友だちと新年会をした。
埼玉に引っ越した友だちの家で。
埼玉は普段訪れることがないので(通常、世の中の仕組みとして埼玉県に用事は発生しえない)すごく遠い場所だと思っていたけど、JRに乗って本を読んでいたらあっという間だったし、堅牢な関所とか身分証明書の提示もなく改札を出られたので、おっかなびっくり拍子抜けした。こんなシームレスに越境できたとは。某映画のせいでひどい勘違いをしてしまっていたようだ。
埼玉に引っ越した友だちと、私と、もう一人友だちの3人で集まるのは半年ぶりくらいだ。
お互いに唯一の友だちなのに、それですらも年に2〜3回しか会ってない。住んでるところが遠すぎるのが原因かも知れないが、いや、近かったときもそう頻繁に会ってなかったので、全員の性格のせいかもしれない。
でも、寂しいとか思ったことはない。会ったときに楽しんでいるし、小中学校の友だちながら、過去の話ではなく現在やこれからの話に花を咲かせられるから、現在進行形の友人関係としてうまくいってると思う。
寄せ鍋を作り、酒をぐびぐび飲みながら、もう覚えていないけどいろいろな話をしたり、しなかったりした。なんか時間の過ごし方がおじさんぽくなってきたし、15年前からなんも変わってないところもある。楽しかった。
ひとしきり飲んで、食べて、ゲーム(スーファミと64)をやって、知恵の輪で遊んで、また飲んで、話したり話さなかったりして、一息ついてお茶をしたときに、お菓子にバウムクーヘンをいただいた。
私はバウムクーヘンが無二で好きだ。
そう言うと、友だちが「知ってる」と言った。「喉に詰まる感じが好きなんだろ」
なんでそこまで知ってるんだ。私のファンか?
「むかーしブログで書いてたのを覚えてて、今でもバウムクーヘンを食べるたびに思い出すんだよ」
なるほど、呆気に取られた。
じつは10年くらい前にも別のブログをやってて、そこでバウムクーヘンが喉に詰まる美味しさを熱く語っていたのだ。今と書いてる内容は大して変わらない。
なんてことのない話だけど、でも自分の書いたものが誰かの中に残っているということが、純粋に嬉しくて、呆気に取られた。
嬉しかったし、でもなんかちょっと、気をつけようとも思った。
自分にとってなんでもないことを書いたとしても、文字として残す以上、誰かの心に私の言葉が植え付けられる可能性があるのだ。
そんな当然のことだからこそ忘れがちだ。気をつけねば。
気を引き締めて、喉に詰まる思いだ。