鈴木愛理さんのワンマンライブ「ココロノオトヲ」の横浜公演に行ってきた。
ライブ内容のネタバレはないつもりではあるが、怖い人はブラウザバックして欲しいというお願いと、当方は今回のライブが2回目というド初心者なのでさまざまな解釈違いや誤りがあるだろうだけど、素直な感情を書き連ねたいと思うのでどうか温かく見守ってほしいです。
端的にライブの感想を述べると、マジで「最高」でした。
日曜日にライブがあって、それからは時間が経ってもずっとその余韻に浸っていた。
余韻というか、余波。
どの曲が良かったとかどこがどういう風に感情を湧き立たせたとかうまく言語化ができない。
花のかんばせ、星の瞬き、夏空にそよぐ風、雲の峰の白さ、冬の窓にさす午後の光、そういったものたちを描写することはできても、その「良さ」を言葉にしようとすると言い表すことができないように、言語化ができない夜だった。
じゃあもう、このブログは終わりなのだけども。
会社の先輩がかなり深めのハロプロオタクで、その人に今度のライブに行くのだと告げると「そうか、じゃあこれを持っていきなさい」とペンライトとタオルを貸してくれて、のみならず「これも事前に見ておくといい」といわれて°C-ute時代のライブDVDとBuono!のDVD、それからソロ時代のライブDVDをこれでもかと貸してくれた。
「喋りはじめたら止まらないからあえて何も言わないけど、どうか楽しんでほしい」
なんていうか、オタクの鑑だと思った。
完全に、私を「沼」に引きずり込むためのラインナップであった。
休日中にとりあえず°C-uteのライブDVDとBuono!のラストライブのDVDを立て続けに鑑賞した。
はっきり申し上げる。
それだけでもだいぶハマった。
へぇ、Buono!にはあの「ももち」がいたんだ、夏焼雅ちゃんは歌がかなり上手いな、好きな声だなとか、°C-uteは最初はメンバーが全然わからなかったけどDVD一本見通せばキャラや得意な歌声やダンスのスタイルなんかもなんとなくわかってきて、このグループそのものに愛着を感じるようになった。
°C-uteで歌い踊る愛理さんとBuono!にいる愛理さんは、同じ愛理さんだけどなんだか違っている。どちらが好きとかどちらが優れているとかそんなくだらないことではなく、この二つの経験があったからこそ現在に繋がっているのだと実感ができて、おもしろかった。いくつか好みの曲もできた。とくに「悲しきヘブン」って曲。これは大好きだね。すごすぎる。
見終わる頃には、この二つのグループがとっくに解散していて、芸能界を引退しているメンバーがいることにも残念な気持ちになった。
自分を馬鹿だとすら思った。
どうしてはもっとはやくこの魅力に気づかなかったのか。
私は「喪失感」すらも味わえない。
鈴木愛理さんの魅力に気づいたのだってここ2〜3年のことで、それも、なんか、めちゃくちゃハマっちゃいそうなのが怖くてあえて距離をとっていて、妻も愛理さんのことが大好きなので一緒に動画とか見たりするんだけど、なんか私は妻の前で自分からコンテンツに触れることが恥ずかしくて、自分なんかがこんな、ハマっていっていいのだろうかとずっと変な自意識に塞がれていた。消費したくなかった。そんなことはあってはならなかった。真の感情に向き合うのが怖かった。
でも、°C-uteとBuono!のDVDを見たことで、私のこの態度があまりにも間抜けで愚かなものだったと思い知った。
「終わってからでは遅い」のだ。
この感情は「現在のもの」なのだから。
日曜日のワンマンがかなり楽しみになってきて、だいぶ期待が高まった。
ライブの前は、勝手ながら緊張する。
会場に人々が入ってきて、会場の空気に期待の熱がこもってくる。SEがどこか空々しくもあって、みんながソワソワしている。あのステージの向こうにはアーティストがいる。
声出し解禁のライブ。DVDで見たみたいに、みんなが名前を呼んだりコールをしたりするのだろうか。よくわからない。
いくぶんスタート時間がおして、注意事項のアナウンスが美しい声で流れた。この声は一体誰なんだろうとぼんやりしていたら、会場が暗くなった。
「愛理ーーーーーー!!!!」
と、誰かが名前を叫ぶ。負けじとみんなが名前を呼ぶ。歓声。興奮が空気を震わせる。
よくわからないのだけど、このとき、愛理ってなんていい名前なのだろうと思って、涙が出た。本人はまだ出ていないのに、ファンの声援で涙が出た。
舞台袖から、すっと彼女が出てきた。声援はさらに熱を帯びる。薄暗い闇の中で揺れるスカートの裾や髪、はっきりと見えないその姿が妖しく、神聖である。
ぽっと、ステージ中央にスポットライトがあたった。
その瞬間に、しんと静まりかえった。
全員の息を飲む音が聞こえるほどの静寂だった。
そこに立つ彼女に全員の視線が注がれていた。確かに存在していて、あまりにもその存在が「生(なま)」すぎて怖くなる。いる。同じ空間に。
そして彼女の生の声が、この鼓膜を震わせた。
歌声が会場を呑んだとき、私は、号泣していた。
私の期待を、彼女は易々と超えてみせる。
これは、かなわない。
°C-uteのときとも、Buono!のときとも、なんならこれまでのソロ活動のどのときにもない、そんな歌声とパフォーマンスだった。いくつかの悲しみや苦難を経て、それでも喜びを忘れずに、ファンと共に登ってきた今日なのだと、ここが最前線なのだとわからされた。
最高だった。すごすぎる。
この会場にいた人は、年齢も住んでいる場所も職業も性別も信条も思想も好きな食べ物もなにもかもが違う人間ばかりで、ひとつ間違えばお互いに憎み合ってもおかしくない存在なのだけど、ただひとつ「愛理ーーー!!!」と名前を叫び、飛び跳ね、夢中になるその感情だけは共通していて、そのつながりでひとつになっている。そのなんというか、切なくも壮大なつながりに「縁」のようなものを感じて、また感動した。
鈴木愛理。
彼女が繋いでくれた、今なのだ。
°C-uteを知れたのも、Buono!を知れたのも、先輩が貸してくれたのも、妻とライブに行けたことも、元はと言えば140字小説のドラマで自分の作品が原作に起用されたのも、そうして今につながっていったのは、鈴木愛理、彼女のおかげだ。
感謝。
その一言に、尽きる。
「愛理のライブを見て、そんなことを思ったよ」
帰り道、妻と感想を談義した。妻も大変満足したようで、感慨深そうに語っていたのだが、
「ひとつ気になることがあるんだけど」
と神妙な声で言われた。
「なに?」
「愛理、ってあなたが呼び捨てにするの、やめてくれない?」
「え、な、なぜ・・・」
「ライブ前まで、愛理ちゃん、って初々しく言ってたのになんか急に、嫌なんだけど。自分のものにしたみたいで。馴れ馴れしいっていうか。烏滸がましいっていうか」
たしかに、私もライブ中に名前を叫んだこともあり、また周りに流されたこともあってつい自然に呼び捨てにしていた。
「じゃあ、愛理ちゃん、で・・・」
「それもなんかキモいんだよなぁ・・・」
「じゃあ・・・愛理さん・・・・・・」
「それがいいよ」
たしかに、納得した。呼び捨てで呼んでいいわけがない。
それでは愛理さん、よろしくお願いいたします。
(過去の鈴木愛理さん関連の記事)
本当に今更だけど、これから推していく人が、私の作品が原作に使われたドラマの主演を演じたのヤバすぎる。こわ。前世で積んだ徳、使い切っただろ。
最初に行った愛理さんのライブレポ。このときはまだ「愛理ちゃん」呼び。