蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

デパートの地下は揺れない

レンタインデーが近づいている。

学生の頃こそ心躍らせたものだが、いまや単なる2月のとある一日程度の認識しかないので期待もなにもなく、恋人に「今年のバレンタインはどうしようか?」と言われるまで忘れていたほどだった。

毎年恋人に手作りのブラウニーを貰っていたのだが、同棲をはじめてから我が家の電熱器みたいなオーブンでは焼けないことがわかり、昨年失敗して「もう作らない」と宣言し、今年から事前に何を食べたいのか訊く制度になったのだという。

訊かなくてもいいのでは、と思われるかもしれないが、実は私自身あまりチョコレートが得意ではなくて正直バレンタインに対して気乗りしないことを彼女は知っているため、下手にサプライズ性をもってチョコを供給するよりも、双方の意見のすり合わせをしたうえでなにを買うか決めた方がいいと彼女は考えたのだ。賢い選択だし、彼女のそういうところが好きだ。

私としてはなにもいらないのだが、彼女は何か買いたいらしい。

そのこころは私にプレゼントしたい、のではなく、私にあててチョコを買うついでに自分用にも良い菓子を買いたい、あるいはどうせ食べない私が彼女を甘やかして「残りは食べていいよ」と言ってくれるのを期待している魂胆なので、初心な同棲カップルにありがちな「付き合いたての頃のときめきを忘れないようにしたい」かわいらしい心遣いとはかけ離れた、ときめきとは対極に位置する感情から出たそれらしい発言なのである。しかしながらそれはそれでまったく問題ない。

なので、私は提案した。

「バレンタインはおれのぶんはいらないから、君用に買ってあげよう」

こうなると本当にバレンタインもくそもなくて、ただただお菓子を買ってあげようオジさんと化しているのだが、まぁ、いい。私は彼女のためになにか買ってやるのが好きなのだ。

すると彼女は言った。

「でもそれだとあまりにもあれだから……チョコじゃなくてもさ、なにかプレゼントするよ」

私は彼女のこういうところが好きなんだ。

 

私は図書カードをねだった。

結局これがいちばん嬉しいから。

 

昨今、バレンタインのチョコレートの需要はプレゼント用よりも自分用がシェアを占めているらしい。

社交辞令的に貰っても「お返し面倒くさいな」なんて気持ちが先に出てしまうし、弊社でもバレンタインは禁止されているしそういう会社も多いと聞く。いまはコロナでますます食べ物の受け渡しは気が引けるものだろう。本来ときめきをもっていた頃のバレンタインはとうに廃れているのだ。

そもそも広告代理店の仕組んだ現代の消費風習だから、あと数年で廃れてもおかしくないと思う。伝統もなにもありゃしない。

なんだこの風習は。

やめちまえ。

学生時代、バレンタインに良い思いをしてこなかった男の、僻みなんかじゃない。

断じてそんなもんじゃない。

断じて。