目が覚めたときから右目に違和感があって、目ヤニがひどく べたべたしていた。
拭いても拭いても右目から涙がこぼれ、二重になっていた。
(やっぱり二重の方が、きりっと顔が引き締まって見えるな)
などと考えているうちに涙はおさまったが、だんだん痒くなってきて、痒みは結局一日中続いた。
なにか病魔が右目に憑りつき、膿を吐いているのだろう。迷惑な話だ。
ほんの少し赤みが差していて、一度掻いてしまうと発狂するまでおさまらないことは必至、悪化する恐れがあるのでできるだけ触れないよう努めたものの、無意識に擦ってしまうみたいで、仕事終わりには右目だけ石でできているみたいにゴロゴロした。
目薬を買わねばならない。
300年くらい前だったらそれなりの祈祷師にお祓いを依頼して、右目に味噌を塗り、火で炙ったのちに巫女の唾を吐きかけて畏(かしこ)み白(もう)すのが通例だろうが、令和ではそういったことはなかなかしてくれないので、代わりに目薬を買うしかないのである。(例外的にやってくれるところもある)
仕方がない。
駅前に乱立するドラッグ・ストアへ踏み込み、祈祷代わりの目薬を探すと、あった。
それも棚一つ分、ありとあらゆる症状に合わせて数十種類が陳列されていた。
「ドライアイ」「疲れ目」「結膜炎」「ものもらい」「かゆみ」「痛み」「鎮痛」「抗アレルギー」……私が買うべきなのはたぶん「かゆみ止め」的なニュアンスの薬だろうが、それすらも種類が多すぎてどれを買えばいいのかわからない。
値段も同じくらいだし、成分もだいたい似たり寄ったりで、効能もほとんど同じだった。なにがしたいんだ、こいつらは。
はたと困っていたそのとき、ふと目に留まったのが、Santenの目薬だった。
このパッケージの、飾り気のなさ、無駄の無さ、文字と最小限の色遣いによる洗練されたデザインに目を惹かれた。
他の商品の、爽快感を意識した清涼感のある色遣いだったり、ぎらぎら光っているアピールだったり、伸びやかで特徴的なフォントの中で、Santenのこの商品からは、あくまで堅実、堅気の仕事、必要なものを必要なだけ、という姿勢がうかがえ、好感を持った。
一見飾り気のないデザインだけど、ごちゃごちゃしていなくて必要な情報が目に留まって、無駄がなく、私はこれに美しいとすら思った。アルファベットもオシャレだ。
洗練されたデザインは芸術たりえるのだ。
(「芸術とは洗練されたデザインである」は成立しないが)
調べてみると、こういうのはタイポグラフィの一部らしい。
ポカリとかカロリーメイトとか大塚製薬の商品をはじめ、昔の医薬品のパッケージデザインも美しく、なんだか愛しい。文字のバランスとシンプルな色合いで魅せるってすごいことだ。
これからはドラッグストアに行ってパッケージを眺める、新しい楽しみができた。
図らずもなにか新しいものに目覚めたところで(目薬なだけに)、この薬にも期待ができそうだった。