蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ハトの営巣憎悪

トの営巣の画像をたまに眺める。

調べてみてもらったらわかるけど、ハトの巣は巣としての尊厳を失っている。もはや禅の世界に到達したミニマリストみたいな巣を作る。

巣の概念ですらない。

1〜2本の枝を置き、その側に卵を産みつける。産みつけるというか、産んだらそこに枝が落ちてた、と言った方が状況描写としては正しいかもしれない。気が向いたら、またちょっと枝を足していく。だが、それでも一般的な巣の様態ではない。吹き溜まりみたいだ。

人の家のベランダや、庭先など、変なところを気に入って、一度気に入ったら防ハトネットを設置しても隙間から枝を1本か、頑張って3本くらい差し込み、巣を作るらしい。

あとは卵を産んで「巣」に設置するだけである。

ヒナが孵ると糞を撒き散らし、病原菌を媒介するので極めて不衛生らしい。それを、たった数本の枝でできた「巣」で営むのだ。

私は、ハトのそういう、なんていうか、人間のみならず鳥類すべてを馬鹿にしたような態度が嫌いだ。

なんだか、ズルに思える。

もっと真面目にやれよ、と思う。

こんなものを巣と言い張る割には後ろめたそうな顔つきをしている。思想を主張するならもっと堂々としろよ。

そういうところが大嫌いだ。

本当に嫌いだ。

馬鹿というか、存在を認めたくないほどの嫌悪。

あああああああ!!!!!

そうしてひとしきり憎しみをハトの営巣にぶつけたあと、気持ちがスッキリしていることに気づく。

 

オーウェルの『1984年』でも「2分間憎悪」というものがあった。

敵の映るスクリーンに向かって、日頃の鬱憤を晴らすように、みんなで涙を流し、唾を飛ばしながら、呪いの言葉を吐き出すのだ。

あの小説の世界ではその行為が、集団の秩序を保つ機能のひとつとして働いている。

私のハト営巣憎悪は、2分間憎悪と似たような効能を持っている。日頃、周囲には愛想良くして怒りを露わにしない代わりに、ハトには胸が冷たく燃えるような憎しみをぶつけている。正確には、ハトではなく、ハトの営巣に向けてだ。

 

このようにして自己管理をしているので、私はなかなかまともな人間ではないだろうか。

 

優勝おめでとさん

WBCの決勝の模様は、仕事だったため観ることは叶わなかったが、Yahooニュースを10秒に一回更新することで、リアルタイムでの戦況は知ることができた。

一球目はどこに投げた、二球目はどこに投げた、と逐一情報が出てくるので、試合を脳内補完するのに困らない。

とは言ってもミーハー中のミーハーである私は選手の名前が出ても正直よくわからない。知っているのは、大谷選手、ダルビッシュ選手、23歳の山上選手(山中?村田?村山?だったかも)、ヌールバー選手(こちらも曖昧だ)くらいだ。

ましてやアメリカ人の名前なんて1人も知らない。

だがそれでも、なんとなく状況は伺い知れ、仕事をするふりをしてf5キーの連打が止まらなかった。

上司も同じようで、誰かが打つたびに顔を見合わせた。

会社ビルの他の階にテレビがあるというので、上司は打ち合わせに行くと言い、我慢できずにそのテレビへ向かったのだが、電源は入るものの画面が映らなかったらしい。故障である。抜け駆けは許されない。

結局、試合速報で日本の勝利を知る。

サイトの表示は「試合終了3-2」とだけ質素に出ていて、だがそれだからこそ、勝ったという事実が浮き彫りになるような気がした。

「勝ったね」

「勝ちましたね」

「いや〜よかった」

「強敵でしたね」

みんな、大声で騒いだりはしないけど、勝利を喜んでいた。

 

上司とランチを食べに外に出て、入った店はスポーツ観戦もできるところだったらしく、大画面で優勝記者会見の模様を映していた。

みんなが大谷選手に釘付けになっていた。この人の発する言葉には、この人の投げる球のような力強さがあり、言葉を実行できる大谷さんの心のあり方と、言霊のようなパワーを感じられる。

「憧れるのはやめよう」と試合前に発した彼の言葉には息を呑んだ。

「憧れていては、勝てない」

おっしゃるとおりだ。今日からこれを座右の銘にしようと思う。

9回、最後にマウンドに上がり、三振を取った大谷選手。

なにからなにまで漫画みたいな展開で、彼は圧倒的に主人公だった。

そして次の主人公は、すでにもう生まれているのだろう。彼の活躍をテレビで見ている、野球キッズが。

「試合、見たかったっすね」

「見たかったな」

上司とはそんな話をポツポツして、お昼休みいっぱいまで店のテレビを見ていた。

唯一、店員のインド人たちだけは野球にまったく興味がないようだった。

俗でミーハーなWBC観戦

分はミーハーなので、普段はプロ野球を一切見ないけど、WBCだけは、準決勝から見る。

予選から見てないのは、やはりミーハーだからだ。予選という響きがなにか、本戦じゃないんだよナ、という本腰の入らなさを予感させて、野球は試合時間も長いのできっと飽きちゃうだろうと思って、Yahoo!ニュースで追うだけにしていた。

準決勝も、最初からは見ていない。6回から見た。

野球は試合時間が長いので、1〜5回は見てもまだ勝負が決するタイミングではないし、ムダだからだ。将棋の1〜4手目を見ていても仕方がないのと同じ。

6回以降、先制されていたものの、日本もなんとかくらいつき、メキシコの猛打戦に奮闘。メキシコ選手は体が大きいので、相手として日本は不利ではないかと思われた。

高校球児はみんな痩せているのに、プロ選手は太くて、なかには腹が出ている人もいて、不思議なスポーツである。サッカー選手は高校もプロも同じくらいの体型なのに。

試合は紆余曲折あったものの、9回、サヨナラ逆転で日本大勝利。

さすがに鳥肌が立った!

6回からしか見てないものの、ちゃんと興奮できたし、美味しいところを見れたのでよかった。

我ながらミーハーを通り越して、一種のクソだと思う。スポーツ観戦というものを完璧に消費している。

 

明日の決勝は朝だ。

私は仕事なので見れないが、どうかアメリカを蹴散らしてやってほしい。あいつらは調子に乗ってる。思い出させてやれ。

Yahoo!ニュースでちょくちょく試合を確認するつもりだ。

 

明日は休み/子羊のグリル/無変換の謎

社の空気が全体的に弛緩していた。

そもそも出社した人が少なかったし、外は行楽日和で晴れやかで、しかも火曜日は祝日ときたもんだ。

誰だって仕事をする気が失せる。

ただ私は、あえてだけど、結構、仕事に勢いをつけて臨んだ。

まるで明日の休みなんて毛頭考えていないかのような働きぶりであった。きっちり2時間半残業をしているし、いくつか電話をかけ、作業を少しでも先に進めた。

やれやれ、それでも仕事は終わらないな。いやぁ、大変だな、1週間てのは。いやぁ、明日も仕事か〜…って気分で今このブログを書いている。

このあと家に帰っても、まったく浮かれずに、粛々と雑務をこなす予定だ。

なぜなら、こうやって普通の平日のように過ごしておきながら、ふとしたときに「いや、火曜日お休みじゃん!!!!!」と気付いたほうが多幸感があるから。

でもまぁ、無理だろうな。

嬉しくてすでに手がワナワナ震えてるから。

 

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子羊のグリルとか、子牛のステーキとか、ひな鳥のフライとか、そういう料理がある。

子羊だからなんなのだ、という気がするが、しかし美味しいから良いとして、それにしても子どもを食べるというのはなんとなく気が引ける。

どうせ成長したところで食べられる運命は変わらないから遅いか早いかの差でしかないのだが、私は別に、子羊が出されたからって「やった!"子"羊だ!子どもの肉は甘くて美味いんだよな!」なんて思わないので、子羊の肉を使っていたとしても秘密にしておいてもらいたい。ただただ、妙な罪悪感を抱くだけなのだ。

自分が幼いころはとくに「子羊の〜」を目にすると人間の残虐性に怯えたものだ。きっと、子どもながらに大人に食われる恐怖をグリルプレートに重ねていたのだろう。

子羊の動画を見たあとだと、余計にグッと胸に刺さるものがある。

まぁ、食べるけども……。

 

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パソコンのキーボードには使ったこともないようなキーがある。

insertキーってなんなんだよ、と思うものだが、今日は無変換キーに注目したい。

これは、ひらがな→カタカナ→半角カタカナに文字を変換してくれる便利なものである。

でも、使うたびに「いや、カタカナに変換してるじゃん」と思うので、それが煩わしい。

無変換なんて名前にするから、カタカナやカタカナに変換するたびに「なんなんだよ」と喉に刺さった小鼻のように意識の一部をチラつくのだ。

無変換という名前をつけた人、なにを考えてたんだろう。正直、情状酌量の余地もない。あんまり上の人とも相談せずに納期ギリギリでテキトーに決めたんだろうな、という感を否めない。

あるいは、部長が「無変換がいい。無変換以外はセンスない」みたいなことを言ったために、どうしようもなくなって「無変換」で登録されたのだろうな。

その部長は部下からかなり馬鹿にされてるし、すっげ嫌われてるんだろうな。

「無能感」とか言われてるんだろうな。

招待状を出した

婚式の招待状を出した。

親族には紙で、それ以外の友人にはweb招待状だ。

親族分だけでも宛名を書くのに苦労したので、その他大勢の友人らはwebにして本当に良かったと思う。

webのが安いし、管理もしやすいし、すでに数名から返答も見られるので、本当に便利だ。ただ、形に残らないということだけが、紙に劣る点だろう。

 

本当は親族も全員webにしたかったのだが、上の世代となるとあまりwebに慣れ親しんでいないこともあり、かえって混乱を招きそうだったので、親族のみ紙の招待状を発注した。

私は昔お習字を習っていたので、こういう宛名書きの毛筆にはその経験が活かされたわけだが、それでも何枚か書き損じてしまい、つくづく文字を美しく書くというのは難しいことだと思い知った。

文字をじっくり書いていると、それがだんだん絵に見えてくる。漢字というものはひとつひとつにストーリー性があり、漢字特有の性格があって、なにか魂のようなものの震えを、筆の先に感じる。

美しく書くということは、なんて美しい行為だろうと、思った。

想いが詰まっていればそれでいいではないかという意見もわかるけど、文字は文字である以上、人に伝えるものであり人が見るものだから、美しくて悪いことなんてない。美しく書こうとすると時間も労力もかかる。その苦労がまず精神的に美しく、その結実として綺麗な字に仕上がっていたほうが良いではないか。せめて、丁寧な字であってほしい。

だから、わかりやすく字が美しい人というのは得だ。

今やスマホですぐに文字を書けてしまうけど、じっくり文字と向き合い、その文字の中に自分の精神を見つめるという時間もあっていい。

流行り廃りの入れ替わりが異常に加速している現代において、その速度に疲れた人たちの間で「あえてスローに生きる」ことが流行るのではないかと思っているので、そうしたら書道がブームになるかもしれない。あえて、手紙を書く、とか。

にしても、親族分だけでも結構面倒くさかったので、デジタルの恩恵も噛み締める。

 

web招待状の返信で、メッセージ欄に「結婚おめでとう」とか「本当に楽しみにしているよ」と書いてくれた人もいて、なんだかそれを見て、今更だけど結婚式へのモチベーションが上がってきた。

私たちを祝福してくれて、晴れの日を楽しみにしてくれている人たちが、確かにいるのだ。

誰からも返信がなかったらどうしようなんて思っていたけど、そんなことはなかった。

みんなに会えるのが楽しみになってきた。

ウヰ

近はカティサークを飲んでる。

村上春樹の小説によく出てくるし、とびきり安いのに、それなりに美味しいからだ。

ウイスキーは高い。

なんで高いのかはわからないけど、高くてもしょうがないな、という味はする。つまり複雑で、哲学的で、一概には言えない、ということだ。

 

近頃はウイスキーにハマってよく飲んでいる。

でも高いのには手を出せないので、それなりに安価なものばかりだ。

毎晩、シングルかダブルで、眠る前に一杯。ウイスキーだけを飲むときもあれば、ひと口チョコレートをつまむときもある。苦いチョコレートの風味がウィスキーのスモーキーな香ばしさにマッチする。

ウイスキーを飲んでみると、その美味しくなさにまずびっくりする。

なんだかトロリとした液体で、メイプルシロップみたいな色をしているから、ほのかに甘いような想像をするのだが、その実態は純粋なアルコール飲料で、口に含んだときから揮発性の熱さを孕んでいて、なんだかちょっとした毒のようにも思える。

でも飲み進めていくうちに、その幾何学模様のような魅力がわかってくる。

ウイスキーはため息の飲み物なのだろう。

時間をかけて飲むもので、時間の流れの緩やかさとその悍ましいほどのはやさを楽しむための飲み物だ。

そこには諦めと尊さがある。

夜の静かさに染み渡るような味わいだ。

口に含み、アルコールの鼻に抜けてくる香りと舌触りを味わうと、その飲み物そのものが、夜を凝縮したような味わいに思える。

そのひとときに、一日の自分を労る気持ちが芽生えてくるのである。

 

ウィスキーを飲んでいる自分が好きだ。

労りの飲み物。

メリハリをつけた働き方

リハリをつけて働きたい、と入社当時に言ったことを、今なお上司にちくちく言われる。

ちくちく言われるというか、私が残業しまくってると「あれ?メリハリは?」と指摘されるし、逆に早く帰ると「メリハリついてるね」と言われる。

 

残業を馬鹿みたいにしてる人は馬鹿だと思う。そりゃあ、仕事量とか能力差とか要因はいろいろあるけれど、最初から今日は残業してこの仕事しよう、と残業を前提としているよりかは、いかに定時内で効率的に動けるかを考えた方がいい。

とくにうちの会社は固定残業制なので、残業をした分、損をする。

ようは気の持ちようの問題というか、残業はできるだけしない!と目標を立てた方が日中の効率も上がるよね、という話だ。

 

でもまぁ、仕事してみると、定時内で終わるわけがない。

仕事量が多いし、ひとつひとつが重い。

それに能力も低くて効率も悪い。多い、重い、悪いの三拍子だ。

それで23時過ぎに家に帰ると、妻に怒られる。妻に負担をかけてしまっているのも事実だ。でも私は、まだ日付を超えていないだけマシだと思っているし、仕事が充実しているので苦ではない。それがまた問題になっている。

 

「メリハリをつけて働くのがモットーなんじゃないの?」と上司に言われると、ちょっとギクリとする。

我ながら入社したてで生意気を言ったもんだと思う。

でも先輩方を批判したわけではないし、あくまでも目標は目標だ。その目標がちくちくと自分に刺さる。

上司に茶化されるたびに、ギクリとしてしまう。

思いの外、自分に刺さっている。

我ながら、良い目標だと思う。

 

妻の仕事も今忙しくて、それでも私の方が帰りが遅いので、かなりの負担を強いている。申し訳ないと思うし、妻の不満はそれだけじゃないみたいだ。

私はなにも、家庭や妻を犠牲にしたいわけではない。

でも、今の仕事も、犠牲にしたくない。給料は低いしわりとロクでもないことも多いけど、やり甲斐があるのだ。

 

メリハリをつけなきゃいけないなと思いながらも、今日は早く帰るために、週末家で仕事をするための資料を持ち帰っていて、メリハリがついていない。

妻が外出している時に仕事を進めようと思う。