ユニクロの服には値札以外に、サイズの表記されたシールが貼ってある。
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↑こういうやつ。
そんなM言わへんでもわかるわ、ってことからか、それとも昨今のエス・ディー・ジーズ風潮もあるためか、この間買ったシャツは左の胸の辺りに
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この一文字が心許なく貼られているだけに収められ、なんだか世も末だと思った。
(こんなことで世も末と思うわけないのだが、これは文章上の演出というか、嘘、ですね。なんか世も末とか言うておいたらおもろいんちゃうか、みたいな、なんて、浅い考えです。すみません。)
(もうひとつ告白すると、ユニクロの話をしてるけど、これGUの話かもしれない。
GUとユニクロって姉妹ブランドで同じビルの違うフロアに入ってたりしてハシゴすることも多いからどっちがどっちかわからなくなるんですよ。
GUかユニクロか、その議論をしてもしょうがないので、この記事ではユニクロのこととして進行します。)
閑話休題。
とにかく、ユニクロの服にはサイズシールが貼ってある。
値札はハサミで切るけど、このシールが曲者で、衣服にシールが貼ってあるスキーマ(認知の枠組み)がうまく形成されていないからか剥がし忘れることがしばしばだ。
これはユニクロあるあるで、よくネタにされている。
私も剥がし忘れたことがたぶんあったし、友だちが剥がし忘れているのを見たこともある気がする。ネットで調べると、剥がし忘れた人が何人も出てくる。
「剥がし忘れたかも」
3〜4回着るまでこの思いを拭えない。
その服をくまなく見てシールがないことを確認したうえでも、着てからしばらくすると「まだどこかにあるかも」という念が思考を支配してきていてもたってもいられなくなる。
この間なんてトイレの個室に入って服を一旦脱いで確認してしまったほどだ。
どこにもシールはなくてなんとか落ち着きを取り戻せたが、この行動はちょっと異常なんじゃないかと思った。
強迫観念に近いというか……。
さすがにこの一件でその服に関しては納得できたが、また別の服には強迫感を抱くかもしれない。
シールがまだあるかも、という恐怖はトイレでの脱衣にまで至らせた。一度気になるといてもたってもいられなくなるのだ。
そもそも新しい服であってもまずは洗うべきだとする見方もある。それは正論だが、試着などで着まわしたものではないのなら、私は洗わない派なのだ。そういう思想なので仕方がない。宗教が違えば、
そちらの邪神は我々の神になる。そういうことだ。