昨晩は彼女の帰りが遅かったので私が夕食を作った。
「ちょっと寄り道してきてもいいかな」
「オーケー。夕飯は任せろ」
夕食の当番はどちらが作るとは決まっていなくて、先に帰った方が作ればいいゆるいルールだ。当然私が早く帰ったのだから私が作った。
作ったのだが、普通に失敗した。
炒め物。
不味くはない、不味くはないんだけど食べたくはない。旨味がなく、やたらと味が濃い。
味噌汁も作った。白菜と卵の味噌汁だ。これもまた失敗した。
卵を投入したときの鍋の温度が低くて卵が乳化し、味噌に溶けてしまったのだ。
白濁。
あとの品は前日に私が作った茹で鶏の梅ソース和えだけだが、これは美味しかったのが唯一の幸いだった。
ただそれ以外の2品が問題しかない。
遅れて帰った彼女に謝った。
彼女は炒め物を口にして「いや、大丈夫よ」と笑ってくれたが、しばらくして神妙な面持ちになり「うーん」と悩みながら冷蔵庫を漁った。
「なにかが決定的に欠けていて、それでいて他のものが多すぎる、そんな味がする」
おっしゃるとおりだった。
彼女の体調が思わしくなかったことも相まって、食卓の雰囲気は最悪だった。食べ進めるにつれて憎悪が増していく炒め物を口に押し込みながら私は、地元の海岸線を秋になると埋め尽くす夏場ゴミ山を思い出していた。拾っても拾っても猥雑で卑劣なゴミが砂浜から出てくるのだ。その途方もなさと踏み躙られたような悔しさがこの炒め物にも漂っている。
「わたしが寄り道なんてせずに早く帰っていればよかったの」と彼女は言った。
手厳しい言葉だ。
彼女はあくまで私を責めず、寄り道をした自分自身を責めるのだ。
「そんなことはない。失敗したおれが悪いんだ」
「ううん、わたしが寄り道さえしなければ……すべてはわたしが悪いの……」
彼女はしくしく泣き出した。
私は何に許しを乞うべきか、四方の空を探ったが、どこにも神などいなかった。あるのは皿の上の悲しみと、涙だけだ。
なんて押し付けがましい涙だろう。でも私はそれに対して腹を立てるというよりもむしろ、一緒に泣きたくなった。
なぜ彼女が涙を流すのか。その理由は、彼女の体調が思わしくなくて心が不安定になっているということと、なによりも私のメシがクソ不味いからなのだ。それで私が怒れるわけがない。
箸を置き「もういいよ。残そう。食べ物たちには悪いけど」と私は言った。
「わたしは食べ物を残せないのよ」と彼女はヒステリーに言い返した。まるで変えられない宿命を嘆くように。
「昔からわたしが食べ物を残すと、お母さんが腹立たしそうに食べ物をゴミ箱に捨てたり嫌味を言ってきたりそれが怖かったの。トラウマで残せないのよ」
彼女は泣きながら萎びたきのこを口に含んだ。
もう見ちゃいられなかった。
「大丈夫だ。ここに君のお母さんはいないし、食べ物を残すことになった原因は食材のせいでも君のせいでもなくて、調理をしたおれに一切の責任があるんだから」
どうして仕事終わりにこんな悲しいことを言わなきゃいけないのか。
すべては私の作ったクソマズほうれん草ソテーのせいだ。なんだこれ。
なんなんこれ。
なんなん。
あのときの笑顔はなんなん。あのときの涙はなんじゃったん。