2019年に書いたブログにコメントをくださった方がいた。
それは私がお台場のエセ・ニューヨーク気取りに苦言を呈するというなんとも若々しいブログで、今読み返すとちょっと笑えてくるくらい「おいたわしい」文章で、読んでいるとむずむずしてくる独特のノリがある。
コメントをくださった方は、お台場の自由の女神像について調べていて、拙ブログにたどり着いたらしい。
なんでもかんでも調べる人がいるものだな。
調べた挙句、ただただ、苦言を呈するその記事に辿り着いたのだから、時間の無駄もいいところだ。
でも、その人にはなにかちょっと、共感を与えることができたっぽいので、まぁ、これも、いつかの愛ということになろう。
そのブログを読み返して思い出した。昔のブログは行頭を一字下げにしていた。
それがオリジナリティだと信じていたのだが、今見るとなんか読みにくい感じがする。
また、太字や色文字を多用していた。
太字で笑いを取ろうとするのは結構難しいことがわかる。そもそも、こんなブログに太字にすべき大事な箇所なんてないのだ。
昔、教科書に赤線を引いていたら「全部大切なんだから意味ないぞ」と先生に言われたことを思い出した。だからなんだよ。じゃあ教科書まるまるテストに出せよ。
突然の殺意。
ブログの頭を大文字にするのは一貫して続けている。
これにはまったく理由がなくて、それこそオリジナリティだと思って最初に始めたのだけど、今となってはこれをやっておかないと、自分のブログという感じがしないまでになっている。
これ、本当になんなんだろう。
謎に思うたび、もうこういうのは止めるか、と逡巡するが、でも読みにくくもないし尖ってもないし止める理由もとくにないので、なんとなくで続けている。
このブログもいつか読み返す日が来るのだろうか。
4年後に誰かがこのブログにコメントをくれたとき、私は今日のブログに何を思うだろう。