蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

エヴァの大人たちって……

  YouTubeでエヴァンゲリオン新劇場版3作品が無料公開されていたので、久しぶりに全部見た。って全部DVD持っているのだけど。

 

 エヴァは中学2年生ごろに出会って、新劇場版を追いつつ漫画を全部読み、アニメも全編観て、旧劇場版もしっかり観て、ひととおり履修した。

 新劇場版:Qが公開されてから8年経ったということで、時の流れのはやさに唖然としている。そういえばQが公開されたのは高校生の頃だったのだ。

 8年経っても未だにQがよくわからず、もはや制作陣もよくわかっていない、という結論に達したまま思考停止したので、シン劇場版のことなんてすっかり忘れていた。どうせ見たってなにもわかりはしないのだ。絶対に観にいくけど……。

 というわけで、ここ最近はエヴァから身を引いていた。

 

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 久しぶりにエヴァを観て思ったのが、「シンジ可哀相」だった。

 シンジもたいがいムカつくけど、それにしたって可哀相だ。

 唯一肉親のお父さんに捨てられて、久しぶりに会えると思ったらわけのわからない怪獣(使徒)に襲われ、わけのわからない地下組織に運ばれ、ようやく父親に会えたが感慨もなく「エヴァに乗って使途を倒せ」と言われ「乗らないなら帰れ」と最悪の2択を迫られ、優しそうな大人(ミサトさんとか)が助けてくれるかと期待したら「乗るかどうかは自分で決めろ」なんて他人事みたいに言われ(乗るのも戦うのも命を懸けるのもシンジなのに……)、ほんと大人たちはどうかしてる。

 シンジ14歳だぞ。

 14歳なんて、平方根も知らない子どもだぞ(知ってたかもしれない)。

 現在完了形と現在完了進行形の違いもわからないのだ(私もよくわかってない)。

 そんな子どもに、いくら人類の命運がかかっているとはいえ、説明も少なに「戦え」なんて、ちょっと大人たちはどうかしてるんじゃないか。

 

 序盤だけで上記の常軌を逸しているのに、物語が進むにつれてどんどん酷いことになっていく。

 シンジは病み、大人たちはシンジを理解し赦そうというよりか道具として扱ってる感じで「仕事」としての付き合いと尻ぬぐいに余念がなく、ひとりの14歳の少年の世界に微塵の救いももたらさない。あるのは忠告と選択、それから「自分の為なのよ」という言葉で隠される他力本願だ。(まったくよくできている)

 

 登場人物の誰にも感情移入できない。

 父のゲンドウがいちばんやべぇ。なんだこいつ。

 こんな父親いたらシンジ性格歪むに決まってんだろ。

 むしろシンジは不良にならずに、そのへんの面倒くさい中学2年生と同じ規模で歪んでいて偉い。

 母親と死別して父親に捨てられて、親戚の家で愛されずに育てられたら、わかりやすく不良にならなかったとしても、子猫を瓶の中で育てたりバッタの脚を捥いで疑似芋虫にすることを趣味とするような中二になっていてもおかしくない。嫌いなクラスメイトの上履きを盗んでその上履きに土を敷き花を育て、それで花束を作って下駄箱に入れておく。そういう歪み方をしてもおかしくなさそうだ。

 

「14歳」を俯瞰的に見るようになれて、なんだか作品の見方が変った。

 シンジも大概ムカつくけど、その周りの大人たちがもしかしてヤバイ人たちばっかなんじゃないかって見方ができるようになった。

 なんなんだこいつら。

 

 怖いのは使徒じゃなくて人間だ。