのは、本当にそこに佇んでいるというか、「存在」しているだけだからだ。

彼はがむしゃらに歌っているわけでもなければ、声を大にして何かを訴えているわけでもない。立っていたり、座っていたり、誰かと喋ったりするのがメインで、ときどき思い出したようにボロボロのギターで訳のわからない歌を歌う。

要するに、やる気がないのである。

一応、足元に小銭を貰うための缶が置いてあるけど、誰かの投げ銭を目にした覚えはなく、どうやら形式上、ある種の「正装」として設置しているようだ。

年齢は若そうに見えるものの、そこまで若くもなさそうで、仕事はしていそうだし、していない様子でもある。風体からすると会社員ではなさそうだ。正体不明である。

基本はベンチに座ってにやにやしていて、ときどきダラっとして歌っている。その歌だってどこにも聴いた覚えのないおそらくはオリジナルソングだ。芯のない声と抑揚のないメロディが特徴的である。持ち歌の曲数は不明だが、たぶん2〜3曲と思われる。いつもほとんど同じように聴こえる曲をやっている。

そんな彼でも褒めるべき点はある。

それは、雨の日以外はほぼ毎日そこにいるということだ。

これは平日も土日も関係ない。毎日夜は必ずそこにいて、歌ったり歌わなかったりしている。

これはある種、驚異的で狂気的だ。

そこで何をしているんだ。

 

彼の歌には興味はないが、彼そのものには興味がある。

最寄駅を使うほとんどすべての人が彼の存在を知っていて、ほとんどすべての人が彼のことを知らない。

たまに酔っ払いと話し込んでいるところも見かけるが、そのへんのサラリーマンや高校生なんかとつるんでいる様子はなく、どちらかというとロクでもない人と一緒にいるみたいだ。

彼はいったい何なのだろう。

気になるといえば気になる。

「ねぇ、何してるの」と声をかけたら、多分だけど普通に喋ってくれるような気はしている。

声をかけてみようか。

だが問題は、そこで彼と「知り合い」になってしまうことだ。

顔見知りになってしまった場合、彼が駅にいる都合上、私は毎日彼と会釈の一つでもしなければならなくなってしまう。

万が一、彼から一方的に気に入られてしまったらどうしよう?

こっちは仕事で疲れているというのに「おーい」なんて毎日呼び止められて、衆人環視のもと缶チューハイ片手に彼と語らい、彼の歌を聴き、なかなか「もう帰る」と言い出せないでいる自分を容易に想像できる。

駅を通るたびに彼にバレないようにコソコソ動かねばならないし、帰り道を変更しなければならないかもしれない。

それで休みの日のお昼過ぎとかに油断していつもの道から来てしまったらたまたま彼が駅にいて「おい最近見ねぇじゃんか、どうしたんだよ」って気さくに大声で声をかけられるのだ。

私はそれに笑うしかなく「いやぁ忙しくて」とかなんとかいってやり過ごし、引っ越し先を探す羽目になる。

 

東海林さだおさん

漫画家でエッセイストの東海林さだおが亡くなったというニュースを見た。

ついにこのときが来てしまったか、と訃報の記事を前に肩を落とした。

 

中学生くらいのころに東海林さだおのエッセイに出会って、そこから貪るように読んだ。

食に関するエッセイがよく評価されるけど、私としては生活の重箱の隅を突くような、考現学的なエッセイが好きだ。よくもまぁ、こんなにいろいろと思いついて書くものだよなぁと感心しきりだ。もちろん食のエッセイも面白くて、秀逸な表現が多くて読み応えがある。

東海林さだおは文章が上手いと思う。

一文で改行される本文は一息で読める速度感を持っていて読みやすく、その一文だけで東海林さだおの文章だとわかる文体が確立されている。

テーマはひどくくだらないことばかりなのに、使われている言葉は古風だったり、難しい熟語が多用されたりしていて、そのギャップがなんだか可笑しい。「欣喜と躍動の時代」「秋波を送る」「莫逆の友」みたいな普段使いはしない言葉がかえって面白味を生んでいる。

皮肉っぽくて、ネガティブでありながらも潔くて、「世間を斬る」というよりかは「世間をしゃぶる」ようなエッセイだ。

何度笑い、そして励まされたことだろう。

読んでいると難しいことがどうでもよくなってきて、肩の力を抜いてくれる。変な話だけど、癒し系エッセイでもあった。

 

もう新作は読めないのかと思うとショックだが、東海林さだおのエッセイはいつ・どこから読んでも・何度読んでも面白いから、私はずっと楽しめると思う。

出会えてよかった作家の一人。

天国でも美味しいものをたくさん食べてほしいナ。

 

掃除機の冷笑

私は自分で掃除機を買ったことがない。

我が家の掃除機は妻が友だちからいただいたもので、その友だちというのが掃除機メーカーでデザインをしているらしく、要は製品のサンプルとしてうちに貰ってくれと送ってくださったものなのだ。

それをかれこれ4年くらい使っている。

貰い物に対してこんなことを言うのは失礼千万だが、まぁ、高級な掃除機ではなく極めて庶民的なもので、最低限の機能のみを備えた無駄のない掃除機的な掃除機だ。だから無料でいただけたのだろう。

押すと音楽が流れるボタンはないし、ルーターとしての機能もない。AIも搭載されていなければ、計算機機能すらもない。当然、留守番も料理もできない。

そして、吸うことすらも満足にできない。

 

最初のころは良かったのだが、元が試供品であるうえにそこまで高くはない掃除機なので、4年も使っているとガタがくる。

近ごろは満タンに充電していてもすぐに事切れてしまうし、溜まったゴミを捨てても吸引力があまり回復しない。

ノーマルなモードだと「フィーーーーン」みたいな力ない音で細やかなホコリくらいしか吸えなくて、だからと言ってターボモードにすると数秒で充電が切れてしまうので使い物にならない。掃除機のヘッドに髪の毛が巻きつき、それも吸えないから手で取ってやる。

掃除機はせせら笑うようにゴミを転がすだけの存在と化し、もはや、このヘッドにゴミを絡みつかせて掃除するというモップ的な使い方をしてしまっているのだった。

買い替えるべきだろう。

 

そもそも、貰い物を使い続けていることに負い目があった。

なんていうか、自立していない気がするのだ。

たしかに貰い物はありがたいし、ありがたさゆえに4年も使い続けているのであるが、私は掃除機を自分で買ったことがない、選んだこともない、良し悪しを判断するどころか考えたことすらもない、というこの状況がいかにも子どもじみていて、自立できていないことへの恥ずかしさすらも覚えている。

たとえば私の育った地域の成人の儀式が「自分で掃除機を買うこと」な村だとしたら、私はまだ大人になれていないと村人から見なされてしまうわけだ。

掃除機に関してなすがままに生きてきたから掃除機について語れることが何ひとつ無く、いかにも掃除機に対して茫漠として人生を歩んできたんだなということがわかる。掃除機ひとつ語れない人生、それが私の人生。

さらに、この場で告白してしまうと、恥ずかしながら、私はなおもまた素晴らしいお友だちから新たな掃除機を貰えやしないかと期待している。期待してしまっているのだ。

新しい掃除機がほしい。でもまたお友だちから貰えるなら買わなくても……。そう思ってしまう。

よく考えたら掃除機的な自立なんてしなくても別に構いやしないではないか。無料で貰えるならそれが一番ありがたいじゃないか。なんだ掃除機を買うことが成人の儀式って。そんな村、行政処分だ。

妻のお友だちはお元気だろうか。仕事は順調だろうか。歯は磨いているだろうか。宿題はやっているだろうか。掃除機を作っているだろうか。

今度それとなく妻に聞いてみようと思う。