私の持っているバスタオルは、すべてクサい。
お澱(よど)、と名付けて呼んでいるバスタオルたちは全部で4種類あり、緑、青、白、赤(錆色)にそれぞれカラーリングがあって、それぞれにニオイの種類も異なっている。最悪である。
緑のやつは風呂場の排水溝に溜まった石鹸みたいなニオイがする。石鹸なのでまだマシなのだが、どことなく排水溝の腐った水のニュアンスが繊維の網目にまで染み付いていて、宿痾(しゅくあ)を司る悪魔という一面もある。
青のやつは最悪で、なんかもう、わかんねーけど、動物の死体のニオイだ。ちょっとこれはもう話にならないので、このブログを書き終えたら捨てようと思う。
白いやつは清楚な雰囲気を漂わせる優雅な庭園のようでありながら、その実は人糞まみれの肥やし畑。見た目は子供、頭脳は大人と同じようなもんだ。見た目は清楚、ニオイはうんこ。カスのコナン。
錆色のこいつは一番意味がわからなくて、これまでのどれとも違う。小学校の下駄箱、真夏の校庭、盗まれた体操服、雨の日の犬の散歩、湿った靴下、みんなが忘れていた手紙の行方、墜落する気球、おばあちゃんちの炊飯器にこびりついてる黄色い飯、倒れた競走馬。ニュアンスとしてはこんな感じだろうか。
お澱たちのどれにも共通する二字熟語を挙げろと言われたら、腐敗、四字熟語なら腐乱死体。
バスタオルは一度使ったら洗うべきなのだが、毎日洗濯をするわけじゃないからそれは難しいので、洗濯機を回すタイミングまで同じものを使い回している。
これがよくない。雑菌が繁殖する原因だ。
雑菌まみれのタオルで、洗ったばかりの体を拭うとはこの矛盾やいかに。
きれいにした体にわざわざ汚い布を擦り付けて、ふぅ〜さっぱりした!とか言っているのだこの男は。
濡れた体ははやく乾かしたい。なぜなら陸上生物である人間が濡れた状態であるというのは「異常」だから。それなのに私は腐ったバスタオルしか持っていない。
いっそのこと、脱衣所によく乾いた藁を敷き詰めておこうか。風呂から上がったら、藁の上でゴロゴロして体を乾かそう。これならもう二度と、バスタオルがクサくなることはない。
藁を買うべくAmazonを開いたものの、いったいどれほどの藁があればよいのか見当もつかないので、結局はバスタオルを買うことにした。
商品一覧に載っているバスタオルはどれも新鮮で美しく、まさに体を拭うのに適していると言える代物ばかりだった。
すべての美しいバスタオル。
私の体を拭い清めておくれ。