スシロー、好き。
月に一回は行ってる。好きなものを注文してワイワイと楽しく食べる。憩いの場だ。
回転寿司って食事をするところというよりも、もはやアトラクションとかエンタメゾーンって感じがする。美味しいお寿司がコンベア移動するなんて人間にしか思いつかない愚かで愛しい発想だ。私は回転寿司が好きだ。
スシローの中でも群を抜いて好きなネタがシーサラダだ。
シーサラダとは何かというと、サーモンやイカ、タコや貝など、お刺身に整形する上で余分に出た部分を一緒くたに混ぜ、マヨネーズベースのソースとトビッコと和えたものである。
サラダとは言いつつもサラダ要素は皆無だ。強いて言えば、シーザードレッシングっぽいのかもしれない。でも味はチーズ風味ではなく、マヨネーズっぽさが強い。
マヨネーズ味と言ってもいいのだが、私が特に好きなのはその食感だ。前述のとおりさまざまな切り身の端っこが入っているから、口の中はたちまちバラエティ豊かな食感王国になる。ぷちぷち、もにゅもにゅ、ぐにぐに、くにくに……それが実に愉快で楽しい。
そして、シーサラダ成立の性格上、一貫ごとに入っている具にバラつきがあるため、そこもガチャ的な要素があってワクワクする。やたらと食感が良いときもあるし、なめらかなときもある。おそらくボウルに残ったカスみたいなものの寄せ集めなのだろうなというときもある。だが、味は皆すべて同じだ。その安定感も良い。
私は大概、回転寿司のシメにシーサラダをいただいている。
脂っぽくて味も濃いので、序盤に食べるとほかの寿司ネタの味がしなくなるからだ。同じ理由で穴子も終盤に食べる。シーサラダと穴子を序盤に食べるなんて、江戸前寿司の大将が見たら「田舎もんが来た」と鼻で笑われることだろう。江戸前寿司でシーサラダが出ることはないだろうが。
とにかく、通(つう)はシーサラダを終盤に残す。これはもうそういうもんだと決まっている。
だがね。
本当は、本当のところは、序盤からシーサラダを食べたいなと思っている。
私にとってすべての寿司は、最後にシーサラダを食べるための前菜でしかないといっても過言ではない。
最初からシーサラダを食べたい。一口目はシーサラダがいい……でもそれだと、たとえばシーサラダの後にコハダを食べるとぜんぜん味がしなくなってしまう。味が濃すぎる。台無しになってしまう。
どうしたらいいのだろう?
たったひとつの冴えたやり方。
「シーサラダしか食べなければいい」のだ。
回転寿司は好きなお寿司を食べるところ。ということは、同じものを食べ続けて悪いわけがない。この簡単な発想に、どうして今まで至らなかったのか不思議だった。
そうと決めたらやるしかない。金曜日の仕事終わりに、ちょうど妻が夜に外出していた隙を見計らって、一人で行ってきた。
スシローの金曜夜はとても混んでいる。解放感に満たされた人々が愉快にレーンを囲んでいる。この賑やかさも好きだ。
少し並んだのちカウンターに座り、迷うことなく即座に2皿、シーサラダを頼んだ。本を読みながら待っているとそのうちやってきた。
「一口目のシーサラダ」このために私はこの1週間頑張ってきた。今週もつらいことがたくさんあった。わなわな震える手を押さえて、お手拭きでよく手を拭う。お茶を一口飲む。お箸の持ち手をさする。もう一口お茶を飲む。今週はひどい週だった。シーサラダを口に入れる。
ああ。
このために生きてるんだよな。
バコーンと旨味が口に広がって、快楽漬けみたいな状態だ。圧倒的な「味」の塊。シーサラダが最も効率よく旨味を摂取できる食べ物なのではないかと思われる。糖質、タンパク質、そして脂。不味いものがひとつも入っていない、ジャンクで背徳的美味だ。
本当に美味しい。なにか、この1週間のさまざまなことが報われるような美味しさだ。
シーサラダを考案された方はもう悪魔なのかもしれない。味の悪魔、スシローに襲来。
この一口を食べただけで、これはまだまだ行けると確信し、もう2皿追加した。
さらに待つこと数分、追加分が届き、早々に平らげる。はやくも4皿食べているがまだまだ余裕だ。さらに追加した。
シーサラダはほかの寿司と違って最初から味がついているため醤油をかけなくてもよいのだが、当然、醤油をかけてもよい。
マヨネーズと醤油が合わないわけがない。

私はワサビをのせるのも好きで、これだとサッパリといただける。
この写真のブレ具合や画角の甘さから、いかに私が興奮してシーサラダを食べているかおわかりいただけるだろう。
追加分の5、6皿目が届いたときに、隣の席の男性が私のことを見た。序盤から狂ったようにシーサラダのみ食べ続ける不審者だとでも思ったのだろうか。たしかに異様に見えるかもしれない。でも私は「回転寿司では異なる寿司を注文するのが普通」という常識を自力で突破した「越境者」だ。革新は見慣れぬうちは異端に見えるもの。あなたもこちら側に早く来られるといいね、と同情の気持ちすら湧いた。私は優越感に浸っていた。
しかし、この気持ちは長くは続かなかった。
5皿目。これで10貫だ。

美味しい。
美味しいが……。なんか……。
6皿目。12貫。

うん……。
突如、飽きがきた。
コハダが食べたい。
まだ腹八分目くらいだが、脳が「もういいよ」と言ってる。コハダなんて当然食べられない。味がしないだろう。
正直、ちょっと気持ち悪くなっちゃってる。
「越境者」……。
隣の席の男性がトロタク巻きを喰らっているのがさも羨ましい。
明確にわかる。これ以上シーサラダを食べたら、私はこれを嫌いになってしまう。
というかもう寿司も見たくないところまで来ちゃってる。いつの間にか変なところに来ちゃってる。
お茶を飲む。
味がしない。
こうならないために、いろいろな寿司を食べるのがいいのか、もしかして。
トロタク……。
次来たら絶対にトロタクを食べる。コハダは最初に食べる。

帰り道、気温がグッと下がって空気がすっかり冬の匂いになっていることを感じた。
胸焼けがする。気持ちが悪い。新鮮な冷たい空気を吸おうと、マスクを外して細く息を吸う。シーサラダの味がする。
なんで金曜日の夜に、しかも独りでこんなことを……。
夜道で、今週の仕事のミスや自分の至らなさ、そもそもどうしてこんなことになったのか、自身の生い立ちから根本的な人間性に至るまで自己批判を繰り返した。気持ちの悪さにメンタルも引きずられている。
スーパーで強めの酒を買った。
こういうのは有耶無耶にするに限るのだ。
そうして家に帰って、一口酒を飲み、布団に入り、少しだけ泣いた。
気持ちがもう駄目な感じになっていて、酒を飲んでもズンズンと深い淵に落ちていくような感覚になるだけだった。有耶無耶になるどころか、悪い感覚が鋭利になっていく。私に生きる価値なんてないのだ。
なんでこんなことに?
私は金曜の夜というフィーバータイムを棒にフルスイングしてしまった。
妻が帰宅し、私の状態を見て異常を察知し、何があったのか訊いてくれた。優しい妻なのだ。
私は今夜の一切を話した。
「馬鹿じゃん」