妻の実家に電子ピアノがあったので試みに弾いてみたところ、素晴らしく楽しい楽器だと感動した。
鍵盤を押すと音が出るのである。
なんて簡単なのだろう。
尺八という楽器を私はやったことがないけども、これはちゃんと音が出るようになるまで「首振り三年、ころ八年」などと言われているほど難しいと聞く。また、オーボエなんて木管は最も難しい楽器なんて言われてるし、ヴァイオリンも金管楽器もきちんとした音を出すことがそもそも難しいようにできている。
それに比べてなんだピアノは。鍵盤を押しさえすれば音が出る。音符を辿ることができればメロディーを奏でることができる。スタート位置からしてこんなにやさしい楽器はないではないか。
私はギターをやっていたのだが、ギターはすこしばかり人間工学に基づいていない設計をしており、指が痛くなったりどこを押さえているのか見にくかったり、右手と左手が同時に見えないからキョロキョロせねばならないなど不便な点がいくつもある。
しかし、ピアノはどうだろう。正面に押すべき鍵盤が並び、ドレミの位置もわかりやすい。まさに音楽を奏でるべくして最適化された楽器といえよう。
私はギターはやっていたものの、ギターとピアノは「ピザ」と「麻婆豆腐」くらい異なるモノだから、早速ピアノを両手でツラツラ弾けるなんてことはない。だいたい、音符を読むのも一苦労だ。
一音ずつ音を確かめながら「えいや」といった感じに和音を鳴らし、いちいちその美しさに感動しているだけである。
たぶん最初のうちはよくある練習曲的なものから始めて段階を踏んで技術を習得すべきなのだろうが、かねてより忍耐力のない性根なのでそんな悠長なことはしていられない。なにも発表会に出たり30歳からプロを目指そうなんて志はまるでないのである。
ただ今、ピアノを楽しめればいい。
堅苦しくなく音楽を楽しめるってなんて素敵なのだろう。
ショパンのノクターンをちょろっと弾けたのならそれでいいのである。
ノクターンの難易度がどれくらいのものなのかわからないが、ズブの素人からすればどの曲だって難しいのは同じこと。好きな曲から練習したい。
ノクターンは12/8拍子という8部音符が1小節の中に12個並んでいるリズムになっている。雰囲気的には小さな3拍子が1小節のなかに4つあるという感じだ。
右手は単音でメロディーを弾いているためそこまで難しくはなさそうだが、音符を見ながら弾けないため、一音ずつメロディーをたどりながら手の形を覚えた。
左手は小さな3拍子で和音を繰り返しており、とてもじゃないがすぐには弾けそうもない。
どうするか。
楽譜を観察したところ、表拍というのかな、そこが和音ではなく短音になっていることがわかった。とりあえずそこだけ弾けばいいということにした。

(左手(ヘ音記号)の中に単音がいくつかある。そこだけ弾く。)
https://youtu.be/cCRte3GEj3Q?si=UB06nRgoNWcJoZYc
しかしそれでも、単音だけ弾くといってもズブには難しく、結局2時間半くらい練習して4小節しか弾けるようにならなかった。
右手を練習する→4小節通してできたら左手を練習する→それもできたら合わせてみる→1小節もできない、この繰り返しだ。
だが、休まずに続けていると次第に弾けるようになってくるのだからおもしろい。
私は勉強もスポーツもまるでダメだったけど、昔から美術と音楽だけは練習すればなんとなくできるようになる性質(タチ)だった。それは才能というか根気の問題で、美術と音楽だけは集中力があるのだった。好きなのだ、要するに。なんでそっちの道を目指さなかったのだろうと不思議だが、まぁ人生はそういう侘び寂びもまた味のひとつだ。
練習の最後には、アレンジバージョンで4小節通して弾けるようになった。
ショパンは今から200年ほど前の人で、この曲が作られたのも200年ほど前のことだ。ショパンは39歳で亡くなっており、もしかしたらノクターンは今の私と同じ年齢のころに書かれた作品かもしれない。
200年を経て曲が残り、同い年くらいの、全く異なる国と言葉の人間が、こうしてなんとか弾こうとしているというのはなんだか胸が熱くなるような思いになる。音符の中で私はショパンと繋がっている。
左手の単音だけたどっても美しく、半音ずつ下がったり、オクターブで音が跳躍したり、さまざまな工夫がなされていることがわかる。この音符の一つ一つにショパンの意思がこもっている。
もしかしたら時代の中で変わってしまった音もあるかもしれないけど、この音符は200年間みんながたどってきた音に違いない。
今まで弾いてきた人はみんなこの音符になにを思ったのだろうか。
言葉ではなくメロディーにその答えがある。
音が重なることはなんて美しいのだろう。
そこに感じた美しさは、草原一面の花を見たときとか、夏の雲とか、満月を見たときに感じる「美しい」と思う感情と同じものだった。音楽という人間が作ったものなのに。
妻の実家の仏壇の前の電子ピアノの前に座っているはずなのに、私はこの世界の大いなる美しい仕組みのようなものと繋がっている気がした。たったの4小節、それも音を抜いて弾いただけなのに。
ピアノって素晴らしい楽器だと思った。
左手をちゃんと動かせるようになったらどうなってしまうのだろう。
ピアノ、欲しいかもしれない。
この世にはありがたいことに名曲が多すぎる。一生かけても楽しむに値するものにもしかしたら出会えたのかもしれない。