蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

卵を焼きたがる

人は卵焼きを作るのが好きで、一品足りないときは「じゃあ卵焼きにするか」と言ってサッと焼きはじめる。

私は、夕食は一汁一菜で充分なので、わざわざ卵焼きを作らなくてもいいよと遠慮するのだが、彼女は止まらない。

「ごめん、わたしは卵焼きを作りたいの」

そうこうしてる間にもさっさっと卵を混ぜ、しゅわしゅわ焼いている。

 

自信を持っているだけあって実際に美味しく、彼女の得意料理と言ってもいいだろう。

同棲を始める以前から「一緒に暮らしたら卵焼きを作るね」とアピールしていたほど卵焼きを作るのが好きらしく、その出来にはかなり厳しい自己評価を下している。

「今日のはすこし固くなってしまった」

「なぜこんなにも濃い黄色になったのか」

「すこし巻きを失敗した。食べなくていいよ」

「味が悪い」

私からすれば作ってくれるだけでありがたいし、どうだって美味しいのだが、職人気質な彼女はなかなか納得のいく卵焼きに辿り着けないらしく、完璧であろうとする目標意識の高さがうかがえる。

 

彼女はなぜこうも卵焼きが好きなのか。

食べるのも好きだが、それ以上に作るのが好きなように見える。

 

私もよく作る料理がある。

オムレツだ。

自分の作るオムレツが好きで、休日の朝は必ず焼く。

卵料理は火の通りがはやく、しかも野菜炒めなんかと違って火が通りきってしまうと取り返しがつかなくなるから気が抜けない。生でもなく固くもなりすぎない絶妙な火加減には集中を要す。

卵焼きも同じことで、ひと巻ひと巻のタイミングには神経をそそがなければならない。

そうして着実に巻いていきすこしずつ厚くなっていった卵にはどこか愛着が湧きさえもするものだ。ふっくらとして卵焼き器の隅に横たわる姿には優しい獣が眠っている温かさがある。熱く静かに呼吸をしているみたいに見える。

 

卵料理はシンプルだけど誤魔化しがきかず、失敗すると悲惨なことになるが、成功したときには簡単な工程の割には調理の満足感があって、料理上手になったかのような自尊心を満たせる。のではないか。

 

恋人も自尊心を満たしたくて卵を焼きたがるのかもしれない。

でも果たしてそうだろうか?私がオムレツを焼くのは自尊心を満たすためだろうか?なんかちょっと違う気がする。シンプルに作りたいから作っている、その衝動だけの気もある。自尊心はあくまで一面だけ切り取ったに過ぎない。

 

まぁ、なんであれ、私が言うことは決まっている。

「ちゃんと美味しいよ。どんどん上手くなってる」

言葉に嘘はない。平和な日々が続くことを祈ってる。