誰かに似ていると言われたことがない。
芸能人ならあの人に似てるって顔立ちがあるものだけど、私は誰に似ていると言われたことが無い。
「赤ん坊の頃は後頭部がブルース・ウィリスに似ていたのよ」と母は言うけど、そんなの、禿げてたからじゃないか。
それだったらサンプラザ中野くんにも似ているし、桂歌丸にだって似ているということになる。そんなことがあってはならないし、だいたい後頭部が似ているとはなんなんだ。
「芸能人どころか誰にも似てない。顔も性質も」と誰かに言われたこともある。
私の顔立ちも性格もオリジナリティがあるらしい。
だけど私のオリジナリティはまがい物で、フランケンシュタインは死体の肉体をつなぎ合わせて作った結果あのようなオリジナリティある容姿になったものだが、じつのところ私の性質もフランケンシュタイン式と変わらないのである。
断片をつなぎ合わせてそれっぽく形作られたものなのだ。
要は私は何でもないのかもしれない。と考え至って、つくづく面倒くさい野郎だとおもったのでそれきりこの議論は放棄した。
私は誰にも似ていないし、何者でもない。
まぁ、性質が誰に似ているかなんてどうだってよい。いまは見た目の話をしているのだ。
「芸能人よりも、なにか動物に似ている」と言われるくらいなら、なににも似なくていい。
「全体の印象はタツノオトシゴ、顔つきは猿、首筋が鹿で、歩き方は合鴨って感じだな。4つのちがう動物が交じり合っててお前は四不像(シフゾウ)みたいな野郎だな」
そんな悪態をつかれるよりよっぽどいい。
だいたい、動物に似ていてそれが不名誉なことであるなんて、動物に対して失礼だ。
(シフゾウという動物)
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そんなわけで(どんなわけであれ)、私の外見は誰にも似なかったのであるが、ある呉服屋の店員に「お兄さん、えっと、あの俳優さんに似てますね」と言われたためしが先日あった。
そんなことは初めてで驚いた。セールストークで俳優の名前を捻り出そうとする店員に申し訳なくなってきた。
「ああ、あの、伊藤健太郎さんに似てますよ」彼はにこやかにそう言った。
私はそのとき、伊藤某という男を知らなかったのだが、調べてみるとなるほど、そこそこの男前ではないか。
私に似ているかと言われると、似ていない。とくに「男前である」という点が似ていない。
だが、数百枚も伊藤某の写真を眺めて「私と似ている点」を探し続けているとだんだん麻痺してきて、ああ確かに似ているかもな、とおもえてくる。
次第に「角度によってはかなり似ているのでは」と錯覚できるところまでいける。
あの店員は目が悪かったか、かなり疲れていたとおもわれる。
だが、イケメンの俳優に似ていると言われることは、気分の悪いことじゃない。
そんなわけで(どんなわけであれ)このことを鼻にかけて「伊藤健太郎にちょっとだけ似ている男」として街を歩いていたのだが、もうお分かりであるように、昨日この男は伊藤容疑者として逮捕されてしまった。
なにか犯罪をやらかしそうな目つきをしている、と私は以前より多くの人から言われていたので、こうなってくるとますます似てくる。嬉しいな。あは。