シャインマスカットの季節だ。
恋人の実家から一房いただき、1週間くらい時間をかけて一粒一粒味わいながら食べた。
冷蔵庫を開けて一粒抜き取り、さっと水で流して口に放り込む。「いけないことをしている」気がして、誰かに見られてやしないかあたりを見回す。
「こっそり食べてるけど、すごい食べてるでしょ」彼女が私の行いを指摘した。
「そんな食べてないよ」
「堂々と食べればいいのよ」
「でもこうして盗むように一粒ずつ食べないと、皿に盛ったらあっという間に食べ尽くしてしまいそうで怖いんだ」
「大丈夫よ」
皿に盛り付けて二人でつまんだ。
白皿に爽やかなグリーンがよく映える。透けるような緑色を見ていると首筋に風が吹くようだ。
大きな粒が弾けそうに並んでいる姿は官能的ですらあり、水滴が光を落とすと劣情を昂らせる。
ああ、なんか、この美しさ、絵に描きたい。
この完璧な緑を、蜜を予感させる官能を、艶やかな光を、おれは絵にしたい。写真じゃダメだ。時間をかけておれの中で緑と蜜と光を構築してカンヴァスに写し出したい。そして絶望したい。カンヴァスに描いたものは虚像であることに。描いた絵を井戸に放り込みたい。芸術に凌辱されたい。
頭がおかしくなりそうだった。
頭がおかしくなる前に食べてしまおう。口に放り込んだ。
薄皮が裂けてぱきぱき音を立て、蜜が溢れる。またしても風が吹く。
甘、旨、爽、冷、甘、香、甘、涙。
たとえばこのブドウを森の中で偶然見つけたらとても嬉しいだろうな。冷蔵庫から出てきただけでも嬉しいんだから。深い森の沢のあたりで偶然見つけたら、神の恵みだと思っちゃうだろうな。
ああ、おれは詩を編みたい。
「ちょっと!食べすぎ!!!」
彼女に腕を掴まれた。
「そんな!まだそんな食べてないよ!」
「ペースがはやい」
「まだ3粒だ」
「もう3粒の間違い」彼女は私を睨みつけ、言った。
「このまえ梨を食べたときも、あなたはパクパク無心で食べていって、結局わたし2切れしか食べれなかったんだよ?覚えてる?」
「覚えてるよ。美味しい梨だった」
「死ねば?」
私はひとたび夢中になると、アフリカの獰猛な毛虫が葉を食い尽くして樹木を枯れさせるような勢いでフルーツをむしゃむしゃ食べてしまう悪癖があるのだ。
私は反省した。
深く反省した。
シャインマスカットは気をつけて食べようと思った。だからこそ冷蔵庫から盗み食べていたのだ。あれは私なりの対策だった。不恰好とはいえ。
あと弁解させてほしいのだが、梨を食べたときは彼女はもうお腹いっぱいと腹を押さえて苦しそうだったので、私がほとんどを食べてやったのだ。それを意地の汚い山賊かと揶揄されても困る。(たしかに意思確認をしなかったのは悪かったと思う)
そういうわけで長い時間をかけて少しずつシャインマスカットを食べ、昨日食べ終わった。
残った枝をしばらく見つめ、そこにあったはずの芳醇な実に思いを馳せた。
毎日少しずつ減っていく様を描いておけばよかった。シャインマスカットの九相図にして、欲望に溺れた儚さを表現できたかもしれない。