仕事終わりに、唐突にコーラを飲みたくなって、コンビニへ走った。
24歳、初夏。コーラを飲みたくてコンビニへ走る。
一本だけ買い、すぐさま家へ戻り、部屋で開けた。
炭酸の抜ける音の耳ざわりが心地よく、なんだか硬質で、これだけで音楽とすら思う。
飲み口から湯気のように立つ煙というか蒸気というか、それが湯気みたいなくせに「とてもよく冷えている」ことの象徴で、嬉しくなる。この世で好きな煙ベスト3は煙草の煙と、海でやる焚火の煙と、コーラの飲み口から漂う冷たい蒸気だ。
何の描写もいらん。さそさそと、喉に注いだ。
こかこおら。
なんて美味しいのだろう。
口の中を跳ねまわる炭酸の刺激の中から浮かんでくるこれでもかってくらいの甘さに、脳みそのよく疲れた部分がうっとりと ため息を漏らす。
ああ、脳みそのこの部分が疲れてたんだなってわかるくらい、甘い刺激によろこびを抱く。
なんだか純粋な至福だ。事実だけがあり、なににも束縛されていない。因果にも論理にも。
コーラを飲むと思い出す曲が2曲ある。
はっぴいえんどの「はいからはくち」とandymoriの「投げKISSをあげるよ」だ。
ぼくは はいから血塗れの空を
玩ぶきみと こかこおらを飲んでいる
はいからはくち。肺から吐く血。
「血塗れ」や「玩(もてあそ)ぶ」といった仰々しい文芸的な言葉のあとに「こかこおら」と平仮名で表記しているところがニクい。
メロディにのせられた「こかこおら」は間延びしているかんじで、それがまた言葉のギャップを生むのに一役買っている。なんていうかその発音がじつに平仮名的で可愛く丸い。
ああ、おれは こかこおらを飲んでいるなぁ。そう思うだけで嬉しくなる。
大丈夫ですよ 心配ないですよ
コーラを買ってきました
いつもの自販機で
andymoriの「投げKISSをあげるよ」のコーラは、普遍的で小さくてすぐそばにあって、だけれどすぐには見つけられない優しさという幸せを象徴している。
ひどい気分になって、どうしようもなく孤独になったとき、この曲を聴くと、論理とかじゃなくて、大丈夫かもしれないと思える。
そして、自分の周りにいてくれる、友だちや家族や恋人のことを思い出して、抱える孤独とすらほんのすこし手を繋いで行けるような気がしてくる。
コーラを「いつもの」自販機で買ってきてくれるのは誰だろう。
たぶんそれは、普段は意識しないけど、自分の身体の一部のように大切な人なのだろう。あるいは、孤独を慰めてくれる、もう一人の自分の、心の静かなパワーなのかもしれない。
その人は強く励ましてはくれないけど、立ち上がるのをそっと見守ってくれているのだろう。
コーラを飲むとこの2曲の、それぞれ方向性の異なるパワーにひたることができる。
飲みながら聴くことが多い。
ちなみにジンジャーエールを飲むときは くるりの「ばらの花」の爽やかな倦怠感を思い出し、350mlの缶ビールを飲むときは きのこ帝国の「クロノスタシス」の崩壊を内包した二人きりのロマンスに少し思いを馳せる。
うん、いい音楽聴いてる。