昼過ぎ、家でギターを弾いていたらインターホンが鳴った。
私はインターホンが鳴ったらとにかく出てしまう性質で、不用心なのだが居留守ができない。この日もすぐに応答してしまった。カメラの前に痩せた男が立っていた。
「エネーチケーの者ですが」
NHKは視聴者から受信料を徴収することで運営しているテレビ局である。
私は生まれてこのかた受信料を払ったことがなく、本当に払うべきなのか、どのように払えばいいのか、そもそも徴収人がいるのかもよくわかっていなかった。
受信料を払わなくてもNHKを受信できているではないか。
「使っていい、ということ?」
為すがままにして「おはよう日本」や「チコちゃん」や「日本人のお名前」や「らららクラシック」や「プロフェッショナル」や「日曜美術館」を楽しんでいたのである。
ついに我が家にも徴収人がやって来た。
「NHKに受信料を払う必要はない」と巷で聞く。その話題にはどこか「NHKに金を払う者は馬鹿だ」という文脈が潜んでいて、むしろ金を出す方が惡、のようなニュアンスすら含まれている気がする。
「エネーチケーの者ですが」
そう言われたとき、ついに来たか、と思うと同時、支払うべきか迷った。
たぶん私はここで金を出したら恋人に怒られるだろう。ここは無視を決め込むべきかもしれない。
だがインターホンに出てしまった手前、もう居留守はできない。「うちにテレビはございません」と嘘もつけない。なぜなら私は嘘をつけない性質だから。
葛藤の一方で、しかしながら、すでに心は決めていた。
受信料を収めたい。かねてよりその想いがあった。
昨今の民放番組はほんとうにどうしようもなく、見れば見るほど脳細胞の死滅していく音(豆腐が崩れるような音だ)が脳髄の底から響くようなものばかり蔓延っており、2分以上視聴すると血圧が急上昇して眩暈がする(これを私は2分間憎悪と呼んでいる)。一週間で民放番組を視聴する時間はおそらく5分に満たない。
NHKはノイズが少なく、見やすくて、タメになる。
「こういう番組でいいんだよ」って番組しかやってない。
そう。私はNHKが好きなのであった。
NHKしか見ていないのならここは支払うのが道義というもの。
恋人には怒られるかもしれないけど、私のポケットマネーなら問題ないはずだ。
迷う必要なんてなかった。素直になればいい。私はドアを開けた。
「エネーチケー」の人は毛玉のついたセーターを着て、首からハンディ端末をぶら提げ、私は何もしていないというのに申し訳なさそうな腰の低い態度で、あの、ご住居にテレビは設置しておりますでしょうか、とおっしゃった。腰は低いながらもその瞳には絶対に契約させてやるという強い光を宿していた。
マスクは蒸れていて、服は全体的にヨレていて、世間のすべてに対して申し訳なさそうだった。
惨めと言っていいだろう。私まで暗い気持ちになった。エネーチケーの徴収人は「こういう」人ばかりなのだろうか?
客によっては怒鳴られたり心ない言葉を浴びせられることもあるのだろう。だからこんなにも低い姿勢になってしまうのだろうか。高慢な態度のセールスもいないけど、それにしてもエネーチケーは背中を丸めて自己否定的な汗を常に垂れている印象を与えた。
彼を否定すればするほど身を裂かれる思いをしそうだ。
私はただ一生懸命に説明する彼に相槌を打つことでしか、真摯な姿勢を示せない。私のような人間は、応答した時点で「契約」以外の道は残されていないのである。
いくつかの手続きを経て、資料を受け取って、サインをすると、エネーチケーの人はようやく朗らかな目をして、深々と頭を下げたのであった。
「受信料を払う人なんて見たことがないよ」
恋人が私の行いを失態かのように責めた。
「ぼくのポケット・マネーから出すんだからね。君の財産が失われるわけじゃない。ぼくは正しいことをしたと思う。これで心置きなく、NHKを楽しめる」
「ふん。あんたがそれならいいけどさ」
恋人は呆れた鼻息を漏らして言った。
「今日からNHKがより面白くなるぞ。なにせ金を払ったからな」
恋人はもう何も言わなかった。つくづく馬鹿な男と暮らしていると自分を責めてもいるかもしれない。
その日の夕方、コンビニへ行こうと道を下っていたら、先ほどの徴収人がまだ仕事をしていた。どうやら一軒一軒を回ってインターホンを押し続けているらしい。
丸い背中をさらに丸めてぺこぺこしている。
村上春樹の『1Q84』で主人公の父親がエネーチケーの集金をしていたことを思い出した。父親は集金時に幼少期の主人公を伴って出向き、子供をダシに金を集めているのだ。それが父親の作戦だった。
かの徴収人があのような格好をしていたのもひとつの作戦だったのかもしれない。あえて惨めな格好をして、あえて被害者のような顔をしているのかもしれない。
終始申し訳なさそうな態度と腰の低い図々しさも作戦の内だったのかもしれない。
どうかそれらが作戦であってほしいと私は思った。
どうか自然に身に付いた悲しい所作でないことを願った。