高校の同級生とは疎遠になっている。
「高校の同級生」と書くことでさも大学や小中学校の同期とは今でも親密な仲のようなミスリードを誘っているが、無論、すべての人間関係が疎遠なので安心してほしい。
でも特に高校の同級生とは疎遠で、というのもすべての原因は仲間内で私一人が浪人してしまったことにある。
友らは予備校に拘束される私を不憫に思ってか連絡を取ってくれず、また私からも気を遣わせてしまうのが申し訳なくて連絡ができず、そのままズルズルと卒業から7年も経ってしまったのだ(ここで一度ゲボを吐きました)。
でもまぁ、連絡を取らなくなったということは、そういうことなんだろうとも思う。
文系クラスで世界史選択だったクラスメイトはたしか8名くらいいた(±2人)。
学校に泊まって勉強したり、放課後残ってみんなで年表を覚えたり、あの頃のことを思い出すとなんだか夕暮れに染まる教室のにおいがしてくる。切磋琢磨していたな。私は浪人したけど。
(浪人すると高校時代の思い出のすべてに浪人オチをつけれて便利だから浪人してよかった♪)
そのクラスの中心人物から最近LINEが来た。
『久しぶり。元気にしてた?ずっと会ってなかったよな。今度さ、同窓会やろうかって話出てるんだ。蟻迷路も来てくれよ。絶対だぜ』
私は二つ返事に「応っ!」と返した。
彼とは仲が良かったし、久しぶりに会ってもなんとなく会話はできるだろう。何回か喧嘩もするくらい仲が良かった。サイゼで無限に時間を潰したこともあった。マックでポテトを無限に食べたこともある。あの頃は無限の「無」で溢れてた。
陽キャのくせに、陰キャの私に良くしてくれた友だち。もしかして陰陽道でも始めるつもりだったのかもしれない。
冗談はともかく、疎遠になっていたもののこうして声をかけてくれて嬉しかった。
連絡を取っていないと、心の中にいるその人がだんだん私を恨むようになる。
私のことが嫌いなんじゃないか、そう思える。だけどそれは、違う。
多くの場合、勘違いだ。
連絡していないから記憶の中の友だちの解像度が落ちていき、解像度が落ちることによりそれを補うごとく心の中の友だちが「私」に蝕まれ増大していくのだ。「私」が増大した友だち像は過去の思い出か「私」の言葉で喋るから、結果として現在の状態にバージョンアップされず、「私」の醜悪な心境が反映された醜い人間像を形成する。そういう人間が嫌いだから、必然、鏡写しである心の中の友だち(=私)は、現在の私を嫌悪する。
それは本当の友だちにとって失礼なことだ。
くよくよするくらいなら思い切って連絡するか、いっそのこと電話番号を変えて一切の連絡を絶つほうがいい。そして思い出を大切にしたいのなら、たまには飲みに行こうやと連絡してみる方が良い。そのほうがたぶん気持ちよい。
なぜならそうすることは自分自身を大切にすることでもあるから。
と、くどくど書いてはいるものの、私は怖くて連絡ができなかった。
だから声をかけてくれて嬉しかった。嬉しかったから「応っ!」と返信したのだ。
久しぶりに世界史クラスで会えるのか。まぁ、コロナあるからもうちょっと先になるだろうけどな。
いやぁ、思い出せるかな、みんなのこと。
思い出せない。
全然。
顔は出てくるけど名前が出てこない。もしかしたら顔も名前も出てこない人がいるかもしれない。認知できていないから気付いてないだけで。
えーと、あいつでしょ、あの子でしょ、こいつと、あと佐々木と……
4人しか思い出せない。
卒アルは?
ない。
ノリで、燃やしてしまった。
浪人した夏に。