蟻は今日も迷路を作って

蟻迷路(ありめいろ)の文章ブログ。小説、エッセイ、真面目な話からそうでない話まで。Twitter→@arimeiro

建設現場のドゴール

が空き地になったおかげで、街を見下ろすことができたり、月を楽しめるようになて嬉しかったのだが、どうやら3棟、家を建てることになったらしい。

 

下記の場所で建設工事を実施します。

付近の住民の皆様におかれましては、ご理解とご了承をお願い申し上げます。

工期:令和3年 1月中旬 ~ 6月中旬

平日・土曜日(日曜・祝日休み) 

 

といった旨のチラシがポストに入っていて、え、あの土地に3棟は無理があるんじゃないかと抗議しようとしたが、私の懸念をよそにある日突然、工事は始まった。

いったいいつ搬入したのかわからないクレーン車が土埃の中で腕を振るい、大工たちがおうおう声を出して土を運んだり鉄筋を立てたりしている。ずいぶん気合が入っているじゃないか。

現場作業員はどうやら全員が日本人らしかった。

取り壊し解体時はリーダーらしき人物と指導員以外は全員トルコ人風だったのだが、やはり建築していくとなると全員日本人のほうが意思の疎通がしやすいということなのだろうか。たしかにトルコ人に任せてモスク風のドーム屋根や尖塔を建てられても困る。

 

これから6月までは工事の騒音の中か。

私は騒音に対してそこまで敏感でもなく、意識から外せば無機質な音は聞こえていないようなものになるから、大して問題はないと思っている。工事なら音が出るのは仕方がない。無音でいつの間にか家が建ってる方が怖い。

しかし。

 

「そっち運べっつったろうが!」

「使えねーな!」

「ぼっと立ってんじゃねぇ!!」

「言わせんな馬鹿が!」

「立つな!」

「座るな!」

「殺させる気か!!!」

「なにしてーんだよお前ェはよ!」

「聞いとけっつったろがグズが!!!」

 

工事の騒音はいいのだけど、怒号が凄まじい。

なかには人格を否定するような言葉も含まれている。

10分に一回は同じ声の怒号が飛び、在宅ワークをしている私はだんだん自分のことを言われているような気分になってきて、黄昏の時間が怖くなった。

クレーン車が土を崩している騒音の中からも怒号が聞こえてくる。騒音に負けじと声を張っているのだ。いくらお隣りとは言えども、機材の騒音を押し退けて怒号が聞こえてくるって相当すごい声量だ。

 

ほとんど一日中、怒号は轟いた。

 

ベランダからこっそり覗いてみる。

リーダー格らしき男が、刺しそうな目で若い衆を叱りつけている。

現場の権力を持っているのだろうが、その権力はき違えて人をコントロールする力を持っていると勘違いしていそうであった。

腹は出ていて、手は分厚く、声はやたらと大きい。

 

私は彼を、ドゴールと呼ぶことにした。

怒号る。

 

在宅ワークが続くなか、毎日毎日ドゴールの怒号を浴びせられたら近隣の私にとって出来上がった物件は精神的瑕疵(かし)になる。

人の声はいろんな意味でよく響くのだから、ドゴールには気を付けていただきたい。

トルコ人たちはじつに静かに家を解体していたというのに。

の毛がたとえば排水溝に絡まっていたりすると、耐え難い憎悪・嫌悪を抱く。

小学生の頃、教室を雑巾がけして水道で流すときに誰かの髪の毛が くすりゆびに絡まっていて、言いようもない不快感に雑巾を壁に投げつけたくなった。実際に投げつけたかもしれない。

 

口の中に髪の毛が生えたらどうしよう、と眠る前に考えて、悪夢にさらされることがある。

もっと酷いと、性転換手術をして人口膣をこしらえたものの術師の腕が悪くて毛根を内部に巻き込んでしまい、術後しばらくして膣から陰毛が生えてきたらどうしよう、と妄想して怖くなり、気絶するように眠ることだってある。どうして眠る前に性転換手術をして人口膣をこしらえたものの術師の腕が悪くて毛根を内部に巻き込んでしまい、術後しばらくして膣から陰毛が生えてくる妄想をしなければならないのだろう。性転換手術をする予定は一生ないのに。

 

毛はしかるべき場所に生えていればいいのだけど、落ちていたり、不条理な場所に生えていると、殊更気持ちが悪くてしかたがない。

床に一本落ちているのも嫌だし、排水溝に絡まっているのも嫌だし、キーボードの隙間から覗いているのも嫌だし、ドアノブにちぢれ毛が密生していたら発狂してその場で永久脱毛するかもしれない。

しゃもじ、改札機、アスファルト、五千円札など、本来毛の生えていないところに毛を植えたらよっぽど気持ちが悪いだろう。

 

 

よくわからないのだけど、若い女性は髪の毛が抜けやすいのだろうか?

実家でも妹の髪の毛がそこら中に落ちていて、一時期青色に染めていたときなんか、あ、ここに妹はいたんだな、ってわかってちょっと嫌だった。髪の毛が落ちていたから妹がここにいたとわかる、そんな自分も嫌だった。

同棲している恋人の髪の毛も、掃除機で吸っても吸ってもいつもそこらに落ちていて、私の髪よりずっと細いからすぐわかってしまう。

生理現象だから仕方がない。きっと代謝がいいのだろう。

 

大好きな恋人のものだとしても、落ちてる髪の毛は好きじゃない。

目に余るようだったら拾って捨てている。

だけど生えてる恋人の髪の毛は好きだ。

束になった髪の毛の一本一本は細くて薄い色をしていて、その細い束からシャンプーの匂いがして、あたたかくて、ああ、とおもう。

しかるべきところに生えそろっている髪の毛は愛しく美しい。

密集している状態が美しく、単体だと憎悪の対象になるものははたしてそう多くない。憎悪とまではいかないけど、米粒なんかが仲間かもしれないな。一粒より数千粒のほうが見栄えがいい。憎悪とは違うけど、ジグソーパズルもピースが揃っていないと美しくない。不完全であるという状態が憎悪なのかもしれない。なにかコンプレックスでもあるのだろうか?

なんにせよ、落ちてるような不完全な毛は、醜く憐れである。

 

だけどもしもいつか禿げてしまったら、落ちてる髪の毛を嬉々として集めるかもしれないな。

かつら、かつらを作ろうとして。

音楽を楽しむのにうってつけの時代

bloodthirsty butchers(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)のLP版(レコード盤のこと)『ファウスト』を購入した。(画像上)

出だしから括弧が多くて申し訳ない(申し訳ない)。

 

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bloodthirsty butchersのアルバムは、優れている。

どのアルバムも「優れている。」と断言できる。そう人に推せるほど堂々とした出来栄えのアルバムをいくつも出しているバンドはそう多くない。そういう点でも稀有なバンドと言えるだろう。

 

 

優れたアルバムはジャケットも格好いいものが多い。

画像にある『ファウスト』も『kocorono』も気の利いたデザインだ。

こうして見るとあらためてジャケットは大きい方が良いな、とおもう。

正方形が堂々として、デザインそのものの美しさが際立つ。額装しない芸術だ。

CDジャケットではそういうわけにはいかなくて、小さいぶん、なんかショボくなってしまう。

LPジャケットの大きさでようやく「ジャケットデザインも作品の一部なんだな」とわかるし、たとえば部屋の飾りとしても映えて、彩りが生まれる。なにかこう、文化、って感じが部屋に添えられる。

今は手元の携帯端末で音楽を聴くことの多い時代で、アルバムジャケットは大して気にするものでもないかもしれない。

元来ジャケットは店頭に並んだ際に目を惹くように目立つデザインや格好良いデザインしていたものだから、今のストリーミングサービスで自動的に(悪く言えば受動的に)音楽を鑑賞する時代においてはジャケットはそう重要視されない。

むしろMVの方が重要視されていて、時代は変わっていくんだなっておもう。

 

だからこそ、今の時代、アルバムジャケットがやっぱり格好良いと思える。

 

音楽はただ聴くものでもなく、歌詞を読むだけではなく、生活を彩るものだけでもなく、部屋に飾りその存在を愛でるものでもあると、私は言いたい。

その点で、小さいCDよりもLPレコードの方が映える。

 

掃除したり修理したりいちいち針を落としてやらなきゃならなかったり、レコードというものはそれなりに面倒だけど、そうやって面倒をかけて「向き合う」時間がなんだか誠実に思えて、ひとつひとつの動作が儀式的な意味を持ち、やがて音楽への礼節になっていく気がする。

 

そうやってレコードを愛でたり、CDでより簡単にアルバムを楽しめたり、iPhoneからBGM代わりにストリーミングサービスを利用することができる現代は、音楽の楽しみ方の幅が広くて良い時代だ。

それぞれ違う良さがあり、好きに選べて楽しいし、どのメディアでもこだわろうと思えばいくらでもこだわることができる。

本当に良い時代だ。

飛び地の正月休み

の正月休みは職場の方々より一日少なかった。

1月4日、現場の仕事は休みだったが、システムの稼働があったために、万が一何か起こってはマズいということで電話番として一人仕事に出たのである。

幸い何事もなく、ただただ流れる雲のようにぼんやりと過ごしただけで終わった。

 

その一日分の代休を昨日月曜にとって、三連休とした。

飛び地にできた正月休みみたいなものだ。

 

私の好きな三文字熟語。

三連休。

なんて素敵な響きだろう。

 

休みとはいえ私は快活そのもので、ふだん仕事に行く時と同じ時間に起床し、可燃ごみをまとめ、茶を淹れ、「めざましテレビ」を心ゆくまで堪能した。

めざましテレビ」を心ゆくまで堪能することができるとは、なんて余裕のある心だろう。

普段出勤日だったら、少しでも気に入らないことがあると「腐った馬の胃袋」とか「盧溝橋事件」などと罵声を浴びせてテレビを消し、お茶をがぶ飲みして突然わーっと泣いたり仰天して柏手を打ったり、はたまた何も入っていない冷蔵庫を開けたり閉めたりして情緒の不安定に陥っているのだが、昨日だけは、アナウンサーとゲストの微笑ましい馴れ合いも優しい気持ちで観れるし、アナウンサーのいったいどこが面白いのか説明してほしいようなジョーク(?)にもちょっと笑えたりして、これが平日の休みかとその威力を思い知るのだった。

私以外のみんなが労に勤しんでいて、私だけが休日を謳歌している。これがたまらない。

 

状況を不幸と思うかどうかは自分次第だ。

普段の平日だって、不幸だと思っているのは自分自身であって、状況は単なる時間の流れの中の一部でしかないのだから、心の持ちようによっては普段からこうやって穏やかな気持ちで情緒不安定にならずに過ごせるのではないか、と反省した。

平日休みになると朝っぱらから広い心を持って自分の過ちを反省することだってできるのだ。

過ちて改めざる是を過ちと謂う。ああ、その通りだ。

 

オムレツを焼き、パンを焼き、ブログ(昨日の長い記事)を書いたら午前が終わったので、近所の食堂で定食を食べ、八百屋で きのこなどを購入した後はカフェでコーヒーをしばきながら読書をし、帰りにブックオフでCDと書籍を購入し、帰宅した。

 

 

買った本。

伊藤計劃の『ハーモニー』は持っていたのだけど、表紙のイラストが気に入らなかった。そこで表紙を捨ててしまった。たまたま以前の白地に文字だけのシンプルデザインのバージョンが古本に売っていたので購入した。

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これよこれ。格好いいね。

 

虐殺器官』もイラストやめてほしいな。

ラノベじゃあるまいし。せめてセンスのあるイラストにしてほしい。

「イラストにしましょう」って企画した人、たぶん馬鹿なのだろう。イラストにしたらより本が売れたのかもしれないけど、そのことを認めたくはない。

少なくともセンスは無い。

 

 

帰宅して残りの本を読み、ゲームをして、シチューを食べ、酒を飲んだ。

 

リラックスした理想的な休日を過ごすことができた。じつに気持ちの良い一日だった。こういう気持ちでいられるのも、平日にちゃんと働いているからなのだろうか。唯一その点においてのみ、働いていてよかった、と思えるのであった。

英気を養えたことだし、これで今週も頑張れそうだ。

実際頑張るかどうかは別として。

マリオ64のステージでサバイバルすることになったらどのステージを選べばいいの~!?

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リオ64のステージはどれもマリオへの殺意に満ちている。

 

足元はおぼつかなく、

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強い風が吹き、

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時には毒ガスやマグマに包囲されることだってある。

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敵に殺されることよりも、ステージの構造そのものに殺されることの方が多い気がする。

「どうやってマリオを殺そうかな」という制作側の強い意志をひしひし感じる。

 

マリオは超人だから、マグマに落ちても「アー!ワッハッハッハッハッハー!ウワァーーーーー!!」と尻に火がついて跳びはねたり走り回るだけで済んでいるが、常人だったらマグマに落ちたら即、アウトだ。ターミネーターだって溶鉱炉に沈んで活動を止めたし、アナキン・スカイウォーカーもマグマに落ちて半死する。凡夫が無事に済むわけがない。

尻に火がついてオロオロして済むのはマリオくらいのものなのだ。しかもマリオは金銭を収集するとダメージから恢復するという、よほどの資本主義の犬っぷりである。

私たちの現実では、金があってもどうしようもないことがままある。

 

────────

 

マリオは超人だから数々のステージを攻略できるけど、これが常人だったら、下手したら1枚もスターを集められず、ピーチ姫がクッパに凌辱されるのを指をくわえて見るしかないのかもしれない。

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たまったもんじゃない。

 

でもクッパが「スターを集めなくてもステージで一週間生き延びたらピーチを還してあげる」と言ってくれたら……?

「装備はナイフと最低限の衣服だけね。食料・水・火・シェルターはもちろん現地調達」

なかなかシビアだな~。でも全裸で投げ出されるよりマシか……。

 

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(いつも裸でサバイバルしてる人)

 

 「ステージも選んでいいよ。いきなりウォーターランドに飛び込んだら死ぬでしょ?」

え、いいの?

 

クッパ、優しいじゃん。

 

 

こうなったらステージでサバイバルをするしかない。

どのステージなら一週間サバイバルで生き残れるか、考えてみよう。

 

 

1.ステージを選ぶ

 

ステージ的に簡単なところが最も生き残りやすい、というのは間違いないだろう。

だけど、スターを取る簡単さと、一週間サバイバルで生き残る簡単さは必ずしも相関ではない。

たとえば最初のステージ「ボムへいの せんじょう」を見てみよう。

 

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「せんじょう」と言われるだけあって、爆弾たちが大砲を撃ち合っている危険な場所だ。

ここは緑も多く食糧(ノコノコやクリボーなど)も多いので、サバイバルにはうってつけのステージと思われるが、問題点がけっこうある。

 

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時折、敵側から水玉の砲丸が飛んでくるのだ。

ここは戦場。敵も爆弾(ボムへい)で、自爆してマリオを殺しに来る厄介な存在だ(太平洋戦争の揶揄か?)。

そこかしこでボムへいは警邏(けいら)していて、見つかったら自爆するまで追いかけまわされる。

 

マリオだったら水玉にあたったり、ボムへいに自爆されても多少のダメージをくらうだけでぴんぴんしているが、サバイバルをするのは私、都内在住の小市民である。

ボムへいが自爆してコインを集めることができても、失った片足はもう戻ってこない。

ここはゲームじゃない。現実なのだ。

 

ステージ1、とはいえ戦場。

戦場でのんきにサバイバルができるわけがない。

 

またもう一つの問題点として、このステージには「水」が無い。

 

 

2.ステージ選びの要件定義

人は水が無いと72時間で死ぬと言われている。

水はそこらを掘って湧いてくるものではない。サバイバルにおいては川や池、湧き水など環境に存在するものを利用するのがオーソドックスである。

その水がそもそも無いとなると、生き残れる確率はがくんと下がる。

 

要件1:水があること

 

ここで水以外にも、生き残る確率を上げるための要件を考えてみよう。

水があれば、とは言えありすぎても困る。溺れ死んでしまうから、水メインのステージは除外したい。

 

要件2:水ステージは除外

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マグマステージは、水がないばかりか「即アウト」に包囲されるので除外したい。火傷を負いたくない。

 

要件3:マグマステージは除外

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こちらの装備は最低限の衣服とナイフのみである。

さすがに全裸ではないけれど、氷雪系のステージでは一週間どころか半日で死亡する確率が高くなってしまうので、これもまた除外する。

 

要件4:氷雪系ステージは除外

 

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以上4つの要件を満たすステージを絞ると、以下になる。

 

ボムへいの せんじょう
バッタンキングの とりで
かいぞくの いりえ
さむいさむい マウンテン
テレサの ホラーハウス
やみにとける どうくつ
ファイアバブル ランド
あっちっち さばく
ウォーター ランド
スノーマンズ ランド
みずびたシティー
たかいたかい マウンテン
ちびでか アイランド
チックタックロック
レインボー クルーズ

 

この7つのうちから、最も生き残れそうなステージはどこか考える。

 

 

3.食糧問題

 

要件定義はしたものの、依然として危険は残っているし、実際に水・火・食糧・シェルターを確保してサバイバルできるかは別となる。

7つのステージは「水」はあるのだが、それ以外の3つ(火・食糧・シェルター)に関しては自分で何とかせねばならない。

 

このうちで「(生き残れ)ないな」と思ったステージはふたつ「みずびたシティー」と「やみにとける どうくつ」だ。

 

「みずびたシティー」はステージ中の水量を調整できるので、最も水位の低くなるように設定することはもちろんだが、それでも常に足元には水が張ってあり、半日もいれば足のふやけるストレスで自律神経が破壊されることは間違いない。

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(みずびたシティー)

 

「やみにとける どうくつ」では地底湖に水があるのだが、そこに行くまでに大穴を跳び越えて行かねばならず、凡夫である私にはとても無理だと考えられる。また、日光が無いのでここでも自律神経を破壊されるだろう。

 

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(やみにとける どうくつの穴を幅跳びで行く)

 

よってこの2ステージは除外することができる。

 

テレサのホラーハウス」も除外したい。

お化けがたくさんいるし、食料は眼球お化けとデカい蜘蛛しかいないのだ。

蜘蛛なんていかにも冷たそうだし、どろっとした臓物がまろび出そうで恐ろしい。そんなもの食べたくない。

 

──────── 

 

ここから重要になるのは食糧の問題である。

 

マリオはジャンプしてクリボーなどを仕留められるけど、私は凡夫だ。ジャンプで殺すことなんてできない。

だからといってナイフでモンスターを仕留められるかも疑問だ。

ナイフが通用するのだろうか。また、仕留めたところで、食べられるのだろうか?
そもそもモンスターがいるということが脅威である。善戦はしてもできるだけ命の危険にさらされたくない。

 

仕留められそうなキャラがいて、かつ安全圏の多いステージはどこだろうか?

 

 

考えた末、バッタンキングのとりで」「あっちっち さばく」の2択に絞った。

 

 

4.バッタンキングのとりで

 

このステージは植物が豊かだし、水も豊富にあり、敵も「パックンフラワー」なので基本的にはこちらから近づかなければ襲われる心配もない。

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めっちゃやってるから、どの花畑からパックンフラワーが出てくるかも承知だ。

 

ただし、水辺までにはそれなりに危険な障害がある。

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せり出す壁のタイミングを見計らわなければならないし、

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せりだす床のタイミングを見計らわねばならない。

 

このあとにはやたら段の高い階段や、ドッスン(コンクリートの塊のような敵)がいるので、かなり注意が必要となる。コンクリートに潰されたら肉片しか残るまい。

 

食糧としては、お助けキャラのフーコがいる。

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フーコをなんとか捕まえることができれば、この大きさの鳥だ、一週間は楽しめそうである。

 

ただやはりこのステージ、水辺に行くまでの危険がかなり伴うのが懸念点だ。マリオだったら3段ジャンプや壁キックで水辺に行けるけど、何度も言うように挑戦者は私、東京在住の小市民なのだ。ラジオ体操の跳躍運動でやっとなのだ。

 

 

5.あっちっち さばく

 

このステージは砂漠だ。灼熱の太陽に焦がされる過酷なステージと言えるだろう。

ただし、砂漠ならではのオアシスがあるのだ。

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ご覧のように、奥にヤシもある。

食糧はいわずもがな、いたずらハゲワシのジャンゴだ(画面右)。

フーコよりも大きいので、仕留めればかなり余裕のあるサバイバル生活を送れそうだ。

 

フーコとジャンゴは敵ではない。

ジャンゴは邪魔をしてくるが、ダメージは喰らわないのだから敵ではない(間接的に死の原因になったりはする)。

「ダメージを喰らわない」点において、モンスターよりもより安全に仕留めることが可能なのだ。

 

このオアシスの他に、あずま屋もある。

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クリボーさえ倒せば、日陰で暮らせるというわけだ。

ヤシもあるので火を焚くこともできよう。木箱など資材もある。

つまり水・火・食糧・シェルターの4つを満たすステージは、ここ、「あっちっち さばく」だけなのだ。

 

ただ、オアシスまではサイコロ迷路という、これまたタイミングを見計らって進むタイプの厄介なコースがある。

でもこの迷路ならタイミングさえ間違わなければ難なく進むことができそうだし、常人離れした跳躍も不要なので、「バッタンキングのとりで」ほど体力を消耗しなくて済みそうではある。

あとは熱中症に気を付けるのみだ。

 

 

6.いかがでしたか?

 

私の結論としては、「あっちっち さばく」を推したい。

水に辿り着くまでの難易度がそこまで高くなさそうだし、食料(ジャンゴ、ヤシ)もあるし、サバイバルの四要素がすべてそろっているというのがポイントが高い。

 

ほかにも考えたのが、たとえば「たかいたかい マウンテン」

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スタート地点に水がありそこに魚も住んでいるのだが、標高が高くて寒そうだし、火を焚く素材もないし、いたずらサルのうっきー(このゲームはやっかいないたずら者が多い)がいるところまでは幅跳びをせねばならず、また敵もいるので脅威が多い。だいたい、サルの肉なんて硬くて臭そうだ。

 

バッタンキングの とりで」は気候も良さそうだし、木を倒せば火もなんとかなりそうなのだが、シェルターはどうしようもなく、それとやっぱり水までの道のりが困難だ。

落ちる、潰される、乗り越える、という肉体的な消費が半端ではないだろう。初日に全身筋肉痛になって動けなくなりそうだ。

 

 

そういうわけで私は「あっちっち さばく」でなんとか生き残って、ピーチ姫を還してもらうことに決めた。

 

 

それではちょっと行ってまいりますので。

ピーチへのお土産はジャンゴの禿頭にしよう。

肉体に訴えかけてくる良さ

ぅちゃんが我が家に来てから数日。毎日のように音楽をかけ、すぅちゃんを楽しんでいる。

小さくて可愛いのに渋い見た目で、もうずっとここにいてくれろ、と毎日声をかけて撫でまわしている。

もうちょっと良いお部屋に住まわせてあげたいな、と親心まで芽生えている。本棚のワンスペースに入れてあげたら可愛いんじゃないかって思ってる。もしも他人に貰われることがあったら、そいつを7回殴ろうと思う。

 

ところで すぅちゃんとは、音楽プレイヤーのことだ。

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見た目可愛く、マテリアルな手触りが優しくて温かみがある。

 

音質も値段の割には良いと思える。

というか私はあまりオーディオマニアでもなく、どれくらいが値段相応なのかわからないが、とにかく「良い」と思えるのだった。

 

なにが良いって、ベースがいい。

 

低音ってやっぱり大事なんだなぁと聴きながら実感した。

臓器に直接響いて肉体的に音楽が「わかる」かんじ。音楽は頭で聴くものではなくて全身で聴くものなんだ。いや、耳で聴いてるんだけどさ。響きの実感としての話。

低音がぶりぶり鳴ってると全身が音に包まれる感じがしてひじょうに気持ちがいい。

iPhoneのスピーカーから聴いたり、ヘッドフォンで慎ましく聴いていた時は、身体を使って聴いている感じではなかった。音楽を「理解」することはできても、身体で「了解」することはできていなかった。

そうだった。音楽ってプリミティブで直接的に肉体と感情に訴えかけてくるものだった。難しいものじゃなくて、好きか嫌いかだけなんだった。

そう思った。

ビリー・アイリッシュの「Bad Guy」をすぅちゃんで聴いてみたら、ベースがこれでもかってくらい出てて、なんなら歌よりも出てるんじゃないかってくらい主張してきて、これはライブで聴いたら気持ちよくて失禁するかもしれないな、ってちょっと怖くなった。

 

音楽を肉体で聴くことは、とても楽しい。

 

 

バンドでもオーケストラでも、ベースが充実してると聴いている側は気持ちがいい。

それはやはり、ベースだけが臓物を揺らすことのできる楽器だからだ。

肉体的に訴えかけてくるからだ。

ドラムスと合せて肉体に訴えかけるリズム隊さえちゃんとしてれば、バンドなんてどうにでもなる、とさえ言い切れる。

だからバンドをやっている子は、ギターやキーボードはそれなりにしてベースを目立たせてあげたほうが演奏力が高いように聴こえるから、ベースアンプはメモリをMAXまで上げるようにしたほうがいい。

バンドでベースのやつがやたらモテるのも、結局はそういうことなんだと思う。

 

肉体的に訴えかけてくるのだ。

 

本は挫折したっていい!

はずっと手元に置けて一生楽しめるものだから安い買い物だとも考えられるが、購入に際し金銭は発生するわけであって、その金銭は日ごろの血と汗と涙の労働によって得た対価なので、いくら安いとは言えどもその数百円、乃至は数千円にはある種の怨念、のようなものがこもっていると思うと、はたして衝動的に買った本を最後まで読まない、あるいは読まずに積んでおくというのは、自分に対して・または御金を払ってくれた人に対しての冒涜なのではないかと強迫的な観念を抱いてしまう人もいるかもしれないけど、そんなことはない。

 

本なんて買ってそのまま読まなくたっていいのだ。

 

本を買うタイミングと読むタイミングが同じでないといけないなんて誰が決めたのだろう。

私はウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を二年くらい積んで放置していたことがあるが、それは買うタイミングと読むタイミングが異なったという最たる例だ。

そのとき欲しいと思ったらすぐに買うが、同時に別の本も読んでいるし、勉強しなきゃいけなかったり、掃除機をかけなきゃいけなかったりして、なかなか本を読む時間が作れないことがある。

薔薇の名前』は分厚く、文字も小さく、しかも上下巻だし登場人物も多く難解だった。

買ってから読みはじめるまでに2年かかった。

その2年のうちに、犬が亡くなり、大学を卒業し、就職し、父親が死に、恋人と同棲をはじめ、コロナウィルスがパンデミックを起こした。

さまざまなことが起こったものだ。

そのさまざまだった2年かけて、読む覚悟ができた私は、一か月かけてなんとか読み終えることができた。

 

いずれ読むかもしれないからとりあえず買っておこう。

本とは出会いで、一度離れたら二度と手に入らなくなることだってあるから(たいていはタイトルを亡失するなどして)、気になったら、ちょっとでも欲しいとおもったら買うといいだろう。

 

本を買うタイミングと読むタイミングは異なるし、また、読むタイミングと「読み切る」タイミングも異なると私は考える。

読みはじめたものの難しすぎてよくわからなくなったり、あまりぴんと来なかったりして、ページを閉じることがある。

挫折、と人は言う。

だけどそれは、厳密に言えば挫折というよりも、「まだ読むタイミングではなかった」ということになる。

そういうときはなにも自分の理解力の無さに落ち込んだり、無駄な金を払ったと後悔するのではなく、とりあえず本棚にしまって、また何年後か何十年後かに来るであろう読むタイミングを待てばいいだけなのだ。

賞を獲ったり絶賛されている本の面白さがよくわからないと、なんだか自分が劣っているのではないかって気分が塞いでしまうこともあるかもしれないけど、そんなことはなくて、たとえば誰しも似合う服と似合わない服があるように向き不向きがあるものだし、カントの『純粋理性批判』は世界を変えた一冊だけど読破して完璧に理解した人なんてこの世に数えるほどしかいないのだ。

 

「まぁ、また今度読めばいいか」程度におもって、飾ってみたりすればいい。

本はインテリアにもなって便利だ。

 

もしも読むタイミングが結局取れず、たとえば死んでしまっても、棺桶に入れてもらえばいい。

本はよく燃えるから。