蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

舌鼓はどんな音?

年の5月に予定している結婚式の準備の一環として、披露宴会場のレストランでディナーをいただいた。ちょうどプロポーズから一年が過ぎたタイミングで、いい記念の夜になった。

 

結婚式場を選ぶ際にもっとも重点を置いて選んだのが食事の内容だ。

ご来席される友人や家族は決して安くはないご祝儀を持参し、なかには地方からはるばるやってくる人たちもいるので、せめて食事は充実させて少しでも「来てよかった」と思ってもらいたいのだ。

結婚式の食事なんて、まぁ、不味くはないけど期待をしてもしょうがないと思われがちだからこそ、料理でもてなしたい。それが人の心というもんだ。

……というのは建前で、私が美味い食事を堪能したいだけだ。

私と妻だけが美味しいものを食べて、他の方々は、バランス栄養食でも食べていればいい。今どき美味しいバランス栄養食はいくらでもある。

などと思ってほくそ笑んでいたら、「いや、当日はわたしたち全然食べれないよ」と妻に指摘された。「忙しくてとても食べてる余裕ないよ」

「そうですね、披露宴中はなかなか食べるタイミングはありませんね」とプランナーさんも眉を寄せた。

なんだ……。

「それを見越して、ここの式場では、披露宴まですべて終わった後、お二人のために別席でお食事をご用意しております」とプランナーさんは続けた。

なんだ!

こうして無事、私たち夫婦も、ご来席の皆さんもご馳走にあやかれることになったのだった。

 

さて、ディナーの内容だが、完璧を越えて最高の料理の数々であった。

ひとつひとつの料理はわりにシンプルな味付けなのだが、野菜や肉、あるいは魚、あるいはベリー、香辛料などの素材の味が複雑に調和して旨味の奥行きが広く、すべての味を感じるために味覚が拡張されて口の中全部が舌になりそうだった。

もしも頬が落ちるようにできていたら、今日だけで7回は頬を失っていただろう。

基本的なことなのかもしれないが、料理の「温度」が完璧であることに気付かされた。サラダにはサラダのための、新鮮さを味わえるちょうどよい冷たさがあり、ステーキにはステーキのための、肉の旨味が引き出される程よい温もりというものがあるのだ。お皿の温度、フォークの温度、すべてが徹底的である。

完璧な料理にはシェフの思想がある。

料理への愛がある。

舌鼓をそこら中で打ち鳴らしたい。食べる慶(よろこ)びそのものだった。

 

あらためてこの式場にして良かったと思えた。

これから打ち合わせがばしばし入る。

5月に向けて良い式になるように、みんなが楽しめるように、がんばろう。