リスキリングって最近ちょっと流行り始めてて、意識が高い人はいくつもスキルを身につけてウハウハな人生を送り、最後は死ぬことができるらしいのだけど、ところでこのリスキリングって、本当か?と思うところがある。
リスキリングというのは、私も簡単にしか聞いたことがないので簡単にしか説明できないのだが、現在持っているスキルのほかに、何か別のスキルを2つか3つ身につけないと破滅して死ぬ、というキャリアデザイン的な話だ。
たとえば医療事務のスキルとデザインスキルと広東語が話せるとか、プロダクトデザインとカメラワークと簿記とか。そういう人は結構素晴らしい。便利な人間だから、いっぱい働いてもらいたい。
このように多元的にスキルを持っていないと今後の世界では通用しなくなっていく、というのだ。
通用しなくなるというのはつまり、誰からも必要とされず、誰からも愛されず、誰かに抱きしめられることも誰かを抱きしめることも、温かくて笑顔のある食卓に座ることも、懐かしい音楽を聴いて望郷の念に浸ることも、柔らかなベッドの上で息絶え、ちゃんとした棺桶に納まることもできない、ということだ。
逆にリスキリングさえすれば、誰かから必要とされ、誰かに愛され、彼かに抱きしめられたり誰かを抱きしめたり、温かくて笑顔のある食卓に座れて、懐かしい音楽を聴いて望郷の念に浸り、柔らかなベッドの上で息絶えて、ちゃんとした棺桶に納まることができる、というわけだ。
ちゃんとした棺桶(四角くて重くて清潔で扉がついている)に納まりたいなら、すぐにでもリスキリングすべきである。
そういう思想がリスキリングだ。
リスキリング、本当か?
なにかひとつを極めて、それに誇りを持って生きられれば十分だと思うのだが。
十分すぎると思うのだが……。
問題とすべきは、ひとりでいくつもスキルを持っていないと不幸のどん底に突き落とされてしまうような世界の方にあるのではないだろうか?
そのような優しくない世界については、申し訳ないけど価値がないと言いますか、極端に言えば革命によって解放されるべきじゃないでしょうか。
少子高齢化がえげつないスピードで進んでいて、もうちょっと救いようのないレベルまで来ちゃってるらしい。そういう背景もあって一人で何役もこなせないと社会が成立しなくなるのだろうか。
……そうか???
いまいち腑に落ちない。
今よりも人口が少なくて生活水準も今より低かった江戸時代の人たちもリスキリングしていたのか?百姓と大工と屑屋を兼任していたか?そうしないと社会は成立しなかったのか?その時の人たちには棺桶も骨壷もなかったのか?
今から嫌なこと言うけど、リスキリングは誰かの金儲けだ。
広告や書籍で不安を煽り、それによって焦った人たちが、転職や資格やリスキリングリスキリングしたものに金を注ぎ込むことで経済を回す(ソファでくつろぐ誰かの懐に金が入る)ことを目的としている。
断言する。
そうです。
これに踊らされているようでは魂の格が落ちます。
私たちは、リスキリングを推奨する社会の方に問題があるということを、もっと問題とすべきだ。
そんなに立派になるのが大事か。立派な生き様というのは誰かに規定されなきゃ自分で決めることもできないのか。
立派ではない人間にとってはそうなのだろう。
堂々と生きていくのに誰かの気まぐれで決めた尺度を使うなんてみっともないと思わないのか。
スキルをいくつも身につけないとやっていけない社会という、なんとも選民的でエリート嗜好で即物的な価値観が気に入らない。
誰が言い始めたのか知らないが、そんなあなたは好きなだけ重厚な棺桶に入ればいいと思う。