蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

妻がいない週末の食事【※画像なし】

が出張と、週末に旅行していた関係で、木曜の夜から日曜の夜まで、私はアパートで1人で過ごした。

妻がいないと食事の楽しさが半減するため、なにを食べてもどう食べても楽しくないのだが、楽しくないなりに、自分の好きなものを食べようという気持ちが湧いてきた。

ずっとコンビニ飯でもいいし、カップ麺や牛丼を食べまくって糖質過多になるのもオツだろう。自堕落に走るのは簡単だ。

しかしせっかくなら「妻がいるときは食べられないもの」を作って食べたほうが、いつか死ぬときに「あの日はよかったなぁ」と思えるのではないか。

絶対にそうだ。

 

木曜の夜は牡蠣鍋にした。妻は牡蠣という素晴らしい貝が苦手なので、普段は食べられない。

仕事帰り、20時を回っていたがスーパーへ行くと牡蠣(加熱用)が400円程度で売っていた。これと豆腐(43円)を買う。白菜とネギは家にあるものを使う。

こういった鍋はまず昆布で出汁をとるのだが、昆布がないし、ついでにかつお節もないので、本だしをテキトーに入れる。気持ち少なめ。

酒もテキトーに入れる。酒の量は気分だが「ドヴォンドヴォンドヴォン」くらいで良しとされる。これを煮立たせる。

豆腐を9等分して土鍋に並べ、白菜、ネギを入れて再び煮立ったら、牡蠣を入れる。しめて7匹。これの過熱を怠ると大変なことになりそうなので、念入りに火を通した。

鍋を開けると牡蠣の香りがもやりと顔にかかって、幸せを直感した。

牡蠣の出汁が豆腐に染み込み、湯豆腐としても美味い。

ネギはともかく、白菜は不要だったかもしれない。少し水っぽくなった。

それにしても牡蠣。なんて美味しいのだろう。もはや芸術的ですらある。奥深く、底知れない海の味がギュッと詰まっていて、噛み締めるごとに波間の潮騒が口の中に凝縮される。食べる詩だ。

余った出汁でおじやを作り、木曜の夜を〆めた。木曜だけど日本酒も徳利についで飲んだ。

素晴らしい人生の幕開けのような、そんな平日の夜がこの世界にはあるのだ。

 

金曜の夜は冷凍の餃子(ニンニクマシ)を食べた。

それからニンニク入りの混ぜそばも。

こういったものを妻がいるときに食べるのは、ガリハラ(ガーリック・ハラスメント)になるので避けるようにしている。

言うまでもなくギルティ。金曜の夜はこうでなくちゃ。

 

土曜の夜は、豚レバーを買ってきて、レバカツを作った。

私はなんといってもレバーが大好物なのだが、妻はレバーを毛嫌いしており、そのせいか慢性的に鉄分が欠乏している様子である。

レバーはそんなに高くないし、レバニラとか大好物なのだけど家では普段作れない。

ここぞとばかりにレバーを買い、牛乳とウスターソースに漬け、パン粉をまぶしてカツレツに仕立てた。

千切りのたっぷりのキャベツにレバカツを並べ、カラシをつけて食べる。しっかり下味がついているからソースはいらない。

薄いレバーがざくりと切れる歯応えが最高ちょっと固めにできたのが嬉しい。

牛乳につけたおかげで臭みもない。

レバー特有の、舌に重くのしかかる旨味がたまらず、これにカラシがつんとして、いいアクセントになっている。

これを、札幌ラガー、通称赤星で流し込む。

幸せのほかに言葉がない。生きててよかった。

将来は豚レバーになりたい。

 

日曜の夜は迷ったが、500円で売られていた鯛を買ってきて、丸ごと焼いて食べた。

切れ目を入れて塩を振り、グリルにGO。以上だ。なにも難しくない。

焼き魚は皮目に脂が乗っていて最も美味だ。鯛を丸ごと1尾食べているというその状況が美味しさと嬉しさを加速させる。

本当はファミレスにでも行こうと思っていたけれど、鯛が500円なのを目にして、こちらのほうが経済と判断した。

だが、目利きのできない自分は、魚は食べてみるまでわからない。今回は勝ったが、次はわからない。ときどき酷い魚にあたることがある。大抵、半額セールになっている鮮度の落ちたものだ。

 

月曜以降の作り置きに、角煮を作った。6時間かかったが、1日時間をかけて料理をするというのもまた贅沢で楽しい。

充実した4日間だった。

 

情報過多を生き抜く/AIの使い方〜線引き編〜

報が多すぎるうえに、その情報のほとんどが価値をなさない、というのが現在のインターネットだと思う。

Bingで調べても満足のいく検索結果が得られるわけではない。多くのページが広告に蝕まれて可読性が低く、よくわからんAIがさまざまなサイトを複合的に答えを出してくれるが、果たしてその答えに信憑性があるのか疑わしい。なぜなら、疑わしいサイトから引用しているから。

最新情報をすぐに見つけるのは困難を極め、本当に知りたいことは数学みたいにイコールの先に示されているわけではない。

こうなると「本に書いてある」ことは信頼がおける。ただ、調べるのが21世紀とは思えないほど不便だ。

インターネットで得られる最も信頼性のある情報は、突如出てくる論文のPDFや、専門家組織のサイトのコラムとかで発表していること、国や地方公共団体のサイト、くらいだ。

あと、IT技術者が趣味で書いているITサポートデスクの日記。

彼らはいったいなんなのかわからないけれど、そこに書いてある情報にどれだけ救われただろう。WindowsMacのサポートについては、MicrosoftAppleよりも素人の個人ブログのほうが信頼性があり、情報へのアクセシビリティが高い。

 

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AI、技術の進歩がすごくて、それなのにまだ確定申告はできないらしい。

人間が到達できない段階まで発達した棋譜を並べることはできるのに、一年間の税額を出すことすらできないなんて。

ただ、日々帳簿をつけていれば確定申告なんぞなんら難しいことはないので、これは怠惰な人間が悪いし、AIの手を煩わせることもないだろう。

 

でも、人間にとって「つまんね〜」と思われることはどんどんAIがやったほうが、人類のための道具然とするのではないか。

絵とか音楽、文学とか、そういう楽しいのは人間がやればいい。

芸術分野はただのコンテンツを楽しんでいるんじゃなくて、作品から表出する作者の人間性や時代を読み取っているから面白いのだ。

ただの綺麗な絵、ただの美しい文章、ただの複雑な音楽なんてつまらない。

これを人間が作ったからすごいんだ、という部分も楽しみの一つ。

だからAIが作ったものはどうにもインスタントにしかならないんじゃないかと思う。今見て、今忘れてもいいような、時間を潰すだけのものなら人間が作るのもしょうがないからAIに作らせればいい。

AI絵師って何が楽しいんだろう。

AIに描かせたイラストで満たされるような承認欲求なんて、浅い、薄い、安い。

普通に絵を描く人は、絵を描くのが楽しくて描いているのに(承認欲求を満たすために描いているならもっと経済的で効率的な方法を選ぶべきだ)。

 

AIを使うか使わないか、その線引きは「それAIにやらせておもろいんか?」という問いかけに詰まっている。

AI同士に将棋をさせてすべての棋譜を並べ立てても、それは面白くないから誰もやらない。

いつか完璧な、ミスのないイラストをどのAIも簡単に生成できるようになったら、この分野は一瞬で廃れるのではないだろうか。なぜなら面白くないから。

AIが人間には及ばないような面白い絵を描けるならまた話は変わってくる。

 

仕事にしても同じで、ほとんどの仕事は退屈だし苦痛でもあるけれど、なんかやり終えたときの達成感とか、自分の中に誇りみたいなものが芽生えるなら、AIから守りたい。

そうじゃない人はAIにやらせてのんびり暮らすのもいいだろう。

AIを使うとき「それ、おもろいんか?」と心の中に意志の強い大阪人を召喚して、「はい」か「いいえ」で嘘を混ぜずに返答しよう。

 

『魚服記』に出てくる「水無飴」とは何なのか

宰治の『魚服記』はさらりと読み流してしまうには難しい、なかなか解釈の分かれる短編小説だ。

でもまぁ、とりあえずは一種の民話だと思えば良いのではないかとも思う。

まずはテキストをテキストのまま飲み込むというのが小説を楽しむ第一歩だし、テキストをテキストのまま飲み込めるくらい、太宰の小説は面白みがある。

解釈はその後でいい。

 

さて、『魚服記』を読んでいて気になったことがある(気になることしかない小説だ)。

それは、出てくる食べ物についてだ。

主人公のスワは山奥に父親と住んでいる少女で、滝のそばの茶屋で「ラムネと塩せんべいと水無飴とそのほか二三種の駄菓子」を売って暮らしている。

「水無飴」?

水飴なら聞いたことがあるけれど、「水無飴」とは?

水飴があのどろどろした飴だから、「水無飴」は水気のない飴、すなわち普通の麦芽糖みたいなものなのだろうか。

気になったので調べてみた。

 

 

忙しい人のための結論

『魚服記』における「水無飴」とは「今村の水無飴」である。

 

↓ 以下の記事は暇な人用 ↓

 

「水無飴」の歴史

「水無飴」について単刀直入に調べてみた。

驚くべきことに、最初に文献で確認ができるのは『日本書紀』だという。

なんと『日本書紀』にはすでに「あめ」が登場していますが、この「あめ」は水あめの事です。
神武天皇が大和高尾で水無飴を作った」という記述が残されています。

飴の歴史 | 大文字飴本舗

飴=水飴とのことなのだが、しかし日本書紀に書かれているのは「水無飴」なので、「水無飴」は水飴ではないことになるのだろうか?

一方で次のサイトでは「水無飴」=水飴と説明している。

日本における飴の起源は奈良時代初期の「日本書紀」にまで遡ります。
神武天皇が大和の国を平定した際に、大和高尾の地で「水無飴」を作ったという記載があり、当時の製法は明らかになっておりませんが、米を原料とする水飴状の飴と推測されているため、今の米飴のルーツと考えられております。

日成産業株式会社 食品原材料商社

技術的に、現在のような飴は作れなかったっぽいことがうかがえる。

と考えると、「水無飴」とあっても現在のところでいう「水飴」と捉えて問題なさそうだ。

では、『魚服記』における「水無飴」も通常の水飴ということでよいのだろうか?

そもそも『魚服記』はいつの時代設定なのだろうか。

 

『魚服記』の時代

本文にはこう書かれている。

『ラムネと塩せんべいと水無飴とそのほか二三種の駄菓子をそこへ並べた。』

「水無飴」に加えて、ラムネや駄菓子も売っていたという手掛かりから、ラムネが日本で飲まれるようになった時代がわかれば、作中の時代設定も割り出せるのではないかと思った。この時点で、作中の時代は古代〜近世ではないことがわかる。神武天皇がラムネを飲んだという記述は記紀に確認されていない。

 

清涼飲料水としてのラムネはペリーの来航とともに日本に伝わったらしい*1

1860年には長崎で外国人の手によって製造され、日本人が製造を開始したのはその5年後のことである。

玉ラムネ瓶(ビー玉が入ってるラムネの瓶)になって各地に広まり始めたのは1880年代の後半で、1886年の夏は猛暑に加えてコレラという病気が大変流行したらしい。

「炭酸はコレラを撃退する」という噂が広まったことも手伝って、ラムネはとても売れた。

明治20年(1887年)ごろにはラムネは一般的な飲み物になっていたと推察される。

このことから『魚服記』は明治時代中頃以降の話であることがわかった。

 

もうひとつ時代を特定できるヒントとして、物価がある。

本文に『父親のこさえる炭は一俵で五六銭ももうけがあればいいほうだった』とあるので、明治時代の物価を調べることで『魚服記』の時代を絞り込めそうだ。

それにしても五六銭ということは、木炭は安価な燃料だったのだろうか?明治時代なら、たしかに石炭のほうが高価そうなイメージはある。

話は逸れるけど、竈門炭治郎も炭売りをしていたが、とてもじゃないけど裕福そうではなかった。あれは大正時代だったか。

さて、炭一俵の価格を調べてみたところ、明治3年(1870年ごろ)は30〜40銭であることがわかった*2が、これは地域などにもよるみたいだ。

日用品の価格は現代でもそうであるように、経済状況によって忙しく動く。さまざまなサイトを見てみたが、木炭のはっきりした価格はわからない。そもそも時代によって一俵の単位が揺らいでいたものらしい(すごすぎる)。

高知県宿毛市の資料*3によれば、1貫が明治12年には2.1銭とある。

貫(かん)は俵(ひょう)よりも下の単位ということを考えると、『魚服記』の父親は相当買い叩かれていたか、質の悪いものをおろしていたことがうかがえる。

ちなみにラムネは明治32年時点で一本8銭ということがわかった*4。これも店や地域にもよるだろうが。

茶屋で売るためのラムネを卸しから買ってるなら、炭作るよりラムネを頑張って売り捌いたほうがよさそうなものだ。

 

明治中期以降のいつの時代か特定することは難しいが、『魚服記』はとにかく近代であることことは確定でいいだろう。

つまり、「水無飴」=『日本書紀』のものかどうかは怪しく、近代日本における「水無飴」を調べなければならない。

 

太宰が想定していた「水無飴」とは

『魚服記』が発表されたのは1933年(昭和8年)なので、前述のラムネ云々のことを考えるとそれから50年以上経っていたことになる。

では、1930年代に「水無飴」はどのように扱われ市場に流通していたのだろうか?

よもやこの当時も『日本書紀』の「水無飴」だったのだろうか?

調べていくうちに、どうやらそうではないことがわかってきた。

 

www.akegarasu.com

上記のサイトでは「今村の水無飴」という商品のパッケージを掲載している。

サイトの主人には、昭和16年より前に売られていたのだろうことはわかっているが、それ以上のことはわからないみたいだった。

「今村製菓株式会社」*5について調べてみるものの、詳細情報まではわからず、いくつかのサイトからの複合補足的な情報になってしまう。

広告やパッケージ、看板は現在でもオークションサイトで取引されているみたいで、なんだか昭和レトロの趣がある。

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「今村の水無飴」は次のような飴だったらしい。

「『水無飴』始末記」を再読。今村の水無飴は明治時代に、森永のキャラメルに遅れること数年で出たもので、元になっているのは熊本の朝鮮飴(求肥飴、今でも熊本で売っています)だということです。

水無飴とボンタンアメ(山本夏彦の「二流の愉しみ」) | 知鳥楽/ Chichoraku

山本夏彦さんの『二流の愉しみ』という本に収録されている内容らしい。

「水無飴」とは、

「餅米と水飴と砂糖からなり、それをキャラメル大にかためて、それを一つ一つを白いかたくり粉でまぶして、蝋紙のかわりにオブラートで包んだもの。オブラートごと食べる。」

水無飴とボンタンアメ(山本夏彦の「二流の愉しみ」) | 知鳥楽/ Chichoraku

想像するに、素朴な甘さの、原材料に近い味だったのではないだろうか。

今度は朝鮮飴がなんなのかわからないが、そこはいったん置くとしよう。

また、論拠を裏付けるものとしてボンタンアメを製造するセイカ食品株式会社がXでこのようにポストしていた。

また、世田谷区の資料*6でも「水無飴」の記載が見られた。

「捕鼠デーには1疋3銭で買上げ、捕蝿デーには水無飴を差し上げる」と宣伝をしている。この当時、たい焼きが 1 つ 3 銭。水無飴というのは、東京・三田の今村製菓株式会社が明治 40年頃から製造していた飴で、現在の「ボンタンアメ」のような物と思われる。

この記述から当時「水無飴」といえば、今村製菓のものとしてブランド化されていたのではないか、と察せられる。

つまり一般名詞における「水無飴」は『日本書紀』の「水無飴=水飴」ではなく、「水無飴=今村製菓の水無飴」だったのではないだろうか。

また、上記の世田谷区の資料から、少なくとも昭和5年にはまだ「今村の水無飴」が売られていたことが判明した。昭和5年は『魚服記』の発表に近い時代だ。

ところで、当時からボンタンアメもあったし、キャラメルも流行っていただろうから、このソフトキャンディ界隈はかなり熾烈なブランド争いがあったのではなかろうか。

 

さて、太宰が果たしてこの「今村の水無飴」を想定していたかどうかは、本当のところはわからないが、執筆時期的にも「水無飴」が「今村の水無飴」を想定していた可能性は高い。

日本書紀』記述の「水無飴」を想定していた説も捨てきれないが、こちらの可能性は低いように思う。もしそうだとしたら、作品におけるノイズになりかねない。水飴や汁飴という言葉を使わずに、ラムネや駄菓子と並列に『日本書紀』の「水無飴」を書くような文章を書く人ではない。

江戸時代頃には水飴は「汁飴」などと呼ばれていたようだし、それ以降の時代にわざわざ1000年くらい前の「水無飴」と呼称を戻したとは考えにくい。残念ながら、水飴の呼称の歴史を調べるには、社会人の休日は短すぎた。

 

結論

「今村の水無飴」は通称「水無飴」として一般名詞化していて、『魚服記』では「今村の水無飴」を想定していると考えられる。

「今村の水無飴」はたぶん、素朴な甘味のボンタンアメ的なもの。

 

ブランドの一般名詞化は、たとえば現在でいうところの「コカ・コーラ」が略して「コーラ」と言われているようなものではないか(ペプシ派の意見には耳を貸さなくていい)。

そこから転じて「あの店ではコーラを提供している」と書いてあれば多くの人がコカ・コーラかどうかはともかくとして、黒い炭酸飲料を思い浮かべる(ドクター・ペッパーを思い浮かべる人の意見には耳を貸さなくてもいい)。

いや、でもコーラはそもそも特定のブランドを指す言葉じゃなくて最初から一般名詞だから(コカの葉の飲み物)、このたとえは不適切か(ペプシ派とドクター・ペッパー派のことだけ読んでもらえればそれでいい)。

ともかく、「水無飴」とあれば、当時の読者は「今村の水無飴」的なものを思い浮かべたと言ってもよいだろう。

 

おわりに

すごい長くなっちゃった。

『魚服記』にはまだまだ気になるところがたくさんある。後半に出てくる「くろいめし」とか。何それ?

いずれまた調べるかもしれない。

結局のところ、水無飴を食べたことがないのでどんなものかはわからないけど、いつか食べられる機会に恵まれたら、『魚服記』を思い出すのだろうな。

 

底本 岩波文庫富嶽百景走れメロス他八篇』(2007年2月15日発行)

 

猫語、犬語、ヒト語

は猫語を使っている。常識的に考えて。

同様に、犬は犬語を使っている。

それはそう、ヒトがヒト語を喋るのと同じことだ。

ヒトが犬語をわからないように、犬は猫語がわからないだろうし、猫は犬語がわからないものと思われる。

アニメや漫画によるイメージで、なんか動物は動物だけの共通言語を使っていそうと思われがちだけど、あの描写は正しくない。

ここでいう「言語」とは。

動物は人間よりもはるかに高尚で洗練された精神性を持っているため、そもそも言語などという不完全なツールを使わなくても意思の疎通が可能である。すなわち、ここでいう「猫語」や「犬語」というのは、精神の波長、のようなものだと思っていただきたい。

一方ヒト語は、このいま私(わたくし)が指先を痙攣させながら打ち込んでいる、言葉・言語そのものだ。私の文章は言葉の不完全さに拍車をかけている。

ともかく、その波長が、猫と犬とでは異なるため、相互コミュニケーションは不可能と思われる。

この理論だと、ときどき見かける仲のいい犬猫はお互いに何を言っているのか完全には理解しておらず、ただお互いの察せられる気持ちや動作から感情を読み取っているだけであって、会話をしているわけではない、ということになる。

ヒトが犬を愛し、猫に慰められるのと同じように、猫も犬もお互いのことよくわからないけど、慈しみ合っている。

この心こそが言語のない世界だ。

 

もし仮に(お気付きだろうか?ここまですべて仮の話しかしていない)、犬と猫の波長が合致することがあるとしたら、どちらがどちらの波長にチューニングするのだろうか?

日本人と韓国人の友達が喋るとき、どちらかの言語に合わせるように、犬が猫に寄り添うだろうか。それとも猫が犬に相槌を打つだろうか。

なんかわからないけど、感覚的に、そのどちらでもなく、その2頭の間でしか通じない独自の波長で心を通わせそうな気がしませんか。

韓国人の友達と喋るとき、間をとって英語で喋ろうとするみたいに。

もしそうだとしたら、ヒトどももその波長に混ぜてくださいませんか?

言葉なんてもういらないんです、本当は。

どうせ仮の話しかしないんだから。

 

エイもイカも人間と違いすぎる

イが海底を泳ぐ動画をなんとなく見ていた時に気付いたのだが、エイは人間と体の構造が違いすぎる。

エイって普通の魚とは全然違う見た目をしてるよな〜、軽自動車と在来線くらい違う。などと思っていた矢先の気付きであった。

エイと人間は、バスタオルと東急東横線くらい違う。

エイの体は人間にない要素で構成され、人間の体はエイにない要素で構成されている。まぁそれは魚一般もそうだろうが、エイに関しては特に顕著だ。

私がエイを人間とかけ離れてると思うように、エイも私たちをエイからかけ離れてると思うだろう。それはニーチェのかく語りし「深淵を覗くとき、深淵もまた私たちを覗いている」という言葉の真意を指すかのようだ。

やっぱりニーチェはすごい。

 

イカも人間とはかけ離れている。

イカは人間どころか、そこらの魚からも一線を画している。

イカを捌くとき、常々、本当にこの生物は地球上のものなのかと疑わしくなるくらいには、イカは人間と違いすぎる。

イカは、胴と頭(目のついてる部分)の隙間に指を突っ込んで、膜を剥がし、内臓を引き抜いて、捌く。この膜というのが薄皮でできていていとも容易く、もろい。

こんな膜一枚で内臓が胴体にぶら下がっているのだ。しかもそれは、包丁など使わずに、体のパーツ同士の「隙間」に指を突っ込むことで剥がせるのである。

胴体と内臓を外すのにこんなに簡単にできていいのだろうか?パーツに隙間があるのもよくわからない。

「体の大事な部分はすべて膜によってぶら下がってる状態」

それがイカのすべて。そもそも、頭の上に胴体があるのもおかしい。

内臓をうまいこと引き抜くと、こんどはまたその構造の単純さに驚く。

胃があって、なんか細長い部分があり、墨袋があり、なんか白いドロドロのものが付着している。

以上。

あまりにも単純で、その気になればビニール袋と腐ったチーズで再現ができそうですらある。

こんな構造した化け物が大海原をスイスイ泳ぎ、波間から射す光に無性な気持ちを抱いたりするのだから驚きだ。

しかも、焼くと美味いときた。

人間好みの味になって、人間に寄り添おうと企んでいるのだろうか。

閏年の「うるう」ってなに?

は1995年12月生まれなので、同学年の早生まれには、数名、1996年2月29日生まれがいた。

そいつらは4年に一度、示し合わしたように、たとえば12歳の年には「いやぁ、今日でようやく3歳ですよ」なんてことを言ってはクラスで注目を浴び、閏年生まれの恩寵を得て、出生そのものが特別なことであるかのようにしていた。心底羨ましかった。

今日、その人たちは7歳になる。

私と同じく28歳でもあるから、おそらく社会人になっていて、会社に勤めたり、パートナーと同居していたり、誰かと仕事をしたりしているだろう。

やはり、あの頃と同じように、「今日で7歳なんすよ」って言っているだろうか?

言っているのだろうし、話題になるだろう。

羨ましい。あの頃とは違う意味で。

この年齢になって、生まれたことそのものが特別であると認識できる機会があるのが、羨ましい。

 

ところで、閏(うるう)はどういう意味なのだろう。

「潤い」と音もつくりも似ているけど、さんずいがないだけで、異様な雰囲気を纏っている。

調べてみた。

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暦の調整、そのままの意味らしい。

「暦の上の季節と実際の季節とのずれを調節するため、一年のうちの日数・月数を普通の年より多くすること」という意味の漢字が「閏」だ。

「暦の上の季節と実際の季節とのずれを調節するため、一年のうちの日数・月数を普通の年より多くすること」という意味を一言で表す漢字があるのだからすごい。

やっぱりなんか、特別だ。

 

旅行の本質

今週のお題「大移動」

 

行の何が好きかって、移動がとにかく好きだ。

移動が好きなので、目的地に到着してしまうと、あーあ、着いちゃった……と肩を落とすこともある。

目的地にそこまで興味はなくて、私はただ移動がしたいだけであり、どこかへ行けるならその移動、過程にこそ旅情があると思っている。

移動しながらの食事はなんて美味しいのだろう。

移動しながらの読書はなんと退屈なのだろう。本を閉じて目を向けた車窓は、なんて特別なのだろう。

鉄道のシートのにおい。飛行機の音。レンタカーのハンドルの触り心地。キャリーケースの重さ。リュックのポケットに入ってるお菓子。絶対に使わないと思いながら忍ばせたサングラス。

移動過程で最も好きなのは、駅ですね。

新幹線の駅で出発を待っているときの、ああこれから移動をするのだ、慣れた土地を離れてどこかへ行ってしまうのだというワクワク感が最高潮に達する。

駅の売店でなんかその土地の食べ物を買ったり、慌ただしくNEW DAYSで飲み物やランチパックやガルボを買ったりする時間が好きだ。

今考えただけでもそわそわしてきた。楽しくて。

 

空港、大好き。

空港のチャイム?ピーンポーンパーンポーンってやつ。

「ANA752便 新千歳へお越しの皆様は15番搭乗口へ〜」

早口で唱えられるスタッフのアナウンス。あの声ってたいがい女性だけど、いつ聞いても同じ声な気がする。

旅の声。大好き。

あれを録音して聞いていたい。

空港って大理石だからキャリーケースを引っ張りやすくて嬉しい。そんなことを思いながら、お昼ご飯を食べるお店を探してうろうろする。

機内で食べるお菓子を買ったり、ペーパーバックを買ったりする。へ〜羽田空港ってありとあらゆるお土産があるんだな、とか思ったりする。

搭乗前の、ゲートで待ってる時間も好きなんだよな〜〜〜!!

これから乗る飛行機が、賢い執事のように、そこで待っている。

飛行機ほど美しい乗り物はないと思う。

人間が空を飛ぶために、徹底的な科学と論理で作り上げた鋼鉄の塊。空を飛ぶ夢の実現にはこれほどまでの現実的な科学が必要なのだ。

飛行機について思いを馳せる。

まったく惚れ惚れする乗り物だ。

おれはこれから、この鋼鉄のロマンに乗って、空を翔けるのだ。

 

旅行は移動が好きというよりも、厳密に言えば移動する前の待機時間が大好き。

到着してしまうと、もうワクワクはしなくて、あとはもう終わりを迎えに行くだけの時間になってしまう。

旅先のグルメで東京のものより美味しいことってあまりないし、美しい海もいいけど地元の海のほうが心落ち着く。

「家に帰れない」ストレスが若干ある。

でも温泉宿は好き。

私の中で旅行の本体は、移動なのだ。

 

ただし、帰りの移動は嫌い。

ここに論理はなく、もう心の問題。帰るころになって旅先の雰囲気に慣れるのもある。