食う。特別でもなんでもない平常な日々こそ最も祝福されるべき日であるべきだから、食う。
鯛を。
小さい鯛がスーパーで300円とか安く売ってたら買おう。迷わず。
黄鯛。
背鰭とか尻尾に黄色いラインが入ってて綺麗だ。愛嬌あって可愛い顔してる。鱗とワタ取ってあって300円なら買うでしょこんなの。
こういうのはなに作るとか決めてなくても、とりあえず買えばなんとかなる。興奮のままカゴに入れて、どう料理してやろうか思考を巡らせる。調べればいくらでも出てくるんだから。
鯛飯にしよう。
鯛飯って鯛を丸ごと使うからすごく贅沢だし、なんだか特別感あってテンションも上がる。丸焼きでもいいんだけど、鯛飯の方がなんか祝祭感あるでしょ?あるいはその認識は、父方の故郷が瀬戸内で鯛飯は特別なご馳走だと私が幼い頃から刷り込まれていたせいかもしれない。
日曜の夜、ただでさえテンションが下がってるからこそ、鯛飯にしよう。
土鍋で炊く。
炊飯器で炊くと魚のにおいがついちゃってあまりよくないだろうから。
と言ってなんだか手慣れてるように書いてるけど、もちろん鯛飯を作ったことなんかない。今の時代は調べればすぐに出てくるからいいもんだ。
塩をまぶして放置。
塩をまぶすことで魚から汁が汗みたいに出てくる。これを拭き取った方がいい。なんかわからないけどよくない水なのだ。浸透圧の関係で出てくるんだろうけど、いや、コイツらもともと潮水に浸かって泳いでただろ。海にいたときはこの汁出なかったのか。陸揚げされてから発生した水なのだろうか。どこから出たんだ。
?
難しいことはよくわからない。とにかく塩をまぶしておく。
しかしここでふと不安になった。
この鯛、小さいと言えどそれなりの大きさではないか。
うちの土鍋は二人用の小さいやつだ。
はたして入るか……
入らない。鯛もこの顔である。
オーケー、こうしよう。
残念だが、捌く。どうせ食べるときは混ぜるんだから、捌いたって同じことだ。むしろ骨取っておけば食べやすくていいじゃないか。土鍋を開けたときの、鯛が丸ごと入ってる幸福感は無くなるけど仕方がない。むしろ捌いた方が効率だよ。いいじゃないか。それでいいんだ。いいさ。
そう必死に言い聞かせて、鈍(なまくら)包丁で三枚におろした。鈍すぎてぐちゃぐちゃになる。1600円の包丁をダイソーの砥石で騙し騙し研いでもう一年くらい使っているのだ。次こそちゃんとした包丁(5000円くらいのやつ)を買おう。魚を捌くたびに思い続けている。いい加減買おう。
脳のあたりの肉とか骨にくっついた肉も勿体無くて、スプーンで掻き出す。残酷で怒られそうだけどこれは鯛への敬意の顕れだ。余すことなく食べてやるという意思だ。
切り身をグリルで軽く焼いて、研いだ米2合と鍋に入れる。醤油、みりん、酒、各大さじ1。和風だしの素、適量。塩ひとつまみ。水2合より少なめに。
強火で鍋が沸騰したら弱火にして10分。
コンロの調子が悪くて火が消える。
何度も点火し直したので火加減がまばらになり温度が安定しないのではないかと不安。失敗したらどうしようと怖くなって泣きそうになったが、火口を変えたことで解決した。簡単なことだった。
火が消えてしまう火口を観察するとバーナーキャップがずれていたので、そのせいで消えたのかもしれない。
10分後、火を止めてさらに10分蒸らす。
驚いた、これで炊けてしまうのだ。
土鍋で炊くと1時間くらいかかると思っていたので拍子抜けした。
すげー楽だ。炊飯器より美味しいし。
蓋を開けると鯛の香りがふわ〜とのぼって、祝祭的気分と高揚感に包まれる。ちゃんと鯛飯の香りがする。
仕上げに胡麻をかけて、身をほぐし、完成だ。
思っていたよりもずっと簡単にできたし、もちろん大満足の出来で、おかわりしてしまった。
あのご馳走の鯛飯が家庭で簡単に作れて、しかも美味しくて、テンション上がらないわけがない。
しかも残りは月曜の夜も食べられる。仕事も励めるというものだ。
恋人もとても喜んでくれた。
作ってよかった。
日曜の夜こそ慈愛溢れる祝祭的な料理をすべきだね。