蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

おばあちゃん、おれと喫茶店に入らないか

先日、書店をうろついていたところ、スマホ関連書籍の前で、おばあちゃんと店員さんが話し込んでいた。

「iPhone12の本ですね、そうしたらこちらになりますね」と店員さんがやさしく案内する。

おばあちゃんはどうやらiPhoneの使い方を学びたいらしい。

「この本はすべてiPhone12向けになっています」と言って4〜5冊を並べて見せた。

スマホ関連の書籍はそのほとんどがムックだ。実用書では最先端の情報に追いつかないということだろう。

ムックと言っても数はたくさんあるし、おばあちゃんはどれを手に取るだろうか、と気になったけど、人がどの本を手に取るかなんて観察するのはシュミが悪いことこのうえないので、がんばれ〜と思いながら私は宗教関連の棚へ移動した。知らない宗教の知らない聖典を立ち読みするのが楽しくて仕方がないのである。

 

ひとしきり立ち読みをして魂が磨かれた気分になったところでレジの方へ行くと、さきほどのおばあちゃんがiPhone書籍を4〜5冊抱えて背中を丸めてレジに並んでいた。

どれを選んだらいいのかわからなくて、すべて手に取ったのだ。

「おばあちゃん、そんな本を買わなくていいんだ」そう声をかけようかと思った。

おれがスグそこの喫茶店で、いくらでも教えてやるからさ。いいんだ、そんな本……。

きっとおばあちゃんは、孫か子どもにスマホ使ってよ、なんて言われて買わされ、でも使い方がわからないからムックやら本やら買ったのだろう。使い方を手元のiPhoneで調べることもできずに。

あるいはもはやスマホがないと不自由な時代でもあるから、とにかく買ってみて、使い方を学ぼうとしているのだろうか。

 

スマホはたしかに便利だ。スマホがないと生きていけないくらい便利だ。

でもそれは、スマホがないと生きていけないということなんじゃないか?

スマホだけじゃない、セルフレジとか、さまざまな電子化、自動化はとても便利だけど、そういったものを使わなくても生きていくことができたっていいじゃないか、とも思う。有人レジがいいし、電子マネーじゃなくてもいいじゃないか。どっちもあっていいじゃないか。

こんなおばあちゃんが何冊も同じような内容の本を抱えて背中を丸めてレジに並んでいて、その姿があまりにも切実で、私は苦しくなって本屋を飛び出した。

おばあちゃん、おれは、おれは、どうしてこんな時代になっちまったのか、わからないよ。

 

おばあちゃんに必要なのはスマホでも書籍でもなく、スマホの使い方を親身に教えてくれる相手なのかもしれない。

私は声をかけるべきだったのか?

でもあそこでいきなり声をかけたら、宗教の勧誘と思われただろうな。