蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

DIC川村記念美術館よ永遠に

DIC川村記念美術館に初めて行ったのは2024年の初夏で、一人で電車とバスを乗り継いで向かったのだった。

佐倉駅から無料送迎バスが出ていて、揺られること20分、静かな田園の中に林が現れ、バスは林の中へ進んでいく。

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林道を抜けると空が大きく開けて、静かな池が見える。白鳥が優雅に泳いでいる。小高い丘の林の中の池のほとりだ。

DIC川村記念美術館はそんな美しいところに秘密の入り口みたいな門を構えて建っている。

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この美術館をすっかり気に入った私はそれから3か月に一回ほどここを訪れている。その理由は単に気に入ったというのもあるけれど、2025年3月末に閉館することが決定しているからでもある。

お金のこととか、資本のこととか、難しい問題はたくさんあるのだろうけれど、閉館は本当に残念でならない。私はこの美術館があるならば佐倉に住んでもいいとさえ思っているくらいなのに。

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立地も雰囲気も建築も素晴らしいのだが、なによりも素晴らしいのはコレクションの数々だ。

モネやルノワールといった印象派をはじめ、ピカソ、ブラック、シャガールマグリットレンブラントもあるので驚きだ。

だがメインは現代アートのコレクションだろう。詳しくないので誰の作品がどうしたとは言えないものの、数は豊富なうえセンスもいい。

 

現代アートはどうしても難しい印象がついて回るけれど、わからないなりにおもしろいと思う。わからないものを見て、自分の心が何を感じるのか、その変化に浸るのも楽しみ方のひとつだ。

じっと見ているとさまざまなことを考えている自分の存在に気付かされる。

たとえば「無題」という表題の絵画は、たしかに何を描いているのかはわからない。でも、よく見るとたくさんの色を使い分けていることとか、丁寧に塗っていることとか、細部に気を遣いながらも大胆に、そしてなんらかの意図を持っていることがわかってくる。

子どもでも描ける絵かもしれない。私ですら「この抽象画を描いてください」と言われたら描けるだろう。だけど、まったくの0から生み出そうとすることはできないし、できたとしても、何をもって作品として完成とするかがわからない。

完成され展示されている以上、その抽象画はきちんと意図を持って制作されたということだ。

その意図ってなんなんだろう?などと考えてみる。

こんなことを一点一点考えていると一生が終わってしまうので、なんか気になるな〜って作品だけ見るのでもいい。直感的にビビッとくる作品の前には立ち止まりたい。

何を描いているのかわからない抽象画を前にして、よくわからないけどなんだか温かい気持ちになったり、不安になったり、哲学的になったりするこの心の動きが楽しい。

 

DIC川村記念美術館の目玉は「ロスコの部屋」だろう。

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(DIC川村記念美術館サイトより引用)

ロスコの作品7点を集めたこの展示室は世界でも稀な空間だという。

ここで長い時間を観賞に費やす。部屋の中央にあるソファに腰掛けて一つの作品を見続けたり、ぐるぐる歩いてみたり、近づいたり遠くから眺めたりしてみる。

私のように長く滞在する人もいれば、すぐに出ていってしまう人もいるし、一目見て入室せずに首を振って去る人もいる。

この部屋の中はどれだけ人がいてもみんな静かにしようと努めている。

この部屋は床が板張りでやけに音も響くから、静かに歩き、囁くように話し、呼吸の音さえも知覚されないように気を使う感じがする。

でもそうして静かに呼吸していると、この作品群に包み込まれるような、なにか温かさのようなものが胸に広がってくるのを感じる。 

どうして涙が出そうになるのだろう?ほとんど壁みたいな絵なのに。

温かさであり、不安でもある。優しさにも感じるし、恐怖にも感じる。

どこか懐かしい感じもしていて、きっと私が思い出せないだけの、ずっと昔の古い記憶を見ているみたいだ。

たとえばお母さんのお腹の中の記憶はないのだけど、きっと思い出せないだけなのだ。

ロスコの部屋はそんな気持ちになれる唯一無二の場所だ。

涙が出そうになる。ここに何度も戻ってきたいと思う。

私にとってたまらなく優しい空間だ。

 

美術館の外には誰でも入れて使える芝生の広場がある。

そこにも大きな彫刻があって、何がモチーフなのかはよくわからないけど、自由だし、駆け回る子どもたちを見守ってくれているので安心である。

広場のベンチに腰掛けて、ロスコの部屋のことを考える。

遊ぶ子どもたち、芝生に寝転がるカップル、シートを敷いてお茶を飲んでいる人、ベンチで本を読む人。いろいろな人がいて、思い思いに過ごしている。それを許容してくれるのは、あの大きな彫刻のおかげだろうか。

素敵なことだとつくづく思う。

素敵な美術館だと、つくづく思う。