蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

小心地滑

  タイトルは特に関係ないのだけど、自分って小心者なんだなぁとよく思う。

 

 仕事終わりに、人のいない時間を見計らって散歩をするのが日課になっている。

 ちょっと春の風が強い夕宵だった。音のしないくらい細かい雨が降っていた。

 川沿いを歩いていたら ぴんとした強い風が吹いて、漁師小屋のトタン屋根がひっくり返り、バン、と大きな音を立てた。

 私は音に驚き跳んだ。踊り出す心臓を抑えながら、騒がしいトタン屋根を睨みつけた。

 すると、屋根は急に静かになって風も止んだ。

 よくわからないけど、「怒られた」と思って怖くなり、そそくさとその場を後にした。トタン屋根は危険なのですぐに直すべきだ。

 

 他にも小心者エピソードには枚挙にいとまがない。

 人にものを訊ねるということが怖くてたまらない。先輩に訊くのにすごく勇気がいるし、そのへんの人に道を訊ねたり、店の人に商品の場所を訊くのもためらいがちだ。

 猫に対しても「ああおれなんて嫌われてるんダ」と悲しい気持ちになることがある。

 「危険そうな穴」とか「畏れ深い社」にがんがん入っていくことはためらいが無いのに、こと対人となると小心を発揮してしまうのはなぜだろう。

 

 なんとなくいつも自信が無くて、風が吹いただけで僅かな自信を喪失してしまう。

 小中学生の頃にちゃんとお勉強をしてテストでいい点を取れて、親や先生に褒められていたら、こんな自信がないこともなかっただろうか?

 方程式が解けなくて人に「バカだ」と言われ続けなければこうはならなかっただろうか?(その人たちのこと全員覚えてる。永遠に忘れないから覚悟しろ)

 どうして私は努力というものができないのだろう。生まれながらにして「努力をする価値もない人間」なのだろうか。そうかもしれない。父親の血のせいかもしれない。母親の自堕落のせいかもしれない。私はなるべくしてこうなったのかもしれないし、自分でどうにかするべきだったのかもしれない。親のせいにしてしまう自分が恥ずかしい。自分のことなのに。……

 

 などと深まっていくにつれて尊厳を失い、立ち直れなくなるのでやめておこう。この冬はずっとそんな感じでかなりキツかったので、残りの季節くらいは楽天でありたい。

 

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 三島由紀夫がこんなことを言っていた。

 

  臆病なくせに物見高く

  怠け者のくせに欲深く

  被害者意識の塊で

  世の中を我が物顔で渡り歩く

 

 ときどきこの言葉を思い出して自省する。

 私自身だこれ。

 どうしてこんな意地悪なことを言うのだろう?ひどいよ、って泣きたくもなる被害者意識の塊で。

 

 なんかすごく暗い気分になっちゃった。

 やることなすことすべてが失敗だと思ってしまうくせに努力を怠る中途半端な完璧主義。

 たとえ成功したとしても「嘘」だと思えてしまうから、達成感はあっても成功体験が出てこない。たぶんそれも中途半端な完璧主義のせい。 

 まったく。

 残りの季節は楽天的に過ごせますように。