蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

andymori解散から10年

andymoriがTikTokの女子高生に流行っているらしく、喜ばしいことだなと思っている。

好きなものが自分以外の誰かによって不当に消費されてしまうのは悔しいし、ノスタルジーが汚されるような感覚に陥るのもわかるけど、単純に、andymoriを好きな子が増えたら嬉しい。とっかかりはなんであれ、自分がそうであったように、聴き継がれていってほしい。音楽は再生(play)されるたびに再生(rebirth)される。

いつか自分よりも10コ年下の子に、andymori好きなんです、って言われたい。

その子も、私と同じように、10代をandymoriと共に過ごしていてほしい。

10代の時間を共に過ごした音楽は故郷の景色と強く結びついていて、その頃よく聴いた曲を今聴くと、故郷の街の風景とか、灯りとか、においまで、頭の奥のほうで明滅し始める。

「僕が白人だったら」とか「ゴールデンハンマー」とか「楽園」とか「ナツメグ」の話をしながら、いつまでも10代を思い出していたい。

 

andymoriが解散して今年で10年が経つ。

2014年の私はまったく冴えなくて、浪人して予備校に通い詰めていた。

2014年の思い出は、予備校の蛍光灯の眩しさと効き過ぎたエアコンの寒気と、andymoriの解散だけだ。

解散コンサートの日本武道館に行きたかったけど、チケットが秒速で売り切れて、転売の価格もすごいことになっていて、行けなかった。

動画配信がされていて、その日は勉強をせずに、スマホの前で固唾を飲んで見守っていた。

解散コンサートだったけど、悲しさよりも、なにか興奮が勝っていたと覚えている。ライブの間は繰り出される音の波に夢中だった。

ライブが終わったあと、バンド仲間とLINEをしたように思う。すごかったね、解散した気がしないね、と。

でも、終わっちゃったね、と。

 

あれから10年。

もう10年。

 

この10年の間を思い出すと、苦い思いもあるけれど、大学に入ったり、卒業したり、就職したり、結婚したり、転職したり、じつにさまざまなことがあった。

そして私はandymoriを聴き続けている。

andymoriを聴き続けて10年以上が経っている。

聴くたびに心の中にあるふるさとに帰る気がしていて、自分を取り戻すような感覚になる。