蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

柳田国男『禁忌習俗事典』を読んだ

『禁忌習俗事典』を本屋でたまたま見かけ、へぇ、オモロ、と思い内容も見ずに購入した。

 

「事典」と名のつく通り、事典である。系統ごとに分類された事柄が事例とともに説明され、列挙してある。索引も付いているが、文庫サイズだ。

「事典とはいえ、日本の禁忌習俗についての評論だろうな」と思い中身を確認せずに買ったので、家に帰って中を見たときびっくりした。まじで事典だったから。

 

とは言え読まないのも勿体ないので、ぱらぱらとめくりながら結局全部読んだ。

 

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(高尚かつ俗な本に挟まれた『禁忌習俗事典』)

 

内容は民俗学における「忌(いみ)」(=戒められる行為)にまつわる全国各地の事柄、ことば、事例を把握の限りに網羅したものとなっている。

私は大学で民俗学の講義を受けていたこともあって最低限の素養があり、民俗学の学術用語や概念を踏まえてこれを読むことができたけど、そもそも民俗学とは何か知らない人が読んだら初めのうちは理解に苦しむかもしれない。わからなければGoogleで調べると良い。

 

 

忌まれるものの主体として比較的多く登場するのが、産後女性と月経中の女性が隔離されるケースだ。

たとえば月経中の女性は小屋に隔離されて終わるまでは自宅の座敷に上がってはいけないとか、裏口からしか出入りしてはならない、火を交らわせてはいけないなど、なんだそれ、ってくらい厳しい処遇にあった。

現代では月事のメカニズムがわかっていて、それが怪異だとか呪いだなんて言う人はいないから隔離されることこそないが、しかし、本当の意味で月経の忌がなくなったわけでもないと思う。社会の心のどこかで忌まれているフシはある。

 

産後女性は数日間隔離される忌も見られた。

赤ちゃんを産んでヘトヘトのところをさらに追い込むかのように、女性は自宅へ戻れず、隔離された小屋で数十日を過ごすことになる。

他にも女性は山の決められたところまでしか登れないとか、この仕事をやってはいけないなど束縛があり、フェミニストが読んだら阿鼻叫喚ものだろう。

 

結局こういった禁忌はなぜ忌まれるのかその理由がわからなくなって形骸化し、現代ではほとんど残っていないが(大相撲の土俵に上がれないとか残っているものもある)、もとの理由をたどるとそこには女性を気遣う側面もあったのではないか、と考えられてもいる。

産後は体力が落ち病にかかりやすいから他者と隔離して療養を図った説、女性に山登りは厳しく危険であるから戒めることで女性を守った説などなど。

イスラームの戒律で「豚肉を食べてはならない」ルールが有名だが、これも元は火の通っていない豚肉を食べたことによる食中毒を防ぐために豚を不浄として戒めたと考えられているが、それと似たようなものかもしれない。

 

なんにせよ、理由はいつしか削がれ形骸化し、やがて風化した習わしは多い。

現代の解釈による「綺麗事」もあるかもしれない。

 

すべての習わしには明らかに理由があり、おとぎ話のように伝承されるものもあるが、多くはその元の部分を失って形だけの行為や言葉のみの存在になる。それは祈りに近い。

例えば夜に爪を切ると親の死に目に会えなくなるという言い伝えも忌であるが、この理由は『禁忌習俗事典』の中でも説明されていない。じつはよくわかっていないのだそうだ。

この本では「よくわからないんですよね」といった説明が多く、正直でよろしい。言い伝えが古すぎてもう誰もなにも知らないのだ。

 

忌の中には死や火災や災害などと関係なく、単に人が嫌がるから、という理由で禁じられている行為もある。代表的なのが現代にも残る「貧乏ゆすり」だ。

こうして見てみると現代でも忌は集団生活の中で自然と芽生えている可能性も考えられる。たとえば「咳エチケット」や「イヤホンの音漏れ」や「車内での通話」なども忌と言えば忌だろう。

 

 

「忌日」といって、「この日にこれをすると死ぬ」系の日にちがある。

毎月三日は山に入ってはならない、不浄の日には竈をこしらえない、カブリ日には建築をしないが高倉だけはこの日に建てる、などなど。現代でも残っているのが「友引には葬式をしない」だ。

かなりの種類の忌日があって、日本全国の忌日を集めたら、たぶんノーマルな日なんて無いんじゃないか。たとえノーマルな日があっても「それは縁起が悪い」とされそうだ。それほどセンシティブな禁忌習俗たち。

ただ忌日は必ずしも悪いものばかりではなく、逆にこの日にはこれをすると良いといった類のものもある。

 

忌日を読んでいたらドラッグストアのクーポンカレンダーを思い出した。

駅前のドラッグストアは毎月5のつく日はポイント5倍デーで、家の近所のドラッグストアは毎週水曜日と第二・第三火曜日は15%OFFクーポンが配布、スーパーに併設のものは25歳以下に5%クーポン配布、また日曜日には化粧品類が5%引き、細かくはさらに規定がある。

同居人はこれらすべてを完全に把握し、的確な日に的確なものを買い求め、最大のポイントを獲得して、貯め込んでいる。

忌日と似たようなものだ。

この日にはこれを買うべきで、この日にはあちらのドラッグストアに行くべきで、これを買うには来週のクーポンまで待たなければならない、と彼女に戒められる。

 

こういう何気ないことを残しておけば後世の研究者に発見されて「よくわからないんだよね」と説明になっていない説明をされるかもしれない。